新たな仲間たち
「おはようございまーす!よろしくお願いします!」
コンサートホールでの通しリハーサルを三日後に控え、今日は事務所ビルにある
大スタジオで、それぞれが最終調整を行う日。
健人と当麻はまだ前の仕事が終ってないらしく、スタジオにその姿は見当たらない。
ツアー最後の東京公演まであと四日。
泣いても笑っても、これが『YUKIMI&』ラストのステージだ。
二日間の公演が終れば、アーティスト『YUKIMI&』はこの世界から消え去る。
そしてきっと程なくして、みんなの記憶からも消えて無くなることだろう。
それでいい。その方がいい。
何の未練もなく写真の世界に戻って行ける。
忙しい毎日から解放され、また自分のペースで仕事が出来る。
撮影旅行に出ない限りは健人のサポートだって、充分にしてやれるし、
母の看病だって…。
私がニューヨークへ行ってる間、母さんは待っててくれるよね?
まだ…。まだ大丈夫だよね…。
つい先程見た母の姿が脳裏に浮かび、その姿から三ヶ月後を想像してみる。
抗癌剤治療でダメージを受け、今よりもさらに衰弱してるだろう。
それでも薬が功を奏し、奇跡的にでも転移した癌が陰を潜めてくれてたらそれでいい。
だが、薬が効かない場合は…ただ単に命を縮めるだけ。
抗癌剤とはそう言うものだ。毒をもって毒を制す。
毒が身体にいいわけはない。
私は…本当にニューヨークへ旅立っても良いのだろうか…。
母さんは、このまま抗癌剤治療を続けても良いのだろうか…。
「雪見ちゃん。雪見ちゃん!なに、来た早々ボーッとしてんのっ!
今日はガンガン飛ばすからねー!しっかりしてよっ!」
「あ、はいっ!すみませんでしたっ!よろしくお願いします!」
突然現実の世界に引き戻され、雪見は慌ててピアノの前に座る。
さっきまで考えてた事は、一旦リセットすることにした。
じゃないと歌に集中なんて…できっこない。
「じゃ、始めようか!そのうち、あいつらも来るだろうから。
まずはデビュー曲行って、次に『涙そうそう』ね!よろしくお願いしまーす!」
今回のツアー用に、デビュー曲のピアノ弾き語りバージョンを作った。
健人と当麻に捧げるために作った歌が雪見のデビュー曲となり
今、この歌を歌うたびに当初を思い出す。
あの時は、まさか自分がソロデビューし、こんなに人気者になるなど夢にも思わなかった。
ましてや健人と生涯を誓い合うなんて…。
指が滑らかに鍵盤の上を滑り出す。
雪見が歌い出すと同時に、スタジオ内は水を打ったように静まり返り、
隅で打ち合わせをしていたプロデューサーもバンドマンも、皆が雪見に釘付けになって
その歌声に陶酔した。
雪見の凄い所は歌声もさることながら、一瞬にして歌の世界にワープ出来る事。
直前までいる現実の世界から、スッと瞬間移動してこの世から消え去り、
どこか違う空間に存在するであろう歌詞の世界へ、ストンと降り立つ。
だから直前まで母のことで思い悩んでいたとしても、イントロさえ始まれば
一切の感情を置き去りにし、歌詞の中へと飛び込めるのだった。
デビューした時も鮮烈だったが、今はその次元を遙かに飛び越えた。
歌に命が宿り、新しい解釈を施された第二章のようにも聞こえる。
それは明らかに健人との結束が強まって、歌に込める感情が
違うものへと変化したからに他ならない。
口にこそ出さないが、聞いてる誰もが同じ事を思っていた。
二人はいい付き合いをしてるんだな、と…。
デビュー曲を歌い終わり、スタジオ中からため息が漏れる。
思わず拍手してしまったスタッフもいた。
雪見の肩からもいい感じに力が抜け、ウォーミングアップは完了。
次の曲は『涙そうそう』
大好きな沖縄石垣島から、わざわざこの最終公演のためだけに駆けつけてくれた
三線のバンドをバックに歌うことになっている。
「わざわざ遠い所を来て頂いて、本当にありがとうございます!」
ピアノの前から歩み寄り、雪見がメンバーに笑顔で頭を下げる。
雪見が石垣島での撮影旅行中、気に入って何度も足を運んだライブハウスの、
人気イケメン三線バンド五人組。
彼らは事務所からのオファーに、二つ返事で駆けつけてくれたのだ。
「いや、こちらこそ光栄です!
まさか、こんな凄いライブに参加させてもらえるなんて、夢のようです!
あのー、握手してもらってもいいですか?俺たち五人とも、浅香さんの大ファンで…。」
はにかみながらペコリと頭を下げたメンバーは、小麦色に日焼けした肌に
白い歯が眩しい、健人や当麻と同年代のイケメンばかりだ。
それぞれが幼い頃から、三線をおもちゃ代わりに手にして育ったり、
母や祖母が三線の師匠だったりする環境で育ってきたので、見事なテクニックを持つ。
しかもライブパフォーマンスが素晴らしく、三線という伝統楽器を自由自在に
アイドルさながらのビジュアルで操るので、最近はマスコミにも注目され始めた
赤丸急上昇の人気バンドだった。
「私の方こそ、みなさんのファンですよ!石垣に滞在中は必ず聞きに行ってました。
だからみなさんが、私のバックで演奏してくれるって事務所に聞いた時、
絶対にウソだと思いましたもん!」
そう言って笑った雪見に、緊張気味だった五人の笑顔が弾けた。
「マジっすか!?めっちゃ嬉しい!あざーっす!」
雪見はその反応が意外で、クスクスと笑った。
「あ、ごめんねっ!なんか、健人くんと同じ話し方だったから。
だってライブじゃ沖縄言葉で話すでしょ?難しい八重山の方言で。
理解するのが大変なんだけど、旅行客はそれが嬉しかったりする。
それなのに今の反応は、こっちの人みたいだなーって。」
「ほんとっすか!?それ、まじヤバイです!勉強した甲斐があったぁ!」
どうやら五人は東京進出を目標に、日々標準語の若者言葉を勉強してるらしい。
なんとなくぎこちなくて、けど一生懸命さが伝わってきて、いい若者達だなぁと思った。
「じゃ、一回歌わせてもらってもいいですか?
わぁ、なんだか緊張しちゃう!もしかしたら感動して歌えなくなるかも。」
五人のライブの凄さを何度も体験してる雪見は、珍しく高揚していた。
怖さではなく、胸躍る緊張感。
五人の三線が鳴り響き出すと、初めてこの音色に遭遇したスタッフ達は
一様に目を見開く。
さらに雪見が歌い出すと、その非凡な才能同士が融合したセッションに興奮し、
スタジオ内が騒然となった。
青い海の匂いが確かに漂ったし、風の音も聞こえた。
それが証拠に、丁度スタジオに入ってきた健人と当麻、そしてなぜか付いてきた翔平も
自分たちがドラえもんの、どこでもドアを開けて沖縄に来てしまったかのように
錯覚し足が立ち止まり、しばらくはボケーッと立ち尽くした。
「すっげ!なにこれ…。」
翔平のつぶやきが、みんなの心を代弁してた。