記念写真
早朝五時。
今日一日の暑さがすでに想像できるような、強い朝の光。
昨夜は健人と飲み明かそうと思っていたのに、なんだか二人きりでいることが急に恥ずかしくなり、私は早々に客間の布団へもぐりこんだ。
そのお陰で飲み過ぎることもなく、爽やかに目覚めた朝だった。
みんなが起きてくるにはまだ早い時間。
そっと顔を洗い化粧を済ませ、朝の澄んだ空気を吸いに散歩でもしてこようと思ってた。
部屋を出て玄関に向かうと、そこにはバケツをのぞき込む健人の姿が。
なぜかドキドキして、どう声をかけようか一瞬迷った。
「お、おはよう健人くん。ずいぶん早起きだね。いつもはなかなか起きられないのに。」
「なんか寝てるのがもったいなくて。勝手に目が覚めた。」
「なにしてたの?蟹、まだ生きてる?」
「うん。三匹死んじゃったけど、二匹はまだ生きてる。
かわいそうだから、昨日の場所に返してこようと思って。」
「そうだね。それがいい。私も今、散歩に行こうと思ってたとこ。一緒に行ってもいい?」
「もちろん。じゃ、ちょっと着替えてくる。」
Tシャツにハーフパンツ姿の健人が、二階の自分の部屋へと戻って行った。
「お待たせ。じゃあ、出かけようか。」
「うん。」
二人は青いバケツを手に、昨日の河川敷へと歩き出した。
夏の早い朝には、結構な人達がそこを散歩してたりジョギングしてたり。
健人は、サングラスでこの懐かしい景色が変わって見えるのが嫌で、いつもの黒縁眼鏡でここに来た。
幸い、歩いているのは年配ばかり。健人に気づく人は誰もいない。
「すっげー気持ちいい!最高っ♪」
「ほんと、いい朝だね!やっぱ早起きって、お得な感じ。空気が新鮮!」
「俺も明日から、毎日早起きすっかな。」
「うそだぁ(笑)」
「すげぇ!なんでもお見通し。」
健人が笑って私を見た。
昨日とは違う、どこか踏ん切りついたような、霧が晴れたような笑顔になんだかホッとした。
昨日、子供たちが話してた、大きな石がたくさんある河原に着く。
確かにそこは川の流れから少し外れていて、大きな石で囲まれた水溜まりがいくつもできていた。
「川の水が、めっちゃ気持ちいい!じゃ、離してやるか。」
バケツの中に手を入れて、健人が一匹目の蟹を指でつまんだ。
その蟹に言って聞かすように「もう捕まるなよ。」と呟く。
そっと水の中に離してやったら、蟹は急いで石の隙間に隠れた。
続いて二匹目の蟹を捕まえ、これにも言って聞かす。
「きっと今日もお前らのこと捕まえにくるやつがいるから、石の下でじっとしてろよ。」
そう言いながら、石の入り組んだ場所へ離してやった。
「昔は蟹なんて、捕るのが面白いだけでさ。
次の日バケツん中で死んでても何とも思わなかったけど、今は可哀想なことしてたなって思う。
やっぱこいつらは、ここにいるからいいんであって、バケツの中にいたんじゃ意味がないんだよ。
大人になってからわかることって、いっぱいあるよね。」
バケツの中の水を全部川に空けながら、健人が納得したようにそう話した。
「ほんとだね。大人にならなきゃわからない事って、いっぱいあるよね。
それにひとつずつ気づいていくのが、大人になるってことなんじゃないかな。」
私の言ったことがよくわかる、というように健人がこくんとうなずいた。
名残惜しそうに、川面をじっと見つめる健人。
と、その横顔に、突然カメラのシャッター音が。
びっくり顔の健人も、私は逃さずカメラに収めた。
「えっ?休みだから撮影は無しじゃなかったの?しかもデジカメ隠し持ってるとか、ズルくね?」
「残念!お休みは昨日でおしまい! 今日からまたお仕事三昧の毎日だからね。
いきなりはアイドルの斎藤健人に戻れないだろうから、少しずつウォーミングアップしておかないと。
それにオフの写真撮って行かないで今野さんに叱られるの、やっぱやだしー。」
私が笑いながら健人にカメラを向けた。
「ねぇねぇ。オフの写真なんだから、アイドルの顔しないでよ。カメラの方、向かないで!」
「それって、偽装工作じゃないの?」
「いいのっ!だって、スタジオに戻るまではオフなんだから。」
それから何枚か、川に手を浸したり川面を眺める姿などを不自然にならないように撮り、もうそろそろ家に戻ろうかと健人が立ち上がる。
「あ、そうだ!ねぇ、イケメン俳優の斎藤健人さん。
私、あなたの大ファンなんですけど、一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」
私が健人に真顔で聞く。
「は?なにそれ? あぁ、いいですよ。一緒に撮っても。」
健人が笑って答える。
そう言えば、まだ一度もツーショットって撮ったことが無いなぁと思い出し、私はこの休みの記念に、ここで健人と写真に収まりたいと思ったのだ。
私がデジカメをこっちの方に向け、腕を限界まで伸ばして準備する。
「ねぇ。人気俳優斎藤健人の、一番かっこいいキメ顔で写って!
あー、やっぱ三脚ないとムリかなぁ。持ってくればよかった。」
「アイドル顔は、好きじゃないんじゃなかったっけ?」
「そんなことないよ。どんな健人くんも好きだよ。
でも、いま一番欲しいのは、超アイドルの写真っ!」
「へーんなのっ。ま、いっか(笑)」
どんな健人も好き、と言われて健人は素直に嬉しかった。
「じゃあ、ゆき姉も俺にお似合いの女優顔して写ってよ。」
「やだ!そんな顔できるわけないじゃん。だって私、女優じゃないもん。」
「冗談だよ(笑)ゆき姉はそのままで充分綺麗だから大丈夫。
せっかくだから、誰かにシャッター押してもらおうよ。
あ、すいませーん!ちょっとシャッター押してもらえますか?」
そう言って、散歩途中のおじさんに声をかける。
「じゃ、写しますよ!はい、チーズ!」
シャッターが切れる直前、健人がいきなり私の肩を抱いて引き寄せた。
「ありがとうございました!」
健人を知っていそうもないおじさんに頭を下げ、礼を言う。
写してもらった写真を確認すると、そこには月刊誌の巻頭グラビアみたいな超絶イケメン顔した健人と、笑顔半分ビックリ半分の、中途半端な顔した私が写ってた。
その後ろには、空っぽの青いバケツが河川敷の柵にぶら下がり、持ち主の訪れを待っている。
今日も暑い一日の始まりだ。