ターニングポイント
「なんか、わけわかんないうちに終っちゃった!
私、最後の歌しか記憶に無いっ!」
生放送の出番を終え、大急ぎでスタジオを飛び出した健人や今野たち。
その後ろを、置いていかれないよう必死に早足で歩く雪見の声も無視して
ライブ会場に向かうべく、急いで地下駐車場に待機していたタクシーに乗り込んだ。
が、地上に出た途端行く手を阻むのは、スタジオ観覧の抽選に外れ、
健人の出待ちをしていた大勢のファンたち!
ひと目健人を拝んでからライブ会場へ移動しようと、テレビ局周辺は
若い女の子達で溢れかえっていた。
それを数名の警備員がチームワークも鮮やかに、素早く手際よく対処して
タクシーの進路を確保する。
健人は、そこにいるのがライブのお客さんだと思うと無視することは出来ず、
窓越しに微笑んで小さく手を振った。
それを見て、隣りに座る雪見も慌てて手を振る。
芸能人たるや人に見られてる限り、一時たりとも気は抜けないのだと勉強になった。
やっと走り出したタクシーに、やれやれと安堵する健人と雪見。
そこへ今野のケータイに、東京の事務所から電話が入る。
「え?雪見の猫の写真集に問い合わせが殺到!?
そりゃまた凄い話だが、あいにくうちの事務所に入る前の仕事だからなぁ。
へぇ!ライブの当日券は二回分とも売り切れたの!もう早?
すっごいなぁ!あの二人の人気は、関東の俺らが思ってる以上らしい。
こりゃ思わぬところで、強力な宣伝部長を見つけたぞ!
これを逃すわけにはいかないよな…。
よし!あの二人に雪見の応援団になってくれないか、正式にオファーしてみよう!」
「ええーっ!?」
後ろの座席で今野と事務所のやり取りを聞いてた雪見と健人は、同時に声を上げた。
どうやら、今野から雪見に課せられた、ほぼ達成不可能と思われた目標
『三月中に有名になる!』は、思いもしなかった応援団の出現によって
一気に現実味を帯びてきた様子。
「ゆき姉、なんだか凄い事になりそうじゃん!」
「凄い事って言ったって…。どうなっちゃうの?私…。」
楽しいことが始まりそうで、ワクワクと目を輝かせてる健人と違い、
雪見はこの先の展開が読めず、不安でオドオドしてた。
「まぁ、まずは今日のライブをきっちりこなすのが先決だからな!
今回は一日二回公演だし、相当体力を消耗するだろうが、来てくれる
お客さんに対しては、一回目も二回目も同じレベルじゃないと失礼だぞ!
そこんとこモチベーションをしっかり保って、気合いを入れて望め!」
「はいっ!!」
そうだった。先の事など考えてる場合じゃない。
まず会場に着いたら真っ先に、ロビーで行われる写真展のチェックに
取りかからなくては。
それからリハーサル前に、関西地区のマスコミが集結した囲み取材があって
それからそれから…。
札幌に続き二ヶ所目のライブ。
大体の構成は同じだとしても、今野の言う通り一日二回公演は初めての体験だ。
果たしてどれほどのものになるのか、さっぱり見当もつかない。
とにかく一回目の開始時刻まで、あと2時間半あまり。
今更、悩んだり立ち止まったりしてる時間は一分たりとも無いのだ!
…と雪見は自分に気合いを入れてみたのだが、お腹だけは正直にグゥーッと返事した。
会場周りには、すでに大勢のファンが集まっていた。
それを横目で見ながら、またタクシーは地下へと潜り込む。
今野は「まずは腹ごしらえしてからスタートしよう!」と言ったが、
雪見はどうしても先にロビーの様子を確認しておきたくて、楽屋へは寄らず
真っ直ぐ写真展を見に行った。
相変わらずお腹の虫は鳴いていたけど、それは無視して。
すでに準備は整っていて、二人残ったスタッフがパネル写真の微調整をしている。
広いロビーに合わせ、札幌会場よりも展示数は増やしてあった。
「お疲れ様です!どうもありがとう!凄くおしゃれな空間にしてくれたんですねっ!」
雪見がにこやかに後ろから声をかけると、スタッフは驚いたように振り向き頭を下げた。
そこから先はスッとカメラマンの顔に切り替わり、きりりとした表情で
全体のバランスや配置を見て歩く。
ゆっくりと最後に一回りしたあと、自分の中で力強い確信が持てた。
やっぱり私は写真が一番に好き!この仕事こそが私の天職だ!と…。
そう思ったら、歌う事は自分が楽しめて、聞いてるみんなも心地良かったら
それでいいんじゃないかという気がして、ストンと肩の力が抜けてきた。
「よしっ!こっちは完璧です!
じゃ私、ライブの準備にかかるから、あとはお願いしますねっ!よろしく!」
またいつもの笑顔に戻りスタッフに頭を下げて、雪見は大急ぎで楽屋へと駆け込んだ。
「雪見ちゃん、急いで急いで!
お弁当食べながらでいいから、髪を先にやっちゃおう!」
雪見の到着を待ち構えてたヘアメイクの進藤が、取りあえず囲み取材用に
ヘアスタイルを整える。
「あー、お腹がぺっこぺこ!いただきまーす!」
本当はがっつりお弁当を食べたいところだが、そんな猶予はなさそうなので、
サンドイッチとコーヒーでひとまずお腹を満たしておこう。
「そうだ!雪見ちゃんにお花届いてるよっ!熱烈なファン二人組から。」
進藤が指差す方を見ると、そこにはつるで編んだお洒落なバスケットに入れられた
綺麗な花が置かれていた。
送り主はもちろん、先ほどのお笑い二人組である。
「わぁーっ!めっちゃ、おしゃれー!このまま家に飾りたいっ!」
好みを知り尽くした二人ならではの、ナチュラルカントリー風アレンジメントに、
雪見は大興奮である。
「また、随分と凄い二人に好かれたものねっ!
こんな大きなライブの前にテレビの仕事だなんて、時間が無いのにぃ!
とか思ってたけど、今日の生出演は雪見ちゃんにとって、もしかしたら
ターニングポイントになったかもよ!」
「またぁ!進藤さんは大袈裟なんだからっ!」
そう言いながら雪見はカラカラと笑ったが、まさしく進藤の予感は大当たりであった。
それから二十分後。
集まった報道陣の数は、今野らの予想を遙かに超えていた。
しかもあろう事か、健人に向けられる質問より、雪見に対する質問の方が
確実に多いのである。
「ま、まぁ、健人の事は、みんな大体は知り尽くしてるからぁ!
雪見は、謎の人物っちゃあ謎の人物だし…。にしても…な?」
「はぁ…。」
いつまでも終りそうにない雪見への質問に、時間を気にしつつも
今野と及川が首を傾げた。