嬉しい時間と悲しい時間
翔平が以前ドラマの役作りでお世話になった、有名ケーキ店の人気パティシエ。
その人に翔平が直接健人の好みを伝え、特別に作ってもらったピンク色の大きなケーキは、
もったいない気もしたが切り分けたりせずにホールごと、みんなでつついて食べた。
テーブルの上にどんっ!と乗せられた高級バースディケーキを、贅沢にも大胆にも
ワイワイ言いながら、ウマイウマイ!と言いながらフォークを延ばし口に運ぶ。
同じ釜の飯ならぬ同じバースディケーキは、大家族が息子や兄弟の誕生日を
笑顔でお祝いしてる風景にも似ていて、誰もがほんわか温かくなった。
輪の中心に、大輪のひまわりのような雪見の笑顔。
その周りには当麻と翔平、今日仲間に加わったばかりの沖縄から来た五人組。
音響さんや振り付け師さんを始め、ライブに関わる大勢の人達。
みんなが疲れた身体を甘いケーキで癒やし、おしゃべりで癒やしてニコニコしている。
そう、俺たちはスタッフも含めてみんな家族。
ゆき姉を家族の一員として、みんなが迎え入れてくれたんだ。
そう思うだけで健人は幸せな気持ちに満たされた。
いつまでも眺めていたい光景だった。
「あー美味かった!いちご味のケーキって最高だね。
ほんと、サンキュ!翔平。嬉しかったよ。
けどさ、これって前に言ってた切り札じゃなかったの?彼女が出来た時の。
俺に切り札使っちゃったわけ?」
そう言いながら健人が、近づいてきた翔平に笑って聞いた。
「あー、いいのいいの!俺の切り札が一枚なわけないじゃん!
ちゃんと二枚目三枚目を用意してあっから、ご心配なく!
それに、ゆき姉にも喜んでもらえて良かったよ。
あんだけ喜んでもらえたら、サプライズした甲斐があった。
ほんと、ゆき姉の最後のライブ、俺も見届けたかったな…。」
雪見に目を向けた翔平が、少し寂しげに微笑んでる。
一緒に飲みに行くたび雪見の事を話題にするので、翔平が雪見を好きになったかと
不安を抱いた時期もある。
だがそんな誤解もすぐに解け、今は翔平が雪見の事を実の姉のように慕っているのが、
親友として心から嬉しく有り難かった。
「なに最後の別れみたいな顔してんの。俺もゆき姉も、どこも行かんだろっ!」
「行くじゃん、ニューヨーク!」翔平が口を尖らせて言う。
「お前だって行くだろーが、香港!」健人が笑いながら言い返した。
ほんとはちゃんとわかってる。
甘えんぼの末っ子みたいなとこがある翔平だから、たった二ヶ月間と言えども
親しい二人を見送ることが嫌なことぐらい…。
「ライブ終ったらさ、俺らのお疲れさん会、頼んだよ!
当麻もこっち側の人間だし、幹事さんは君しかいないんです。
あ!下手なサプライズとかはいらないから!
アイマスクでリムジンとか、今回はやめてくれよっ!
ノーマルな飲み会でいいから、ゆき姉が好きそうな店選んでやって。」
健人は、落ちてる翔平の気持ちを察して、あえて明るい話題を振る。
すると案の定翔平は目を一瞬で輝かせ、キラッキラした笑顔で雪見を見た。
「マジっ!?ほんとっ?俺が考えていいの?
よっしゃあ!ゆき姉の好きそうな店、俺調べるっ!」
じゃあなっ!と言い残し、翔平はさっさとスタジオを飛び出して行った。
単純な奴!と健人は笑いながら後ろ姿を見送ったが、当麻や翔平ら親友たちに支えられて
今の自分がいることを、心から感謝したかった。
「やっべ、もうこんな時間!俺も行かなきゃ。
後はみんなで綺麗に食べてってね。ほんと今日はありがとうございましたぁ!」
最後にみんなに向かって健人は深々と頭を下げ、お先に!とマネージャーと共に足早に歩き出す。
その後ろをさりげなく雪見が追いかけた。
スタジオを出た所で気を利かせたマネージャーの及川が、「先に行ってる。急げよ!」
と二人を残しスッと離れる。
その姿を少しだけ見届けてから健人は、再び雪見の頭をよしよしと撫でてやった。
「良かったねっ。みんなが祝福してくれた。」
誰もいない廊下で、健人は雪見を抱き締めたい衝動に思わず駆られたが、
いつスタジオから人が出てくるともわからず、グッとその感情を押しやった。
雪見も、「さっき雪見って呼んでくれたよねっ!」と健人に言って抱き付きたかったが、
あの時はあの時だと判っているので、黙って健人の大きな瞳を見つめてる。
キスしたい…。抱き締めたい…。
お互い求め合ってる心が瞳を通して行き来する。
だが、大人な二人が感情のたがを外してまで、理性を忘れた若者のように
この場で抱き合うことなどなかった。
その代わり「じゃあ行くねっ。」言ったあと、健人の右手がスッと雪見の頬に触れ、
小さな声で「愛してる。」と目を見て伝えた。
「うんっ。」
コクンとうなずくのが精一杯の雪見は、「早く帰って来てね。」という言葉を
ゴクリと飲み込み、笑顔で健人を送り出す。
「行ってらっしゃい!」
…だがその夜、健人は帰って来なかった。
22歳の誕生日。
初めて迎えた記念すべき日は、雪見とワインとテーブルいっぱいの酒のつまみを部屋に残し、
あっけなくその一日を閉じようとしている…。