緊張を癒す思い出の写真
「あー、お腹空いたぁ!やっぱ早起きすると、お腹が減るもんだねっ。
やだ、みんな美味しそう!全種類食べたいかもー!」
朝八時。雪見と健人が大急ぎで祖父母宅からホテルに戻り、何食わぬ顔で
朝食バイキング会場に現れる。
健人たち一行は、あえて一番最後の食事時間帯を希望したので、広い会場に
数組の客がまばらにいるだけで、人目を気にする事なく朝食を楽しめそうだ。
これが東京だったら、あるいは札幌雪まつり時期だったらそうはいかないだろう。
すでに当麻や今野らは、昨夜のススキノ後遺症のせいか、控えめに盛ったご飯を
食べ始めるところだった。
健人と雪見も慌ててトレーに皿を乗せ、健人は和食、雪見は洋食をチョイスして
当麻の隣のテーブルにつく。
「おはよう!外の景色見た?新しい雪が積もって真っ白!めっちゃ綺麗!
お天気もいいし、ツアー初日には最高の朝じゃない!?」
朝っぱらからハイテンションな雪見の乱入に、当麻や今野、周りのテーブルの
スタッフたちも顔を見合わせた。
「お、おはよう。なんで朝からそんなに元気なの?しかもそんなに食べんの?朝から?」
雪見のトレーに並んだ皿数を見て、当麻が少々引いた。
「だって、お腹ペコペコだもん!当麻くんこそ、そんな少ししか食べないの?
リハーサル中にお腹減っちゃうよっ!」
そう言いながら雪見は「いただきまーす!」と手を合わせたあと、モリモリと
野菜サラダを頬張り、嬉しそうにベーコンエッグを口に運び、二つ目の
クロワッサンに手を伸ばし、フレッシュジュースをゴクゴクと飲み干し
フルーツヨーグルトを食べて、食後にカフェオレを飲んだ。
「すっげ…。もしかして、まったく緊張とかしてないわけ?
俺なんて、朝飯も食わなくていいかなって思ったくらいなのに。
夜中に何回も目が覚めちゃうしさ。ヤバいくらいに緊張してんだけど…。」
それっきり当麻の箸は、ぱたりと動きが止まった。
「へぇーっ!めずらしくね?当麻がそんなに緊張すんの。
大丈夫だって!一人でやるんじゃないんだから。
誰かの失敗は、誰かがちゃんとカバーするって!それがキズナだろっ?」
「さっすが健人くん!そうだよねっ!だって絆がテーマのツアーだもん!
『SJ』のデビュー曲だって『キ・ズ・ナ 』でしょっ!」
「ねぇ!俺今いいこと言った?」
雪見と健人が楽しそうに笑ってる。
二人でいれば怖いものなど何もない、と言うふうに。
当麻にはそれが少しだけ羨ましかった。
今ここにみずきがいれば、自分もそう思うことが出来るのだろうか?
頭の中で想像してみたが、そうとも言い切れない気がした。
だけど…早くみずきに会いたい…。
午前十時、健人達を乗せたバスがホテルを出発。
バスに乗り込むところから、ビデオカメラが回される。
後日、ツアーの様子を収めたDVDが発売されるのだ。
雪見の祖父母宅前を通過して、ツアー初日の札幌文化ホールへと向かう。
開場六時、開演七時なので時間はたっぷりあるような気がしたが、実際は違った。
ホールのロビーで行われる、健人と当麻の写真展の監修を雪見が担当し、
リハーサルの合間に三人でマスコミ取材を数件受け、ホール近くにあるテレビ局二社の
ローカル番組にも、ほんの数分づつだが揃って生出演した。
慌ただしくテレビ局から戻り、あとはライブの準備に専念するだけだと安堵する。
少し時間が空いたので、三人でロビーの写真展を見て回ることにした。
その頃には、常に向けられてるビデオカメラも雪見は気にならなくなり、
いつもの「ゆき姉」としてビデオに収まった。
「見て見てっ!この写真。今回の私のイチオシ!どう?」
雪見が指差したのは、沖縄竹富島で写した未公開ショットの大きなパネルだった。
猫が集まる海岸の大きな木陰に腰を下ろした健人と当麻が、一匹の人懐っこい猫を相手に
葉っぱを猫じゃらし代りにして遊んでやってる光景だ。
猫好きな二人が、まるっきり素の表情で猫を見つめる瞳が優しい。
向こうに広がる白い砂と青い海、そして眩しい太陽が、あの楽しかった
三人旅と沖縄の風を思い出させた。
「めっちゃ、このパネル欲しいっ!」当麻が真っ先に叫ぶ。
「俺もっ!これ部屋に飾ったら、すっげオシャレくない?また沖縄行きたくなった!」
健人も興奮気味にそう言った。
「そんなに気に入ってくれた?良かったぁ!
これはね、絶対大きく引き延ばした方が綺麗だと思って、写真展用に取っといたの。
じゃ、ツアーが終ったらもう一枚パネル作って、二人にプレゼントしてあげる!
あーこれ見たら、なんだか私もまた沖縄行きたくなっちゃったな…。」
寒い所にいると、余計温かい場所が恋しくなる。
雪見は竹富島の民宿のおじさんを思い出し、元気かな…と思いを馳せた。
おばさんが亡くなってから、どうしてるかな…と。
「よしっ!じゃあさ、今度またみんなで沖縄行こうよ!
次はみずきも一緒に、念願のダブルデ…!?」
健人が「ダブルデート」と言おうとして、慌てて口をつぐむ。
カメラが回ってる事をすっかり忘れてたのだ。
「ダブルデ、ダブルで…そうだ!ダブルで自転車の二人乗りっ!!
当麻、やりたかったんだよねっ?俺らみたいに竹富島で二人乗り!
まぁゆき姉の場合は、自転車に乗れないのが判明したんで、仕方なかったんだけど。」
かなり苦しい展開にはなったが、なんとか健人が自分で危機を回避した。
が、それでもやっぱり編集でカットするしかないか?
三人が苦笑いしているところへ、コツコツとロビーに響く足音が近づいて来る。
「なぁに?沖縄に私も連れてってくれるの!?いつ?いつ行くの?
今度こそ絶対みんなと一緒に行くからっ!」
「みずきっ!!」
振り向いてみずきを見た瞬間の、当麻の笑顔といったらなかった。
いくら交際宣言した後とは言っても、ファンには配慮しなければならない。
抱き締めたいくらいに嬉しかったが、カメラが回ってる手前グッと堪えて握手で我慢する。
「やっとみんなに追いついた!早く合流して緊張をほぐす手伝いしようと思ったけど、
誰も緊張なんかしてないようね!
さすが『SJ』と『YUKIMI&』だけのことはある!安心したわ。」
そこへ、最後のリハーサルを始めると、スタッフが呼びに来た。
刻一刻と近づく本番の時。
だが、みずきの言う通り、誰も緊張するとは口にしない。
むしろこの緊迫した空気を、第三者的に楽しんでるふうにも見えた。
その姿を側らで見ていた今野は、このツアーの成功をすでに確信したのだった。