大阪上陸っ!
「あ、母さん?おはよ!どう?今日の体調は? そう!良かった。
ごめんねー、入院するのに付添ってあげられなくて…。
私?これから新幹線乗るとこ。母さんも、そろそろ出るんでしょ?
忘れ物ない?病院着いて何か思い出したら、メールに入れといて!
明日の午後には戻るから、持ってってあげる。」
東京駅の新幹線ホームは、朝から移動を開始する大勢の人々によって、
わさわさと空気が揺れている。
雪見はそんな喧噪の端っこに身を置いて、自宅を出る間際の母と電話で長話をしてた。
時折、雪見に気付いた若者が寄ってきて握手を求める。
雪見は失礼かとも思ったが、その度に電話を切るわけにもいかないので
母との通話はそのままに、空いてる手で握手に応じた。
周りの人々の、『誰?』という怪訝そうな顔。
そんな顔に遭遇するたび雪見は、今野の「三月中に有名になれ!」と言う
呪文のような言葉が勝手に聞こえ、「無理っ!」と大声を出しそうになるのだった。
「じゃ私、もう乗るね。治療頑張るんだよ!私も頑張って来るからっ!
じゃーねっ!行って来ます!」
ホームで母とギリギリまで話した後、ひょいと雪見は新幹線に飛び乗った。
程なくして滑らかに滑り出した、午前8時20分発新大阪行の新幹線のぞみ。
その車内は、明日からの三連休に思いを馳せた満員の客で、ざわざわと
未だ落ち着かないでいる。
雪見はもう少しだけここに居て考え事をしたいと、席には戻らずデッキに一人たたずんで
窓の外をぼんやりと眺めていた。
今日は全国ツアー二ヶ所目の、大阪でのライブが行われる日。
それと同時に、雪見の母の抗癌剤治療スタートの日でもあった。
これから母はタクシーに一人で乗り、一人で病院へ向かい、一人で入院手続きをする。
一人でじっと午後からの抗癌剤治療を待ち、一人で不安と戦い、一人で
苦しみにも立ち向かうのだ。
さっきの電話でその事を母に詫びたら、「子供じゃないんだからっ!」
と笑って一蹴された。
「あんたねぇ、母さんのこと心配する暇あったら、健人くんを心配しなさい!
あんな売れっ子のイケメン俳優、ダンナにしちゃったら、健人くんが
ちょっと調子悪いだけで、全部あんたのせいみたいに言われるんだよ?
ちゃんと食事の管理とか健康管理とか、してあげてるの?」
……思い出したっ!
私、健人くんに頼まれた野菜ジュースを買いに、ホームに降りたんだった!
慌ててポケットの中からジュースを取り出すと、良い具合に温くなってる。
「あっちゃぁ…。しょーがないかっ!」
やっちゃった!と思いながら雪見は、トボトボと健人らの待つ車両のドアをくぐった。
「ゆき姉!どこ行ってたのさっ!?
今野さんが、乗り損ねたんじゃないか!?って、あっちに捜しに行ったよ!」
マスクをして一応顔を隠した健人が、雪見が入って来たのと反対方向を指差して
小声で言った。
「ごめーん!ちょっとホームから母さんに電話したら、話が長くなっちゃって…。
やばっ!今野さんにメール入れとこ!
あのねぇ、これの事すっかり忘れてたの。はい…。」
雪見は、直前までポケットに入ってた野菜ジュースを、健人に差し出した。
「ぬっる!ホット野菜ジュースやねん!しょーがねーなぁ。
いいから座り!で、おばさんは元気だった?これから入院するんでしょ?」
健人はちょいちょいエセ関西弁を口にしながら、野菜ジュースにストローを挿す。
一口飲んで眉間にシワを寄せ、「飲んでみ。」と雪見にジュースを手渡した。
「うーん、マズっ!しばらく窓際に置いて冷やしといて。
母さんは相変わらず元気だったよ、今の所はね。
母さんの心配する暇あったら、健人くんを心配しなさい!って怒られた。」
笑ってる雪見を見てると、健人はホッとする。
「大丈夫だよ。おばさんはきっと、病気になんて負けないから…。」
そう言いながら健人は雪見の手を取り、ギュッと力強く握って微笑んだあと、
またそっと手を元の位置に戻した。
ほんの一瞬ではあったが、健人の温もりは充分全身に行き渡り、何の根拠もないが
それでも母は大丈夫だと思い込む事が出来た。
明日大阪から戻ったら、なるべく早くに顔を見に行こう。
…などと悠長に考えてたら、今野が睨みを利かせて戻って来た!やばっ!
「お前なぁ!勘弁してくれよー!ほんっと、ほぼ完璧に乗り損ねたと思ったぞ!」
今野は雪見に対し、げんこつをお見舞いするポーズをした。
「ごめんなさーいっ!!けど私って、そんなに信用ないですかぁ?」
「信用の問題じゃなくて、雪見なら絶対あり得る!って誰もが思う、
お前のドジさ加減が問題なのっ!」
今野の言葉に、隣で健人が声を殺して笑ってた。
そして定刻通りに新大阪へ到着後、ライブ前の一仕事として直行した
テレビ局でのこと。
「はぁ!?当麻が新幹線に乗り損ねたぁ?嘘だろーっ!!」
「ええーっ!?」
「うそっ!?」
準備を整え、あとは出番を待つだけの控え室に、今野の大声が響き渡った。
健人と雪見の驚きの声と同時に…。
電話の相手は当麻のマネージャーらしい。
当麻は朝早くからドラマ撮りがあり、健人らとは別々に大阪入りする事になってた。
この後の生番組はスケジュール上、最初から無理と判ってたので
健人と雪見の二人で出るのだが、問題はそれ以降だ。
事の真相は、どうも出発3分前にホームに降りて、飲み物を買いに行ったのが原因のよう。
もたもたしてる所をファンの集団に見つかり、囲まれて乗り損なった様子。
当然のことながら、ケータイと財布しか持ってないとの事。
当麻のマネージャーも、マネジメント部長である今野に、こっぴどく叱られている。
「アホかぁ!なーにやってんだよ、あいつはぁ!
リハーサル中には着くだろうけど、その前の囲み取材は間に合わないんじゃね?」
健人が壁の時計に目をやりながら、ため息をつく。
「やっぱ私と当麻くんって、行動パターンが似てる気がする!」
同じことで怒られる同士ができ、雪見は嬉しそうに能天気に笑ってた。
トントン!
「斎藤さん、浅香さん、そろそろスタンバイお願いします!」
「はーいっ!」
「よっしゃ!いっちょ行きますかっ!」
「なんか関西のバラエティー番組って、よく考えたら怖ーいっ!」
「今頃やめーや!俺までビビるやろっ!!」
長い廊下を二人、ドキドキしながら歩く。
まさか、これから出演する番組が雪見人気に火をつけようとは、
この時誰が想像したであろう…。