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大事な場所の危機

「津山泰三は…これを機に芸能界を引退するそうだよ…。」

小野寺が、顔を上げたみずきに向かって静かに告げた。


「うそっ!おじいちゃんが引退っ!?

死ぬまで現役が口癖のおじいちゃんなんですよ!?

どうしてそんな唐突に…。私に何にも言わないでどうして…。」

一度収まったみずきの心にまた波風が立つ。


いっそのこと、声を上げて泣き出してしまった方が正気に戻れるのかも知れない。

だが今は…三人の大事なライブ前。私だけのために時間を費やすわけにはいかない。


グッと喉の奥の苦いものを飲み込んで、みずきは小野寺の瞳をキッと見据えた。

「わかりました。引退の真意は帰ってから直接祖父に聞くとして…。

津山泰三事務所は、今や私と祖父だけが所属する事務所。

他のタレントを抱えてなかったのが不幸中の幸いです。

ですがなぜ私一人しかいないのに、吸収合併という形をとるのかがわからない。

単純に事務所を清算して、私がどこかへ移籍すれば済む話なのに…。」


「津山泰三事務所はみずきの他に…もっと大きなものを抱えているだろ?」

小野寺が椅子の背もたれから上半身を起こし、前屈みになるようにして

みずきの瞳に探りを入れた。


「えっ?私の他に、もっと大きなものって…?

あ…!猫カフェ…ですか!?不渡りって、もしかして猫カフェが?

猫カフェが不渡りを出したんですかっ!?

だとしたら私のせいだ…。父さんから私が引き継いだのに…。

私がしっかり管理しなくちゃいけなかったのに…。」

もう涙を留めておくことなど不可能だった。


亡き父からオーナーを托されたのに、自分の運営のまずさで父の命とも呼べるあの店を

潰してしまうなんて…。

父は私が継ぐと言ったから、安心してあの世に旅立ったのに…。


みずきは止めどもなく流れる涙を拭おうともせず、ただただ父に申し訳なくて

子供のように声を上げて泣いていた。

その震える肩を、当麻が無言でギュッと抱き寄せる。

そしていつまでも泣き止まない子供をあやすように、そっと頭を撫で続けていた。


「ちょっと待って下さいっ!『秘密の猫かふぇ』が無くなっちゃうんですかっ!?

嘘だ!そんなの嫌ですっ!!」


突然勢いよく立ち上がり、小野寺に食ってかかったのは雪見だった。

それを健人が慌てて止めようとする。

が、すでに雪見の背中のスイッチは、みずきの涙によってパチンとONになり、

こうなるといくら健人と言えども止められるすべは持ち合わせてはいなかった。


「常務!あのお店がどんな大切なお店か、知ってるんですか!?

私達にとって、大事な大事な場所なんです!

あのお店で癒やされてたからこそ、健人くんや当麻くんも、ハードスケジュールに耐えて

今まで頑張ってこれたんですよ!

あそこを無くすんだったら、もっと健人くんや当麻くんにお休みあげて下さいっ!

それに他のお客様たちだって、あそこが無くなったら困るに決まってる!

常務が恨まれても知りませんよ!この業界のお客様が大勢いらっしゃるんだからっ!」


「お、おいっ!俺を脅す気かっ!」


小野寺が、雪見のニコリともしない真剣な顔つきに、「ほ、ほんとかよっ?」と

半ば話を信じ込んでビビってる。

その後ろで夏美が、下を向きながらクスクスと笑いを堪え、なぜか雪見に向かって

OKサインを送った。


え?なに?OKって…。

意味はわからなかったが、雪見の怒りは自然と収まってきた。


「あの場所からすべてが始まったんです。みずきさんと出会ったのも、あのお店で…。」

雪見が過去を振り返りながら、噛み締めるように話し出した。


「私の歌を聴いて、津山さんが声を掛けて下さったんです。

あの時、もしも津山さんが私を誉めて下さらなかったら…。

きっと私、今日ここでライブなんてやってなかった。

『YUKIMI&』は生まれてこなかったんです。

それに宇都宮さんと出会わなかったら私、一生猫カメラマンのままだったと思う。

宇都宮さんが、娘であるみずきさんに托した猫カフェ…。

そんな簡単に潰させるわけにはいかない…。」


楽屋全体がシーンと静まり返るほど、雪見の思いがみんなの胸に染み込んだ。

そしてその猫カフェが、どれほど重要な役目を果たした店なのかもよく伝わった。


「だからお願いです!あのお店だけは何とか救ってあげて下さい!

私、そのためだったら何だってします!あ!今月分のギャラもいりません!

私のギャラなんかじゃ、どうにもならないとは思うけど…。

そうだっ!ライブ終って引退するまでたった5日間しかないけど、

みずきさんと当麻くんの、結婚記念写真集の撮影とかどうですか!?

それもノーギャラでいいです!その売り上げでどうにか猫カフェ救えないですかっ!?」


「ゆき姉、ちょっと落ち着いて!

あんな大きな店、俺らのギャラぐらいじゃどうにもなんないって!

もっと現実的な方法を探さないと。」


「だってぇ!」


常に理論的に物事を考える冷静な目を持った健人は、感覚的に行動を起こす雪見の

良きストッパー役でもあった。


真剣に救済への道を話し合う健人と雪見を、みずきと当麻はただ感謝の思いで眺めている。

が…小野寺だけは何故かニヤリと笑って雪見を見た。

してやったり!という顔つきの不気味なこと。


「お前…。今、何だってします!と言ったよなぁ?」


「えっ!?な、なんですか?やだ!こわっ!」


小野寺のその顔を見て、雪見はハッと我に返る。

しまったぁ!私、とんでもないこと言っちゃった?


「女に二言は無いな?じゃあお前には、猫カフェを救済するために、

もう一働きしてもらうとするか!お望み通りにな。」


「えーっ!女に二言は無いな!って、そんな言葉無いですよぉ!」


雪見の、さっきまでの威勢はどこへやら。

小野寺が何を言い出すのかと戦々恐々、健人にすがるような目を向けた。


「雪見!お前達の結婚宣言を許す代わりに…うちの事務所との契約を半年間延長だ!

その間に、猫カフェ再建に力を貸してもらう!」


「えっ!?半年延長って、そんな!待って下さいっ!

私、あと少しでフリーカメラマンに戻れると思ったから、ラストスパートで頑張ってるのにぃ!」



雪見の戸惑いと驚愕は、そっくりそのまま健人の…とはいかなかった。

大好きな人とあと半年同じ事務所にいれる!


隠しきれない喜びの表情とは、たとえそれが若手演技派俳優と言えども

隠しきれないものだった。




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