誕生日の朝に
高級ホテルで束の間の休息を楽しんだ翌日から、仕事に忙殺されて一週間。
とうとう今日3月21日、健人の22歳の誕生日がやって来た。
「おはよう!健人くん、起きてっ!時間だよー!」
寝起きの悪い健人を起こすのは、いつも至難の技。
しつこく何度も起こされるのを嫌うので、いつもは早めに一度だけ声を掛け、
あとは自分から起きてくるのを、朝食の準備をしながら待つしかないのだが、
今日は雪見にとっても特別な日。
付き合い出してから初めて迎える、大好きな人の誕生日なのだ。
目覚める瞬間から素敵な一日をプレゼントしたいと思い、雪見はそっと
ベッドサイドにキーボードを運び込む。
♪Happy Birthday to you Happy Birthday to you
Happy Birthday dear 健人 Happy Birthday to you
雪見の歌声に健人が反応しないはずがない。
覚め切らない目をうっすら開けて見てみると、そこには朝の光を浴びて逆光に輝く
マリア様にも似た人が、にっこり微笑みこっちを見てた。
「あ!一回で起きてくれたぁ!おはよっ!22歳のお誕生日、おめでとう!」
キーボード前に立ち上がり、雪見が嬉しそうに健人の顔を覗き込む。
「あ…そっか。俺の誕生日…。そんで朝から歌ってくれたの?ありがと。
なんかね…。なんか天国から歌が聞こえてきたイメージだった…。」
そう言いながら健人は、気持ちよさそうに再びまどろみの中に戻ろうと目を閉じた。
「だめーっ!もう寝ちゃだめだよっ!今日は朝にお誕生会するんだから!
って言っても、いつもよりちょっとだけ豪華な朝ご飯、作っただけなんだけどねっ。」
雪見が笑いながら健人のベッドに腰を降ろし、その滑らかな頬を指先で撫でる。
「ごめん…。夜は二人っきりで、お祝いするはずだったのにね…。」
健人は、頬を撫でる雪見の手を握り、引き寄せてギュッと抱き締めた。
そうなのだ。初めての誕生日の夜を、二人は一緒に祝うことが出来なくなった。
午後八時から、毎月健人がやってるインターネット配信の生放送番組があり、
それが終ってから二人で食事に行く約束だったのだが、キャンセルになってしまった。
なんと、ニューヨークから帰国する六月以降に、健人初主演の舞台企画が持ち上がり、
今夜はその演出家や脚本家らとの、急な会食が入ってしまったのだ。
健人が、いつかはやってみたい!と言ってた舞台の仕事。
それが実現に向けて具体的に動き出したのだから、雪見も健人も大喜びした。
これでニューヨークでの演劇の勉強にも明確なビジョンができ、一層充実した
日々となることだろう。
そこで雪見は急遽、仕事に出掛ける前に誕生日を祝ってやろうと思い立ち、
歌のモーニングコールに始まって豪華な朝食を用意し、プレゼントも
朝に渡してしまおうと考えていた。
「いいのいいの!私の事なら気にしないで。
一緒に住んでるんだから、お祝いしようと思ったらいつだって出来るじゃない!
それより念願の初舞台なんだよ?そっちの方が、ずっと大事!
ほんと良かったねっ。今まで健人くん、頑張ってきたもんね…。」
健人が寝たまま抱き締めてる雪見の声が、微かに震えてる。
「うっそ!また泣いてんの!?この前、散々泣いたじゃん!」
「だってぇ!ほんとに嬉しいんだもんっ!」
健人が笑いながら、雪見の頭をよしよしする。
愛しさに胸がいっぱいになりながら、こんなにも人を真剣に想ってる自分が
妙に照れくさくて、それを隠すために雪見にキスをした。
「ね!必ず今日中に帰ってくっから、俺の誕生会はそれからやろう!
プレゼントもそん時にもらうよ。あ、飯は食って来ちゃうけど…。」
「じゃ、ワインに合うおつまみだけ用意して待ってる!
けど、遅くなっても全然いいからね。大事な仕事の集まりだもん。
そっちを最優先してね。」
「わかったよ。遅くなりそうだったらメールする 。
…っつーか、もうこんな時間じゃん!ヤバッ!」
慌ててベッドから飛び降りた二人の足元に、めめとラッキーが擦り寄ってくる。
朝ご飯の催促に来たのか、それとも「誕生日おめでとにゃ〜ん!」と言いに来たのか。
あいにくどっちか判らないので、「おはよう!」と二匹の頭をなでてからご飯をあげた。
「健人くんも急いで食べてね!」
「急いで…って、急いで食べきれる量じゃないだろ、これっ!
朝からどんだけご馳走なの!?
けど、俺のために早起きして作ってくれたんでしょ?ありがとねっ!」
残したのは夜に食べるから、と雪見に謝って、健人は慌ただしく準備を整え、
朝一番の撮影現場へと向かって行った。
「私も準備して出掛けなきゃ!
まずは母さんの様子を見に行って、その後はライブのリハーサルかぁー!
いよいよ最後のライブが近づいてきちゃった。もうすぐ引退なんだな…。
よしっ、頑張らなくちゃっ!」
雪見は、束の間の感傷に浸ったあと自分に気合いを入れ、準備してバタバタと家を出る。
出がけにはふと思い立ち、リビングの隅に置いてあったカメラバッグも手に取った。
なぜだか急に、母の姿が写したくなって…。
写真嫌いな母にカメラを向けたことは、今まであまり無いのだが、なぜか突然撮りたくなった。
頭の片隅に、ほんの一瞬フラッシュバックした宇都宮勇治の遺影を、
自分の中では気付かぬふりをして…。