初の単独ライブ?
「初の単独ライブって…どーゆーこと?
今の時間は、おばさんのお見舞いに行ってるはずなんだけど…。」
雪見からの短い意味不明メールに、健人が首を傾げてる。
大阪から東京に戻り、真っ直ぐCMの撮影スタジオ入りした健人。
メールが届いた時は丁度、セットチェンジのための待ち時間であった。
「ねぇねぇ、俺にも見せて!」
今回のCMで共演する翔平が、隣からケータイを覗き込む。
「なに?この短いメール!しかも字ばっかだし!
今どきこんなのあり?っつーか、これって完璧、業務連絡でしょ!
彼氏に送るメールとは思えないんだけど。大丈夫なの?おたくら。」
翔平が、割とマジで心配してるらしくて健人は笑えた。
「これがゆき姉なのっ!最初っからだから、別に何とも思わないけど。
俺のメールだって、こんなもんでしょ。」
そう言いながら健人は、翔平に見られないうちに素早くメールを返信する。
「まぁそっか!健人のメールも、最後にヒヨコが出てくるぐらいだもんね。
で、なんでヒヨコ?」
「なんとなく黄色くて、かわいっかなーと思って。
それよりさ、今日これ終ったら飯食いに行かない?
ゆき姉、女子会で遅くなるってゆーから。誰と女子会なんだろ?真由子さん達かな?」
「ねぇ。女子会って、一体何歳まで使っていい言葉なんだろね?」
「女はみんな女子なんだから、いいのっ!」
一方その頃、雪見はと言うと…。
母と二人、一階ロビー後方の隅っこで、この状況に茫然としていた。
患者さんや見舞客は勿論のこと、病棟看護師や外来看護師、先生や検査技師、
はたまた給食のおばちゃん達までもが、ガヤガヤと集結している。
いくら土曜午後の空いた時間帯とはいえ、ここまで集まらなくても…。
「ねぇ…。このままこの出口から帰ってもいいかな?」
雪見が隣の母に聞いてみる。
「母さんも、家に忘れ物取りに帰ろっかな…。」
今更ながらに後悔してると、手の中のケータイが震えて着信を告げた。
「あっ!健人くんからだっ!」
ここで聴いてるよ!
初ライブ、頑張れぇ〜
by KENTO
いつも通りに短い言葉だったが、それで充分健人の気持ちが伝わってきた。
元気と勇気も湧いて来た。
そうだ。離れてる健人くんにも届くように歌えば、きっとみんなの心にだって届くはず。
それにみんな、私の事なんて知らない年代っぽいし…。
知らないで聴いてくれる方が、こっちも気負わなくていいや!
たった二行のメールで雪見の気持ちは切り替わり、心のスタンバイが整った。
…のはいいんだけど、一体何を歌えばいいの?
その時だった。
「ゆきねぇーっ!お待たせっ!選ぶのに時間かかっちゃったぁ!
もう、遠い方の駐車場に車止めちゃったから、取りに行くのが大変で。
しかも雨がひっどいしぃ!
はいっ!これ。こん中から好きな曲、選んで!私が音出しするから。」
そう言って、雨に濡れた田中が差し出したのは、五枚のCDだった。
通勤中はいつもこのカラオケCDで、大声で歌いながら車を運転するそう。
「仕事前はテンション上がる曲を歌って、帰りは気持ちを静める曲を歌うの。
だから車の中は、ショップ並みにCDが積んである!」
可笑しそうに笑ったあと、雪見の目を見て田中が言った。
「みんなが元気になる曲がいいなと思って選んできたの。
少しでもみんなの心が、前向きになれる曲がいいなって…。」
あれっ?と思った。この人、優しい人なんだ。なんか第一印象と全然違う。
きっと患者さん想いの、いい看護師さんになれるよ!新人さん!
雪見が勝手に新人だと思い込んでるだけで、本当は凄腕の優秀な看護師であることを
まだこの時は知るよしもなかった。
「どれどれ?わっ!私の大好きな曲ばっかだ!えーっ、どれにしよう!
こん中から一曲となると、この歌もいい歌だし、こっちも捨てがたいなぁ。
…あっ!これがいいかも!
これならおばあちゃんでも知ってそう!いいですか?これかけてもらって。」
「了解っ!じゃ、みんなの前に行きましょ!私がゆき姉のこと紹介するから!」
「よしっ!行ってくるねっ!母さん、ちゃんと聴いててよ!」
そう母に言い残し、雪見は田中と共に大勢の聴衆の前へと出て行った。
ワイワイとした騒ぎが静まり、みんなの目が雪見一点に集中する。
このあまりにも近すぎる距離が、今までのライブとは別の、新たな緊張感を生み出した。
「やばっ!結構つらい状況だなぁ。みんなの視線が…。」
小声で隣の田中に訴える。
「大丈夫ですって!私に任せといてっ!」
そう言って彼女は、雪見を安心させるように自信満々に微笑み、
良く通る声で第一声を発した。
「おーい!みんなぁ!元気ぃーっ!?」
「元気ぃーっ!!」
「はぁぁ?」
予想外の第一声と、それに答え慣れてる様子の聴衆の返答に、雪見は呆気にとられる。
一番前にいる副院長先生の大声も聞こえたんだけど…。
「今日はねぇ!みんなのためにお姉さんが、素敵なプレゼントを用意したよー!
いっつもお姉さんの歌ばかりじゃ飽きちゃうかと思って、本物のアーティストさんに
来てもらいましたぁーっ!
紹介するねーっ!浅香雪見さんでーす!拍手ぅー!」
「ど、どうも初めまして!浅香雪見と言います。」
どのテンションでいけばいいのかわからなくて、取りあえずは普通に挨拶してみる。
が、今イチみんなの反応が悪い。
田中はどうやら、歌のお姉さんに成り切ってる様子。
仕方ない。もうこうなったらヤケだっ!
「みなさーん!改めて、こんにちはーっ!
今日は皆さんに歌を聴いてもらいたくて、やって来ましたぁーっ!
隣のお姉さんより下手くそかも知れないけど、聴いてやって下さいねぇ!
では、いきものがかりさんの『ありがとう』を歌いますっ!」
イントロが始まりざわつきが収まると、雪見はいつものように目を閉じて
フッと小さく息を吐く。
そして歌い出した最初のワンフレーズで、おおーっ!という驚きの声が上がった。
幅広い世代が知ってる歌だと思い雪見は選んだのだが、その歌詞は当然のように
雪見によって深く心の中に染み込んで、歌い終って目を開けると患者も看護師も、
副院長さえも目頭を押さえていた。
一呼吸置いて雪見は、大きな大きな拍手に包まれる。
みんなの弾ける笑顔と共に。
鳴りやまないアンコールに二度答え、握手責めからやっと解放されて母の元へと戻る。
「どうだった?」
「あんたって、凄い才能を持って生まれた子だったんだね。
あんたを産んで33年目にして、初めて知った!」
そう言って母は、嬉しそうに目を細めて笑ってる。
その頬には、拭き忘れた涙の跡が光ってた。