突然の誘い
『なんだろ…話しておきたい事って…。
もし…。もしも別れ話だったら、どうしよう…。
他に好きな人が出来たとか、結婚することになった、とか?
え?出来ちゃった結婚とかも、あり得たりする!?』
雪見の頭の中は、ありとあらゆる悪い話で埋め尽くされ、それ以外の思想など
生まれる気配も無い。
当然、目の前に勢揃いしたご馳走よりも、ワインにばかり手が伸びた。
「ちょっと、ゆき姉!なんで自分で全部持って来させたのに、一つも食べないわけ?
これなんて、めっちゃ美味いから!もう二度と食べれないかも知れないじゃん!
あ!それ食べないなら、半分ちょーだい!」
雪見とは裏腹に、今日の健人はよく食べる。
「別に、全部食べてから話を聞こうと思ったんじゃなくて…。」
話の途中で何度も部屋に出入りされたくなかったのだ。
別れ話の途中とか、泣いてる最中に…。
雪見はたまに一口何かをつまむだけで、後はひたすらワインを飲んでいる。
自分の心を手っ取り早く防御するには、ダメージを受ける前に麻酔をかけるのがいい。
グラスを片手に、目の前の人をぼんやりと眺める。
健人は食べ物を本当に美味しそうに食べる人で、テレビのバラエティー番組なんかで
何人かの共演者と料理を食べる場面を見ても、断トツに美味しそうにもりもり食べる。
それが実に若者らしく爽やかで、雪見が健人を好きな理由ベスト5に確実に入るのだ。
「ねぇ。さっきから何でジッと見てんの?
それに、何にも食わないで飲んでばっかいたら、酔っちゃうよ!」
これから重大発表する割に、健人は冷静だった。
「健人くんの食べてるとこ見るの、大好きだから。
私のこと気にしないで、全部食べていいよ。これもあげる!」
「そんなに食えねーって!しょーがねーな!
ゆき姉があんまり酔わないうちに話しとくか。俺ね、四月…」
「ストップっ!ね、もう話ちゃうの?もっと後でもよくない?
ねーねー、うちら明日デビューするんだよ?もうちょっと、明日からの話をしようよ!」
雪見には、まだ心の準備が出来てなかった。
閉店時間の十時半までに話を聞いて、泣いて、泣きやんで、涙を拭いて
何事も無かった顔をして店を出るには、もう本題に入らなければ間に合わない。
だが、ここで時間を気にして泣くよりも、家に帰ってから思う存分泣いた方が良いと判断し、
引き延ばし作戦に出ることにした。
「なんか信じらんないよね!明日から歌番組とかに私達が出るんだよ?
まぁ健人くんはテレビの中の人だから、そんなに違和感無いだろうけど
私なんて、つい何ヶ月か前まで猫追っかけて、草むらとかにいた人なんだから!
学生時代の同期とか、テレビ見てビックリするだろうなぁー!
あー、またドキドキしてきちゃった!明日の歌番組…。
いきなりの生放送って、事務所も冒険し過ぎでしょ!失敗したらどうしよう!」
一人で喋りまくり、明日の事を考えたら本当に緊張してきた。
その時、ガタンと木の床に音を響かせて健人が席を立つ。
そしておもむろに雪見の後ろに回り、そっと背後から雪見を抱き締めた。
「大丈夫。俺が付いてるじゃん!俺たち一心同体だろ?
『YUKIMI&』には必ず『SJ』が一緒についてんだから、大丈夫だよ。
…俺さ。四月になったらニューヨークへ、芝居の勉強に行こうと思ってんだ。」
「えっ!?」
初耳だった。抱き締められ、耳元でささやかれた優しい言葉の余韻に浸る間もなく、
雪見の頭が混乱し始める。
健人がいなくなるってこと…?
突然もたらされた『話しておきたい事』は、出来ちゃった結婚ではなかったにしても、
健人が雪見の前からいなくなるという事実に、何ら変わりはなかった。
「嘘でしょ?そんな話聞いてない!」
真後ろの健人を振り向き、ガッと腕を掴んで離さなかった。
「ごめん!ずっと事務所を説得してスケジュール調整してたから…。
でもやっと四月から時間をもらえたんだ!
仕事の合間にするレッスンじゃなくて、芝居の稽古だけに二ヶ月半どっぷり浸かれるんだよ!」
「え?二ヶ月半?四、五…なーんだ!六月の後半には帰って来るんじゃない!
あービックリしたぁ!もう、脅かさないでよね!
『きちんと話しておきたい事がある』なんて真面目な顔して言うから、私てっきり…。」
「てっきり…って、何の話だと思ったの?」
健人が再び席につき、雪見のグラスと自分のグラスにワインを注いだ。
「い、いや別に…。あー、なんだか今頃お腹空いてきちゃった!
今何時?もったいないから、急いで食べよ!
えーっ!?これ、めっちゃ美味しい!あったかいうちに食べれば良かったぁ!」
すっかりいつもの雪見に戻り、「幸せー!」と言いながら料理をパクつく姿を、
今度は健人がワイン片手に頬杖ついてクスッと笑いながら、さっきからずっと眺めてる。
「やっぱ、決めた!」
「え?何が?」
「俺と一緒にニューヨークに行こう!」
「ええーっ!?」
健人からの突然の誘いに、雪見はデザートのスプーンを落としそうになる。
だが健人の誘いは、それだけには留まらなかった。