いよいよツアー!
「ねぇ、このコートじゃ寒かったかな?やっぱダウン着てくればよかった?
今野さん、晩ご飯はススキノで食べるんですよね?少しだけなら飲んでもいい?
いやぁ、美味しい毛蟹が食べたいな!海鮮鍋でもいいな!めっちゃ楽しみっ!」
羽田発新千歳空港行の機中後方。
搭乗して座席に落ち着いた途端、三人掛けの真ん中の席で一人テンション高めに
喋り出したのは、健人…ではなく雪見である。
「ゆき姉、少し落ち着いて!こんなとこで目立つと、また厄介なんだからっ!」
窓側の席に座る健人が、シートに身を沈めるようにして小声で注意する。
「お前ってやつは、まったくっ!
緊張してお腹が痛いだのなんだの、さっきまでギャーギャー騒いでたのはどこの誰だっ!?
そんだけ食い気があるなら、明日のライブは大丈夫だな!
にしても、健人達がバレるから静かにしてろっ!」
通路側の今野にも、呆れ顔で警告された。
いよいよ明日1月25日、札幌を皮切りに全国ツアーがスタートする。
雪見はその興奮と緊張を、喋る事によって紛らわすしかなかったが、
さすがに飛行機の中ではうるさすぎた。
冬の新千歳空港行きは、大雪で欠航することも多々ある。
なので健人ら一行は、それぞれが一仕事終えてから、前日夕方の便で現地入りするのだ。
斜め後ろの席では、すでに当麻が眠りについてる。
連日の過密スケジュールとツアーのリハーサルなどで、疲労困憊してるのは
見た目にも明らかだった。
「当麻くん、大丈夫かなぁ…。相当疲れてるよね。」
ちらっと後ろを振り返り、雪見が心配そうに健人に話しかける。
「うん…。けど、あいつなら大丈夫だよ。根性あるしタフだから。
北海道の美味いもん食えば、体力も回復するって!
あ、それに明日みずきの顔見たら、あっという間にエネルギーチャージ完了!」
そう言って健人は、雪見を安心させるように笑って見せた。
みずきも当初は一緒に札幌まで行く予定だったのだが、急遽入った仕事のお陰で
同行することが出来なくなり、明日お昼の便で会場に駆けつける。
どうしてもツアー初日は当麻に付いててやりたいと、相当マネージャーにごねたらしい。
それぞれが、それぞれの思いで迎えるツアー初日。
三人とも、出来る限りの努力はしてきたつもりだ。
だが、いくらリハーサルを重ねても、やはり不安は無くなりはしない。
お互い本業とは違う事をするのだから。
経験不足というものは、何においても常に不安との戦いだ。
それを、いかに自分の中で処理して平常心を作り出し、ここまで積んできた成果を
少ない成りにも一つ残らず出し切るか。
完璧に出し切ったところで、それを生業としている人には、どうやっても
太刀打ちできないのだが、お金を頂いて聴きに来てもらう以上、素人だから
というのは言い訳にすぎない。
俳優だから。カメラマンだから。そんな意識は捨てねばならぬ。
そこが乗り越えなくてはならない壁であり、プレッシャーでもあった。
健人と雪見は昨日の夜、寝る前にベッドの中でこんな会話をした。
「はぁぁ…。とうとう始まっちゃうね、ツアー。私の人生最大の緊張感だ…。
カメラマンになった時は、まさかこんな日が来るなんて、想像もしてなかったもん。
人生って、どこで何が起こるか判らないよね。」
「まじ俺もそう思う。けどさ、人生ってその連続で作られて行くんじゃない?
新しい道に出会った時、そっちに進むか古い道を進むか。
俺だって、原宿でスカウトマンが俺の前を素通りしてたら、今頃普通に大学生になって
普通に就職してたはずだもん。それが俳優になって、アーティストになろうとしてる。
運命の分かれ道ってやつ?人生ゲームそのものじゃん!」
健人の言ってることが良く解ったので、雪見はガバッと身体を起こして賛同した。
「ほんとだねっ!私もそうだ。仕事辞めて専門学校行ってカメラマンになった。
で、真由子んちで偶然健人くんの写真集見て、専属カメラマンになって
今はアーティストになろうとしてる。
全部の分かれ道でそっちを選んだのは自分。それが今に繋がってるんだよね。」
「そ!そんで今度は俺たち結婚しようとしてる。
まったく違う道を歩いてきたのに、ここからまた道が一つになるんだ。
それって凄くね?」
健人が世紀の大発見をしたかのように、目を輝かせて言う。
それがめちゃめちゃ可愛くて、思わず雪見は抱き付いて頬にキスした。
「凄い凄いっ!じゃあきっと私達がアーティストになったのも、この先の
どこかの道に繋がってるんだよね!よーし!そう考えると頑張れそうな気がする。
どこの道につながってんのか、楽しみにしてよっと!」
雪見の気分を少しだけ方向転換してやれて、健人は嬉しそうに微笑んでた。
それからも二人は、久しぶりに時間を忘れてお喋りを楽しんでる。
今野から、一分でも多く寝て体調を整えておくように!との業務命令も忘れて…。
「そういや、ゆき姉のじーちゃんとばーちゃんって、札幌にいるんじゃなかったっけ?」
「そう!ホテルが急遽変更になったでしょ?予定してたホテルがバレちゃって。
その変更になったホテルのすぐ近くに住んでんの!歩いて五分ぐらいのとこ!」
「うっそ!?なにそれっ!マジで?じゃ、挨拶に行かなきゃ!」
「いいよいいよ。私がちょこっと顔出して来るから。
母さんにも頼まれてんの。様子を見て来てって。
年寄りの二人暮らしで母さんも心配してるんだけど、今更東京になんて住む気ないだろうし、
かと言って母さんも、札幌にはそうそう行けないし…。」
健人と雪見は、お互い父方の亡くなった祖母同士が姉妹のはとこだが、
雪見の母方の祖父母はまだ札幌に健在である。
しかも今回宿泊するホテルと祖父母の自宅とは、目と鼻の先。
さらにその先には北の歓楽街、ススキノが広がっていた。
「やっぱ、俺も一緒に行きたい!ちゃんと挨拶だけはしておきたいんだ。
『雪見さんと結婚させていただく斎藤健人です!』って。
だって、ゆき姉のじーちゃんとばーちゃんなんだよ?」
「健人くん…。」
「大事な孫を嫁にもらうんだから、当り前だろ?
それに札幌まではなかなか行けないし、こんなグッドタイミングはないじゃん!
よしっ、決めたっ!今日はホテルに戻るの遅いから、明日の朝二人で行って来よう!」
そうして健人と雪見は札幌で迎えた朝早く、少々二日酔いの頭を抱えて
雪見の祖父母の家へと歩いて出掛けた。
早朝積もった真っ白な雪に、今日から始まる新しい足跡を残しながら…。