まさかのプロポーズ
「私…がニューヨークに?健人くんと一緒に行く…の?」
「そう、一緒に行って欲しい。
今、思った。たった二ヶ月半でも俺、離れて暮らすのは無理だわ。
だって、ゆき姉は俺の分身だから…。」
健人が真顔で言った。雪見の瞳だけを真っ直ぐに見つめて…。
相手が真剣に言ってる事ぐらい、重々承知してるつもり。
だが、ついさっき日本を離れると聞いた時、一瞬『何の相談も無しに!』
と頭にはきたけれど、六月の自分の誕生日には帰って来るのだから、まぁいいか!
と思ったばかり。
健人は雪見と違って、言葉も行動も思い付きでは決して発信しない。
この人気絶頂期に事務所を説得してまで、自分のスキルアップに行くのだから
「頑張っておいで!」と笑顔で送り出そうとは思っても、一緒に行こうとは考えもしなかった。
「ち、ちょっと待って!あんまり突然すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃ!
えーと、四月でしょ?『YUKIMI&』は三月一杯で引退だから、四月には
元のフリーカメラマンに戻ってる訳だ。
って事は、別に私はどこで何してようとも、構わないっちゃ構わない訳ね…。
けど写真集とかグラビアの仕事、もう受けちゃってるのが何件かあるし、
猫も撮りに行きたいし…。」
結局雪見の中では、なんだかんだ言ってても、すでに答えは出ているのだ。
行きたいならとっくに「うん!一緒に行く!」と即答してるはず。
そう言わないって事は、健人と雪見の恋愛温度の違いか。
はたまた年齢差や性格の違いもあるのかも知れない。
決して愛情レベルが低下してきたとは、思いたくはないのだが…。
しかし、次に発した健人の重大発言が、雪見の心をまたしても大きく揺さぶった。
「そんで…ニューヨークで結婚式して来よう!」
「えっ…?」
それは、あまりにも突然すぎるプロポーズだった。
『プロポーズ…?なに今の?本当に今のはプロポーズだったの?
もしかしてニューヨークのどこかに、模擬結婚式を挙げられるアトラクションでもあって、
そこに遊びに行こうと誘ってる…ってパターンもあるでしょう!
あぁ、きっとそうだ!そうに違いない!
私って、すーぐ早とちりしちゃうから。危ない危ない!』
まったくもって雪見は、この訳のわからぬ状況から現実逃避しようとしていた。
「ねぇ!俺の話、聞いてる?聞いてた?今の。」
「え?あぁ、聞いてたけど。」
雪見は平然とワインを飲んで、またデザートの続きを口に運んだ。
「はぁ?なにそのノーリアクション!
俺、今めっちゃドキドキしながら言ったんだけど!」
健人の声が思わず大きくなる。
「シーッ!声が大きい!ニューヨークに私も一緒に行って、健人くんの勉強の合間に
遊んでこようって話でしょ?ちゃんと聞いてるから!
あー、美味しかった!真由子と香織ぃ!ご馳走様でしたっ!」
雪見が両手を合わせて、親友二人に感謝した。
「な、なに言ってんの!?俺、そんな面倒くさい言い方した?
どこをどう解釈して、そんな話になっちゃったわけ?
つぅーか、めっちゃストレートにプロポーズしたつもりなんだけど。」
「えっ…?プ、プロポーズ?」
それっきり雪見は固まってしまい、時間が止まったかのようだった。
健人が自分にプロポーズするなんて、あり得ない。嘘だ…。
ワインと店の雰囲気に酔って、ちょっとドラマチックなセリフを言ってみたくなっただけ。
そうに決まってる!
またしてもボーッとした顔で、視線を空中に泳がせ始めた雪見を見て、
健人は慌てて再度チャレンジする。
「ほんっとにっ!あと一回しか言わないから、ちゃんと聞いててよ!
どんだけ勇気いるか知ってんの?俺、近々プロポーズしようと決めてから、
ぜんぜんメシが喉通らなくなったんだからっ!」
「その割にはめっちゃ食べてたでしょ、さっき。」
「だって、二人して何にも食べない訳にはいかんでしょーが!
ドラマの撮影だと思って無理矢理食べてたんだぞ!これでも。」
「へー、そうだったの?ぜんぜんわかんなかった!
さすが若手ナンバーワン俳優、斎藤健人だけあるねっ!」
そう雪見が言ったあと、二人ともクスクス笑い出した。
なんて可愛い人なんだろう…。
お互いがそう思って相手を見ていた。
健人がスッと椅子から立ち上がり、壁のクローゼットを開けて、自分の
コートのポケットから何かを取り出す。
「こんな展開になるんなら、始めっからこれ出しときゃ良かったな!」
そう言いながら雪見の横に立ち、小さな箱を差し出した。
「えっ…?」
ガタンと音をたて、雪見が思わず立ち上がる。
恐る恐る箱を受け取り蓋を開けると、中にはキャンドルの炎を映し出し
キラキラと輝くダイヤの指輪が現れた。
「俺と…結婚しよう!いや、結婚して下さいっ!
っつーか、俺、やっぱゆき姉のいない生活は考えれなくて…。
本当はゆき姉の仕事を考えて、こっち帰って来てから式挙げようかと思ったんだけど…」
「わかった!もういい…。」
「え…。」
途中で遮られた言葉に、健人は一瞬不安になる。
だが、指輪を見つめて涙を浮かべる雪見を、絶対に誰にも渡したくはなかった。
そっと引き寄せ、ギュッと抱き締める。すべての想いが伝わるように。
「俺、ずーっと一生ゆき姉を守っていく。
こんな仕事してるから、ゆき姉に嫌な思いさせることもあるかも知れないけど、
それを忘れさせるくらいの楽しい時間を、俺が作ってあげる。
ゆき姉にしたら俺は頼りないかも知れないけど、少しでもゆき姉に近づけるように努力する。
年の差婚なんて言葉、みんなが忘れるくらいに頑張るから…。」
最後に健人は余計なことを言ってしまった。
ほぼ100%固まりかけてた雪見の心を、たった一言で振り出しに戻してしまった。
年の差婚…。
浮かれすぎて忘れてた、今ちまたで流行の言葉。
健人と結婚した場合、必ず言われるであろう一番言われたくない言葉。
スッと引っ込んだ涙を、どう取り繕って健人から身体を離そうかと思案したが、
うまいタイミングでドアの向こうからノックが聞こえた。
「申し訳ございませんが、閉店のお時間でございます。」
雪見の返事は保留のままに、二人は店を後にする。
明日はいよいよデビューだと言うのに、大きな宿題を抱えたまま家路を急いだ。