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婦長へのお願い

「こんにちはっ!」


「え…?キャーッ!!雪見さんだぁ!どうしたんですかぁーっ!?

お母さん、今日は抗癌剤の日じゃないですよ?おうちにいると思うけど。」


「あ、母に用じゃなくて婦長さんに…。」


昼下がりの午後。

突然ひょっこり顔を出した雪見に、ナースステーションは大騒ぎ!

入院患者のリハビリ体操指導を終え、束の間ホッと一息つくはずの看護師たちは、

のんびりお菓子を食べてる場合じゃなくなった。


ここ、雪見の母がお世話になってる乳腺専門病院は、三十代とおぼしき看護師が多い。

彼女らにとって雪見は、勿論第一に患者さんの家族。

が、それ以上に同世代、看護師とカメラマンというプロの仕事人同士でありながら、

片や人気アーティストになり、その上12歳も年下の人気俳優斎藤健人を彼氏に持つのだから

雪見に注がれる羨望の眼差しはハンパではなかった。

嫉妬というよりは同世代の希望の星、憧れの人!と言った眼差しである。


「いつも母がお世話になってます!はい、これ差し入れ。

苅谷翔平くんと私お薦めの、美味しーいワッフル!皆さんでどうぞ!」


今や健人や当麻を凌ぐ勢いで人気の、苅谷翔平お薦めのワッフルなどと言ったもんだから、

それこそナースステーションは蜂の巣を突いたほどの大騒ぎ!


「うそーっ!?雪見さん、苅谷翔平くんとも仲良しなんですかぁ!?

羨ましすぎるー!やっぱ健人くん繋がりで?」


「それもあるけど、私が翔平くんの写真を撮ったのがきっかけかな?」


「私、翔ちゃんの大ファンなんです!会いたい会いたーい!」


「健人くんと翔平くん、仲良しですもんね!それに当麻くんでしょ?

いいなぁ雪見さん!イケメンに毎日囲まれて。夢の世界だ!

そんで、そんな凄い雪見さんと、今私達がおしゃべりしてること自体が夢みたい!」


ナースステーションとは思えないほどの賑やかさをもたらしてしまい、

雪見はちょっとまずかったかな?と周りの患者さんが気になり出した。

いくらアットホームな個人病院にしたって、病室では寝てる人だっているはず。

ここは早くに用事を済ませて退散しないと…。



「あのぅ、婦長さんは?今日はお休み?」


『看護婦』という名称から『看護師』に変わった今でも、この病院では皆が

「師長」ではなく「婦長」さんと呼ぶ。

それは年配の患者がそう呼ぶからでもあり、それを四角四面に声を大にして

「違います!今は師長と呼ぶんです!」と訂正するのではなく、

患者さんがそう呼びたいのならそれでもいいじゃない、と病院全体が

何事に対しても、柔軟に受け入れてくれる優しさが雪見は好きだった。


姿の見えない婦長を捜してキョロキョロしてると、グッドタイミングで当の婦長が入ってきた。

その瞬間の皆の慌てっぷりときたら!一斉に背筋がシャキーンと伸びた。


「ふ、婦長っ!お疲れ様でしたっ!あ、これ浅香さんから差し入れを頂きました!」


「あなた達の声、手術室まで聞こえてましたよっ!」


その姿から婦長は、どうやら午前中手術室の担当だったらしい。

この病院は小規模の個人病院であるため、大病院のように手術室担当看護師を置かず、

病棟の看護師がシフトにより平等に手術室にも勤務する。

よって、皆が少数精鋭の凄腕看護師であることに間違いなかった。

しかも手術室は同じフロアの一番奥にあるので、婦長の言葉はあながち

大袈裟でもない気がして、看護師たちは一様に首をすくめる。



「ほらねー婦長!やっぱり雪見さんだぁ!私の言った通りでしょ?」


そうタメ口をききながら、婦長の後ろからニコニコ顔で入って来たのは、

初対面当日にファンだと大騒ぎし、いきなり雪見にロビーコンサートまでやらせた

看護師の田中である。

彼女とはその後大好きな歌の話で盛り上がり、今や看護師の中では一番気の合う

仲良しさんになっていた。


「あ、田中さんも手術室入ってたんだぁ!お疲れ様でした!」


彼女のことを当初雪見は、なぜか新人看護師だとばかり勝手に思い込んでいた。

それは小柄で顔立ちが幼いのと、婦長にさえタメ口をきくその言葉遣いに

主な原因があるのだが。

しかし後に彼女が雪見と同い年であること、実はこの病院の中で唯一、

スペシャルな資格を持つ乳がん認定看護師である事を母に聞かされ、

ビックリ仰天した経緯がある。


「すーぐわかったよ!雪見さんが来てるってね。お母さんの調子はどう?」

田中は真っ先に母の体調を聞いてきた。


普段は雪見と同い年とは思えぬほどキャーキャーしてる、セワシナイ人。

だが最近それは、患者や家族の重苦しい心を少しでも紛らわせようとする、

彼女なりのパフォーマンスのような気がしてる。

現に彼女はいつもと変わらぬ賑やかさだったが、笑顔の奥の瞳は鋭く、

担当患者である雪見の母の体調を、雪見の言葉を通して注意深く観察してるかのようだった。


「うん、昨日はあんまり…。今日も仕事が忙しくて何時になるかはわかんないけど、

後から様子を見に行こうと思ってる。」


「そうなんだ…。で、今日はなに?なんか用があって来たんでしょ?」


雪見の声や表情から、瞬時に母の状態を読み取ったのだろう。

あまり抗癌剤の副作用が芳しくないと判断したらしく、素早くポケットから

メモ帳とペンを取り出し、なにやら短く書き留めていた。


「あ、そうだ!婦長さんと田中さんにお願いがあって来たんだった!」

雪見はやっと本来の目的を思い出した。


「婦長さん!急でわがままなお願いで申し訳ないのですが、三日後の25日の夜、

私に田中さんを貸していただけないでしょうか!」


「えっ!?どういうこと?」


雪見の突然のお願いに、当の婦長と田中は勿論のこと、周りにいた看護師たちも

一様に「えっ!?」と声を上げた。


「私の最後のライブを、どうしても母に見てもらいたいんです!

でも母は、体調の優れない自分なんかが行っては周りに迷惑を掛けるからと、

頑として来てくれるとは言ってくれなくて…。

だけど、これを母に見てもらえなかったら私、一生後悔すると思うんです!

母が亡くなったあとも…。」


雪見が言った最後の一言に、ナースステーションは静まり返った。

だが雪見は構わずに言葉を続ける。


「看護師さんが一緒にライブに行ってくれるとわかったら、母も少しは安心して

見に来てくれるんじゃないかと…。

お願いします!田中さんを一晩貸して下さい!」



その静寂こそが、母の行く末の答えなのだろう。

だが雪見にそのことに対しての動揺はなく、ただ今は婦長に懇願することだけが

すべてと思っている。


この世に生んでくれた母への感謝の気持ちを、ステージから歌で伝えたくて…。


こんなにもあなたの娘はみんなに愛されているんだよ。

今までも、そしてこれからも永遠に幸せだよ。

だから安心してね、と心から伝えたくて…。


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