母さんのお見舞いで大騒ぎ
「母…さん?どう?気分は。」
ナースステーションで教えてもらった四人部屋へと行ってみる。
母のベッドらしい周りには、白いカーテンがぐるりと引いてあり中が見えない。
具合が悪くて寝てるのだろうか?と、雪見は恐る恐るカーテンの中に首を突っ込んだ。
「あら、雪見!お帰りっ!どうだった?コンサートは。」
母はベッドに横たわったまま、イヤホンをつけてラジオを聴いてるようだった。
「うん、頑張ってきたよ!二回ともお陰様で満員だった。
あ、これお見舞い!素敵なお花でしょ?
私の大好きなお花屋さんで作ってもらったの。ここ置くねっ!」
そう言いながら雪見は、ベッドサイドにある木目調のデスクの上に
そっとバスケットを置いた。
この病院は、母が十年前に乳ガンを患ってからずっとお世話になってる乳腺専門病院だ。
こじんまりとした個人病院だが、四人部屋と言っても一人ずつのスペースが広く、
ベッドからクローゼットまで、すべてが木目調の家具で統一されており、
ちょっとお洒落な自分の部屋的空間なのである。
「変わらないねぇ!この病院。前もこの部屋だっけ?」
「いや、隣りの部屋だったと思う。病棟の婦長さんも変わってなかったよ!
あ、そこに椅子あるから出して座りなさい。缶コーヒーでも飲む?」
「いや、今お花屋さんで飲んで来たからいらない。
それより、久々の抗癌剤はどうなの?具合悪くない?」
「ぜーんぜん!前も一回目は大丈夫だったじゃない!
まぁ三回目四回目あたりから徐々にはくると思うけど、先生の話じゃ、
十年前よりは格段にいい薬が出てて、吐き気もかなり押さえられるそうよ。
なんか別に、入院までしなくても良かった感じ。」
「だめだめっ!今回は検査がいっぱいあるんだから、大人しくしてなさいっ!」
その時だった。カーテンの向こう側から静かに声がかかる。
「浅香さーん!血圧測りたいんですけど、入っていいですかぁ?」
「どうぞー!」
入って来たのは健人と同じ年頃に見える、若い看護師だった。
「あ、母がお世話になります!よろしくお願いしますねっ!」
新人看護師さんだぁ!と勝手に思い込み、ニコッと笑いながら会釈する。
と次の瞬間、カーテンの中が思いもしない大騒ぎとなった!
「ええー っ!?うそーっ!?ゆき姉だぁぁ!!キャー!本物ぉ??」
その時の母の顔と言ったら!
突然カーテンの中に、ネズミでも放り込まれたかのような顔で驚いた。
と言うか、この若い看護師自体が放り込まれたネズミなのだが、
一番キャーキャー言ってるのはそのネズミだった。
まさか看護師が病室の中で、こんな大声を上げて騒ぐとは…。
呆気にとられて驚いた母と雪見であったが、いつまでも騒いでるその人を見てると、
雪見の存在がそこまで大騒ぎされる存在になってる事に、今度は新たな驚きを感じた。
「ちょっと、何事なのっ!どうしたの?田中さんっ!?」
ドヤドヤと人の気配と声がして、シャーッとカーテンが開かれる。
その「田中さん」らしき人の『しまったぁ!』という顔は、コメディドラマの
主人公ばりのオーバーアクションだった。
「何かあったんですか?どうしたんです、田中さん!」
そう言って先頭を切って入って来た小柄な中年看護師に、雪見は見覚えがあった。
「あ!婦長さん!お久しぶりです!母がまたお世話になります!」
雪見は十年ぶりに再会した婦長が、自分を覚えているかどうか定かではなかったが、
取りあえずこの窮地に立たされた「田中さん」を助けるため、いかにも懐かしそうに
ニコニコと挨拶をする。
「え?あら!浅香さんの娘さん?十年ぶりねぇ!
なんだか女優さんみたいに綺麗になって!元気だった?
あ…でもあなたにとっては、嬉しくもない再会よね。
大丈夫よ。お母さんのこと、あまり心配し過ぎないで。
あれから色んなお薬が出てきてるし、治療法も随分と変化してきてる。
詳しいお話は、近々院長先生からお母さんと一緒に聞いてね。
そうそう、田中さん!さっきは何を大声出してたのっ!?
ここは病室ですよ!患者さんがビックリして、詰め所に飛んで来たでしょ!」
やっぱり叱られてしまったか…。
まぁ、あんだけの大声を、寝てる人もいる病室で上げたのだから致し方ない。
その張本人の田中さんはと言うと…。
「だ、だって婦長!この人、誰だか知ってます?
昨日もテレビに出てたけど、今、グーグルの検索ワードランキング一位の
ゆき姉本人ですよっ!?」
「えっ!?あ、ほんとだぁ!やだ、うそみたーい!
握手してもらっていいですかぁ!?ちょっと、みんなを呼んで来なきゃ!」
そう言いながら、婦長と共にやって来た若い看護師と田中さんは、
バタバタと走ってどこかへ行ってしまった。
「な、なに?ゴーグルのなんたらかんたら、って…。」
「婦長。ゴーグルじゃなくてグーグルです。」
あとに残された「主任」と呼ばれてた人が、一度は婦長に説明しかけたが、
きっと理解出来ないだろうと判断したのだろう。
単純に「芸能人です。」とだけ説明をした。すると…。
「えっ!?浅香さんの娘さん、芸能人になったのぉ!?
どーりで女優さんみたいに綺麗になったと思った!
やだ!私もマジック持って来るから、サインもらってもいいかしら!」
なんと婦長までもが小走りに、病室を出て行ってしまったではないか!
それを見た主任は小さく苦笑いをし、「ああ見えて婦長は韓流ファンなんですよ。
結構ミーハーなんです。じゃ失礼します。」と頭を下げて出て行った。
あとに残された雪見と母が、同室の三人に「すみませんでした!
なんだかお騒がせしちゃって!」と申し訳なさそうに頭を下げて詫びを入れる。
だがその三人はかなりの高齢者で、なんの騒ぎやら、とんと理解できなかったらしい。
取りあえずはホッとする。
「あんたって…本物の芸能人になっちゃったわけ?」
母が雪見のことをマジマジと見回した。
「さぁ…。そうなの…かな?」
雪見もまだ半信半疑であった。
グーグルの検索ワードランキング一位って、一体…。
雪見も知らない世の中で、一体何が起きているというのだろう…。