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残された時間

「うそでしょ…?十年たったら完治だって…言ってたよね?

おばあちゃんが死んで十年経つんだから、母さんの乳がんも十年経ったよね?

なんで?なんでそれなのに再発なの!?」


雪見は、まさか自分の悪い予感が現実のものになろうとは、夢にも思わなかった。

母の様子からもそれはあり得ないだろうと、すっかり油断していた。

それほどまでにこの母は他人事のように飄々としていて、それが無性に

腹立たしく思えてくる。


「ねぇ!なんで早く教えてくれなかったの!?一体いつ判ったのよ!

これから先、どうなるの!?」

雪見の反応は想定内の事と、母は何一つ表情を変えるわけでもなく、

これからの長々とした説明に備えて、まずはお茶で喉を潤した。


「結果がちゃんと出たら、勿論あんたにも伝えようと思ってたわよ。

再発となったら、隠しておけるような治療じゃないし。

あんたも女である以上、いつ乳がんになってもおかしくないんだから、

きちんとした知識を持ちなさい。

十年が完治の目安って言われてるだけで、十二年目で再発する人だっているの。

あんた、乳がん検診、ちゃんと行ってるでしょうね?」


「行ってるわよ!私の事なんか、今はどうでもいいでしょ!?

今知りたいのは、これから母さんがどうなって行くのかって事だけ!」



そう、母さんの未来が知りたいの…。

この先も母さんはそこにいてくれるの?

私と健人くんの未来を、一緒に見てくれるの…?


そう思った瞬間、プツンと何かが弾けた音がして、雪見の瞳からコロコロと

涙の粒が転がり出した。


再発という言葉には、絶望感しか湧き出てこない。

十年前母が乳がんに冒されたと聞いた時、何も知識が無かった私は必死に資料を読み漁り、

その時持てる乳がんに関する知識を、すべて体得したつもりでいた。

あれから十年…。その後、医療は進歩してくれただろうか…。



「雪見。よく聞きなさい。人間の死亡率は百パーセントなの。

誰もが平等に、この世から消えてゆくのよ。

たとえ母さんが乳がんにならなかったとしても、いつかは必ず最期の時がやって来るの。」


「それが…答え…?お医者さんが…そう言ったの?

やだ…。そんなのやだっ!」


雪見は泣いた。子供のように…。

十歳の時、父を亡くしたあの日と同じように。

またあの時と同じ事が起こってしまう、と恐怖に打ち震えながら…。



雪見がしばらく泣き止みそうもないと見ると、母はすっとキッチンに消え、

程なくしてまた席に着くと、コーヒーの良い香りが漂い出した。

そして雪見を慰めるかのように、ピョンと猫が膝に飛び乗る。

泣きながらもその柔らかな背中を撫で、大好きなコーヒーの香りを嗅いでいると、

いつの間にか雪見の心は落ち着いていた。


「はい、カフェオレ。健人くんもカフェオレしか飲めないんだっけ?

あんた達って、意外と似た者夫婦かもね。まぁ干支が同じで血液型も一緒だから。」

二人ともブラックコーヒーが飲めない事を根拠に似た者夫婦と言い、

それを干支や血液型にまで結びつける。

母は相変わらず脳天気なところがあると、まだ半分泣きながら無言で思う。


「しっかし、健人くんがあんたのダンナになるとはねぇ!

あんな売れてるイケメン俳優、親戚じゃなかったら、絶対あんたと縁なんて無かったよ!

うちのばあちゃんと、ちぃばあちゃんに感謝しなさい!」


「わかってる…。ちゃんとお礼言って来た…。」

雪見が下を向いたまま、ボソッと呟いた。


「それにしても健人くん、本当にあんたでいいのかな?

周りにもっと可愛い女優さんとかモデルとか、よりどりみどり選べるだろうに。

あんたにすぐ出戻って来られても、母さん困るんだけど。」

母が、しかめっ面して雪見を見る。


「健人くんはそんな男じゃないからっ!

ずーっと一生私の事を守ってくれるって、プロポーズしてくれたんだもん!

ゆき姉以外はあり得ない!って。」

いきなり顔を上げ、必死に訴える雪見を母はクスッと笑った。


「そう!だったら安心した。あんたの事は、健人くんに任せたよ。

あんたももっと努力して、健人くん自慢の奥さんになりなさい。

年が一回りも違うって事は、それなりに努力が必要なんだからねっ!」

母は力強く雪見に檄を飛ばした。

健人くんと一生仲良くやっていきなさい、と遺言のように…。


それから母は雪見が落ち着いたと見て、今後の治療方針や見通し、仕事についてなど

伝えるべき内容を業務連絡かのように、淡々と伝えた。


「抗癌剤治療が始まると、多分物理的にも体調的にも無理な期間があるだろうけど、

仕事は最後まで辞めないから。

あと一年、定年までは何としてでも頑張る!施設長にも許しを貰ってるから。」


「なに言ってんの!無理に決まってんでしょっ!今すぐ仕事なんて辞めなさいよ!!」


「これだけは誰に何と言われようと譲れない。たとえあんたが泣いて頼んだとしても!」


どう考えても無理…だ。

母は長年、老人介護施設で働いていた。若い職員でも体力的にきつい仕事が多いのに、

母はそれさえも「天職だから平気!」と喜々として。


「時々、自分の親の面倒も見ないで他人の世話をするなんて、何やってんだろ

って思う事があるけど、あの人達を置いて札幌へは行けない…。

みんな私の事、娘だと思ってるから。

まぁ、本当の親からしたら、とんでもない親不孝娘だけどね。」

そう言って少し寂しげに笑ってたことがある。


あの人達から、生きるとは何か、死ぬとは何かを毎日教わってる、とも…。



母は頑固だった。

一度自分で決めたことは最後までやり通す、執念にも似た根性を持ち合わせていた。

それは今も昔も変わらず、だからこそ女手一つで私達姉弟とおばあちゃんを

養ってこれたのかも知れないし、今も、残された時間を生き抜く希望に

つながってるのかも知れない。


ため息をついたところで事態は変わるわけでもなく、だとしたら

とっとと頭を切り替えて次に進まなくては!と思うのは、まるっきり母の遺伝子なんだな

と雪見は改めて思った。



「母さん。私、ここにしばらく戻って来るよ。一緒に暮らそう!

私が母さんの残りの人生、サポートしてあげる!」


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