打ち上げの夜は更けて
「ごめんね、健人くん。私やっぱ、バカなことしちゃったのかなぁ…。
今野さんに叱られちゃった。凄いチャンスを自分で捨てた、って…。
でもねっ…。」
ホテルに戻ったのは、すでに午前四時を回った頃。
打ち上げの後半はほとんどカラオケ大会状態で、酔ったお笑いコンビに雪見は、
酒を飲む暇も与えられぬほど散々歌わされた。
コンビは雪見の歌の合間に、ちょいちょいプロのつっこみを挟んでくる。
それがさすがに面白すぎて、参加者全員お腹を抱えて大笑い。
二人のお陰で、今までで一番楽しい打ち上げとなった。
今日一日でライブを三公演したようなもんだから、雪見はフラフラのクタクタで
ベッドへと倒れ込む。
だがどうしても寝る前に健人と話をしたくて、寝転がりながら電話をかけた。
「わかってるよ。ゆき姉のことは俺が一番よくわかってる。
俺ね…ここんとこ、なんからしくないなぁって思ってた。
ニューヨーク行くまでに売れなきゃ売れなきゃって、焦ってるゆき姉が。
だってさ、ゆき姉と結婚すんのは俺なんだから、俺が良ければそれでいいじゃん!」
「そうなんだけど…ね。別に私が売れたいわけじゃないんだけど、
なんだろ…健人くんに対する評価とか評判を下げちゃうのがヤダな、って…。」
「だーかーらぁ!俺に気ぃ使いすぎっ!しかも何?評価とか評判って。
俺、そんな事ばっか考えてる打算的な男に見える?」
「ゴメン…。もう言わない。
はぁぁ…。成るようにしか成らないか…。よしっ、開き直ろう!」
「そうそう!ゆき姉の得意なやつ。開き直り攻撃!
で、ついでに開き直って、そっちの部屋に行ってもいい?」
「だーめっ!こんな大阪のど真ん中のホテル、どこで誰に見られてるか
わかんないでしょっ!
今野さんにも言われたじゃん!今が一番大事な時だ!って。
さ、もう寝るよ!あー、あと三時間しか寝れな〜い!ちゃんと起きれるかなぁ?
健人くんも、すぐ寝てよねっ!」
「ゆき姉が隣りにいないと眠れないっ!」
「子供じゃないんだから、三時間ぐらい一人で我慢して寝なさいっ!
じゃ、おやすみっ!」
本当は、雪見だって健人の隣で眠りたかった。
だが今野の言う通り、ここで写真でも撮られるわけには絶対いかない。
必死に理性を保ち、甘える健人をあえて冷たく突き放して、ケータイ片手に雪見は
着替えもせずに気を失ったように眠りについた。
そして寝不足のまま大阪から戻った、その日の午後。
雪見は夕方からの撮影の前に母の見舞いへ行くため、行きつけの花屋へと立ち寄った。
「あら、雪見ちゃん!いらっしゃい!久しぶりね。元気にしてた?」
『どんべい』マスターの弟夫婦がやってる、小さくてお洒落な花屋
『Little Garden』は、雪見の癒やしの空間でもある。
この店のママは、ママと言うよりも雪見と年の離れた姉のような人だった。
今日も変わらぬ笑顔で迎えてくれてホッとする。
「ねぇ時間はある?ちょうど今、一息入れようと思ってたとこなの。
今朝焼いたケーキ、新作なんだけど味見してくれないかな。そこ座ってて!」
「ありがと!」
窓際に設けられた小さなカフェコーナー。
椅子に腰掛けて、小雨降る窓の外をぼんやり眺めていると、
テーブルにカフェオレと若草色のケーキが、コトンと置かれた。
「なになに、このケーキ!すっごい綺麗な色!春〜って感じ!」
大興奮の雪見にママは、「食べてみて!」とニコッと一言。
それは有機栽培の小松菜で作ったシフォンケーキだった。
今、巷では野菜素材のケーキがちょっとしたブームである。
それをいち早く試してみたそうだ。
春に芽吹く若草を思わせる緑の上には、うっすらと粉砂糖がふるってあり、
ケーキの横に生クリームも添えてある。
一口食べると思った通り、優しい優しい味がした。
「美味しい…。」
そう口にした途端、雪見の瞳からは思いもしない涙がぽろりと落ちた。
「そう?良かった。」
一瞬、ハッとした顔を見せたママだったが、それだけ言うとあとは何も聞かずに
ただ柔らかな眼差しでコーヒーを飲みながら、雪見のことを見守った。
「ご馳走さま。本当に美味しかった!細胞が生き返った感じ。」
雪見が小さく笑って見せる。
「で、今日のお花は?どんなの作ればいいの?」
涙の訳も聞かずにママが立ち上がり、たくさんの花の前で雪見の注文を待っている。
「母さんに…。うちの母さんのお見舞いに持ってくお花が欲しいの。」
「お母さん?入院なさってるの?」
「そう。乳ガンの再発で…。昨日から入院して抗癌剤治療してる。」
「そうだったの…。」
涙の理由に合点がいった。でも、それだけじゃない気もしてる。
「抗癌剤治療中なら、匂いのきついお花はダメね。
任せといて!どんなお花がいいかは、私がよく知ってる。」
「えっ?」
「だって私も、乳ガン患者だから。」
そう言ってママは、雪見が入って来た時と同じ笑顔でニコッと微笑んだ。
「うそ…。ママが?ママも乳ガンなの?いつから?手術はしたの?」
矢継ぎ早に雪見が質問する。
自分の母以外で、初めて身近で出会った乳ガン患者だった。
「うーん、今年で六年目になるかな?右胸は全部取っちゃったよ。
あ、でもぜんぜん判らないでしょ?
私、元々ガリ子さんだから、胸取っても誰も気が付かなかったもの!」
そう言って可笑しそうに笑ってる。
ママはプロの手際よさで、話しながらも次々と花をチョイス。
そして病院のベッドサイドに置くのに、丁度良い大きさのバスケットを選び
花にパチパチとハサミを入れて、瞬く間にお洒落で素敵なアレンジメントを完成させた。
「気分が沈んでる時は、これぐらい明るい花が丁度良いと思う。
もちろん抗癌剤の最中は匂いに敏感になるから、ほとんど香りの無い
お花を選んである。大丈夫だと思うよ。」
「ありがとう!ぜーったい母さん、喜んでくれる!お花が大好きな人なの。
けど一度もこんなお洒落なアレンジメント、プレゼントした事なかったな…。」
雪見は母とのこれまでを振り返り、あまりにもそっけなく接して来たことを後悔してた。
「ねぇ!今日お仕事何時に終るの?人気者になっちゃったから忙しい?」
「え?今日は夕方からグラビア撮影が一つだけだから…。
多分、八時頃には終ると思うけど。」
「おっ!うちの閉店時間とピッタリ!今日ね、ダンナが出張でいないんだぁ!
二人で女子会しない?女子会!」
「女子会!?」
ママがお茶目な顔して、ぺろっと舌を出す。
「47歳だって女子だもんねー!」と笑いながら… 。
夜を楽しみにして、雪見は母の待つ病院へと車を発進させた。