健人の決心
「翔平っ!?」
「翔平くんっ!!」
「よっ!お疲れぇ〜!」
雪見らが撮影中であることなどお構いなしに、翔平がスタジオに入って来た。
仲良しな友達と、スーパーのお菓子売り場でばったり会った幼稚園児みたいに、
それはそれは嬉しそうに「いぇ〜い!」と健人らにハイタッチまでするものだから、
当然のごとく雪見はため息をつき、カメラを下ろす。
「どしたの?仕事?」
健人が雪見の顔を見て、苦笑いしながら翔平に聞いた。
「そ!隣りのスタジオで、これからグラビア撮んの。
こっちで健人たちがやってるって聞いたから、陣中見舞いに来たわけ。
しっかし、相変わらずカメラマンのゆき姉、かっけー!
いいなぁー!健人と当麻ぁ!俺も一緒に写っていい?」
「だーめっ!これは私達のツアー用の写真なんだからっ!
それに陣中見舞いなら、なんか差し入れぐらい持って来なさいよっ!
てゆーか、通りがかりの素人じゃあるまいし、普通は入って来ないでしょ、撮影中に!」
相変わらずの翔平と雪見のやり取りに、健人がまた始まった!と笑ってる。
当麻は、この二人の不思議な関係性に目を丸くした。
「なに…?ゆき姉と翔平って、どーいう関係?」
「うーん、しんのすけとみさえ的…な?」
そこへ隣のスタジオからスタッフが、スタンバイが出来たのでお願いします!
と翔平を呼びに来た。
「おっ!じゃ俺も一丁、格好良く撮られてきますかっ!ゆき姉、またねー!」
俺たちには何にもないのかよっ!と健人と当麻が突っ込もうと思ってると、
翔平は小声で何かを二人につぶやいて、スッとその場を立ち去った。
「えっ!?」
健人と当麻が驚いて振り返った時、すでに翔平の姿はそこになかったが、
耳に残る残響は、確かに翔平の口からもたらされた言葉に違いなかった。
『ゆき姉との同棲バレたっぽい。外に週刊誌が来てる。気を付けろ!』
翔平は撮影中を承知で、慌ててそれを伝えに来てくれたらしい。
集中力が大事な雪見には動揺を与えぬよう、二人だけにそっと…。
健人にしたって、動揺は大きいに決まってる。頭ん中が真っ白になった。
今まで事務所に言われた通り、細心の注意を払ってきたのに…。
だが今、雪見に非常事態を悟られる事があってはならない。
二人は俳優としての演技力を最大限に駆使して、何事もなかったかのように、
撮影を再開させた。
何も知らない雪見の顔とカメラを見つめながら、この後どうするのが
最善なのかを考える。どうしよう…。
「OK!終了!お疲れ様でしたぁ!みなさん、ありがとうございましたっ!!」
雪見が撮影に携わったスタッフ全員に頭を下げ、大きな声で礼を述べると、
周りからは温かな拍手が巻き起こり、にこやかに雪見の労をねぎらってくれた。
「あー終ったぁ!もしかして、これがSJを写す最後の仕事だったんだね…。
集中してたから、そんな事ひとつも頭に浮かばなかった。
ありがとねっ!ポートレートに自信が持てるようになったのは、二人のお陰だもん。
本当に…感謝してる。 」
健人と当麻に歩み寄り、改めて礼を言って頭を下げた瞬間、フッと肩から力が抜け
強気なカメラマンからただの雪見に戻り、急に涙がこみ上げてきた。
「なんでだろう…。これでお別れじゃないのに…。
これからもずっと近くにいるのに、一歩ずつ遠ざかってく気がする…。
私が事務所を辞めても、みんな友達でいてくれる…よね?」
ついさっきまで自由の身になれる日を、あんなに楽しみにしてたはずなのに…。
事務所を辞めてフリーに戻った途端、今まで出会ったこの業界の人達が
「あんた誰?」という顔でこっちを見るさまを、雪見は想像してしまったのだ。
「なに言ってんの!あったり前じゃん!
ゆき姉はただの浅香雪見に戻るんじゃない。斎藤雪見になるんだろっ?
だったら一生、俺の親友の奥さんじゃん!」
当麻が雪見にささやいて、にっこりと微笑んだ。
すると雪見の頬にパッと赤みが差し、本当に嬉しそうに健人に目を向けた。
胸がキュンと熱くなり、危うく抱き締めてしまいそうになるほど愛しい笑顔。
だが、その笑顔の下には未来への不安と恐怖も隠されていて、それを自分一人で
どうにかしようと、もがいてることも健人には判っていた。
『決めた…。今までは、俺がゆき姉に全部支えてもらってた。
ここからは、俺がゆき姉を支えて守ってく。
きっと…今が行動に移すべき時なんだ!』
「ゆき姉、帰ろっか!」「うんっ!」
そう言いながら健人は、左手人差し指のリングを、そっと薬指に移し替える。
当麻は、なんとなく健人が起こすであろう次の行動が予測でき、
「頑張れよっ!」と一言だけ健人に残して、先にスタジオを後にした。
「予定よりずいぶん早く終ったよね!久々に家でのんびりできるー!」
「翔平くんが乱入してこなかったら、もっと早くに終ったのにねっ。」
今野の車に乗り込みながら、健人が窓の外を見渡した。
だが、どこにもマスコミらしき人影は見当たらない。
きっと動かぬ証拠を掴むため、二人のマンションに先回りしてるに違いなかった。
どこかに寄り道し、この緊急事態を取りあえずは回避する方法だってある。
だが健人は、もうマスコミから逃げ回る気など更々なかった。
早く雪見を不安定な状況から解放してあげたくて、あえて渦中に飛び込む決意を固めてた。
ただ、健人の独断ゆえ、今野にだけは見つからないようにしないといけない。
「あ、今野さーん!帰りにビール買って帰りたいから、近所のコンビニで
降ろしてもらえますか?」
「え?ビールなら冷蔵庫に入ってるよ?」
「他にも買いたい物があんのっ!」
健人に言われた通り、今野は二人をマンション手前のコンビニで降ろし
Uターンして帰って行った。
これから起こるであろう大騒動など想像もせずに「気を付けろよっ!」
とだけ言い残して…。
コンビニでワインと牛乳、酒のつまみや健人が載ってる雑誌を買い込み店を出る。
外はまだ薄明るい。
なのに健人が「さ、帰ろ!帰ろ!」と言いながら雪見の手を取り、恋人つなぎをした。
「ちょ、ちょっと健人くん!誰かに見られちゃうでしょっ!」
いつもは絶対にしない行動をとった健人に、雪見は言いしれぬ不安を瞬時に抱いた。
「いいじゃん、別に。俺たち恋人同士でしょ。」
「どうしたの?急に。なんか変だよっ!?」
無意識に足にブレーキがかかる雪見を、健人が引っ張って歩く。
いたっ!!マスコミだっ!
マンション前にたむろするカメラマンらを視界に捉えて、健人は高鳴る鼓動を
落ち着かせるように、その繋いだ手をギュッと握り直した。
「うそっ!?健人くん、マスコミっ!どうするのっ!?」
「いいから、一言も声を出さないでっ!」
怯えた目をして見上げる雪見に、健人は優しい目をしてニコッと微笑んだ。
握り締めた指に輝く二人のリングが、永遠の勇気を与えてくれますように…。