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厄介な親子

それから母のベッド周りは、ちょっとした騒ぎになってしまった。


さっきの看護師たちが、ナースステーションから同僚を引き連れて来るわ、

話を聞きつけた同じフロアの若い患者たちも、大勢詰めかけるわ…。

もちろんその中には小柄な婦長の姿も紛れてて、集まった患者らに一声掛けた。


「みんな!いい?静かにねっ!

これ以上人が増えると、サインの価値が下がっちゃう!」


「はーいっ!」 


「ええーっ!?」

雪見と母は同時に声を上げ、顔を見合わせて大笑い!


静かにしなきゃならない理由がそれかいっ!と婦長に突っ込みたかったが、

『婦長の言う通りよ!』と言わんばかりに、みんなが一瞬にして口をつぐんだので、

そのタイミングを逃してしまった。


雪見は、ともかく早くにこの騒ぎを収めなくてはと、並んでる順番にサインを開始。

だが、サイン自体まだそんなにする機会がないので、なんとなくぎこちない。

その手元を、ベッドの上から覗き込んだ母が一言。


「価値が下がると言うより、価値が無いように見えるけど…。」


すると、騒ぎの発端となった田中が、またしても声を大にして力説する。

「浅香さん!あなたの娘さんはほんっとーに、世間で注目を浴びてる人なんですって!

その人のお母さんが私の受け持ち患者さんだなんて、信じらんなーいっ!」

田中がまわりの人達と、またキャッキャと言い出したその時だった。


「皆さん!よく聞いて下さい!」


婦長がトーンを抑えながらも、本来の婦長に戻った威厳ある声で一人一人を見渡した。

その姿に、浮かれ気分の空気が一瞬でピシッと引き締まる。


「いいですか!このことは、絶対に内密にお願いしますよ!

いえ、私達だけがサインをもらったとか、そんな事を言ってるのではありません。

もしも誰かがこの病院に、浅香さんのお母様が入院してる事を漏らした場合、

どうなると思いますか?

ここに大勢の報道関係者が集まることは目に見えてます。

そうなった場合、浅香さんは勿論のこと、他の多くの患者さんのプライバシーまでもが

侵害される恐れがあります。どういう事かは、お分かりですね?」


婦長の言葉に、みんながハッと我に返る。

このアットホームな病院の雰囲気に、誰もが忘れそうになる事実。

自分は癌患者なのだと言うことを…。


実際この病院は、色々な科が入る大きな総合病院とは違い、ほぼ九割方が

乳ガン患者という、特化された個人病院。

それゆえに女性しかいないし、同じ病気をもつ仲間意識か、とても病院とは思えぬほど

明るく賑やかに暮らしていた。病気の重大さとは裏腹に。


今だって、あちこちの病室から笑い声が聞こえるし、看護師さんも交えて

お茶してる部屋もある。

十年前、母の入院に付添った雪見は、このあまりにも病院らしからぬ雰囲気に

ビックリしたのを覚えているが、そのお陰で親子共々落ち込む事もなく、

入院生活を送ることができた。


だが今回は、雪見の立ち位置が前回とは違う事を、婦長の言葉によって気付かされる。

そうだ、病院に迷惑はかけられない。これからの行動に注意を払わなくては…。

そう思った時だった。


「私…病室に戻ります。」「私も、戻ろっかなー。」


雪見のサインも貰わずに、一人また一人と離れて行くではないか。

雪見と母の事を、厄介な人が来たもんだという無言の言葉を残して…。

先程までの空気とは明らかに一変したことを、婦長や他の看護師たちも感じ取り、

まずいことになったぞという表情でお互いを見る。


「あの…。私、もうここへは来ませんから…。

だけど母だけは、どうしてもこの病院で治療を受けさせてやりたいんです!

母のこと…よろしくお願いします!」


雪見が、残った人達にそう言いながら頭を下げる。

それから母を見ると、母も同意してコクンとうなずいた。すると…。


「ちょっと待って!浅香さんも待って下さい!

私も婦長も、決してそんなつもりだった訳じゃないんです!

お願いだから、お母さんには会いに来てあげて下さい!」

田中が雪見に向かって、悲しげな目をして訴えた。


「そうだ…。婦長!三階のホール、これから使ってもいいですか?」

「えっ?あぁ、別にかまわないけど…。何するつもり?田中さん。」


「浅香さん!あ、お母さんじゃなくてゆき姉!

良かったら…ここのみんなに一曲歌ってもらえませんか!?」


「えっ!?私が…ですか?」

田中からのあまりにも唐突な提案に、雪見はまたしても母と顔を見合わせた。


「三階のホール、判りますよね?あそこで待ってて下さい!

私もすぐに準備して行きますからっ!」


「田中さんっ!ちょっと!」

雪見の返事がイエスなのかノーなのかも聞かずに、田中は病室を飛び出して行った。


「婦長!いいんですかっ!?三階は個室の患者さんたちがいるし…。」

残った看護師が困った顔して婦長の判断を仰ぐ。


「土曜日だから、もう外来診療は終ってる時間ね…。

誰か田中さんを捜して伝えて!一階の外来ロビーでやりましょうって!

浅香さん。私からもお願いできるかしら?

三連休だって言うのに、みんなには楽しみがないの。

もしあなたが歌ってくれたら、それは素敵なプレゼントになると思う。

お願いします!みんなにあなたの歌を聴かせてあげて下さい!」

婦長が雪見に向かって、最敬礼で頼み込む。

雪見が、どうしたらよいものかと悩んでいると…。


「雪見の歌、母さんも聞いてみたいな。

あんたが本当に歌手になったのか、どうも未だに信じられなくて…。

だってカラオケでさえ、子供の時以来一緒に行ってないし…。」


「母さん…。」


そう母に言われて、初めて雪見は自覚した。

今までいかに自分が母を振り向きもせず、一人でとっとと歩いていたのかを…。

母はいつまでもそこにいるものだと、疑いもしなかったから。

勝手に生きてる私を、後ろで笑って見ててくれると思ってたから。

でも違うんだ…。母は私の歌も聴かずに逝ってしまうのか…?



「歌わせて下さい。私で良ければ…。私もみなさんに聴いてもらいたいです!

そして母さんにも…。」


自分の口から出た言葉が不思議だった。

私はそう思ってるんだ。みんなに聴いてもらいたい、って…。

そうだったんだ…。



婦長の声で、ロビーコンサートのお知らせがアナウンスされる。

ガヤガヤとみんなが病室から出てきて、廊下でひとつの帯になり、

広い一階ロビーへと集まってきた。

その中には笑顔の雪見と母の姿も含まれているのだが、まだ誰も気付く様子はない。


そうだ!健人くんに伝えておかなくちゃ!


これから初の単独ライブ!

今夜急遽女子会入った。

悪いけど遅くなるから。

ごめんねっ!

   by YUKIMI



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