さまよう健人
「おかーさーん!お兄ちゃん達、帰ってきたよー!」
玄関先で花に水やりしていたつぐみが、私の車の到着に気付き、キッチンにいる母に向かって大声で叫んだ。
「よっ!ただいま。」
「早かったね、お兄ちゃん。」
「ゆき姉が、想定外に飛ばし屋だったから。」
「誰が飛ばし屋だって?(笑)
こんにちは、つぐみちゃん。今日はお世話になります。」
「ゆき姉がうちに泊まるの、何年ぶり?」
「いつ以来だろ? 十年以上前なことは確かだわ。
つぐみちゃんも健人くんも、まだ子供だったもん。」
三人でワイワイ言いながら玄関を入った。
「おばさん、おじゃまします!お言葉に甘えて来ちゃいました。」
「いらっしゃい、雪見ちゃん。よく来てくれたわ。
いつも健人がお世話になって、ありがとねっ!」
「こちらこそ、健人くんのお陰で、いま大きな仕事させてもらってるんですよ。本当に感謝してます。」
ここの家族には、私の仕事が決まってすぐに健人からメールが入ったそうだ。
「お兄ちゃんのメール、めちゃくちゃだったんだから。
どんだけ嬉しかったか知らないけど、理解するのにお母さんと悩んだんだよ。
専属カメラマンってことだけは、理解できたけど。」
「俺、そんな変なメール送った?
自分じゃ、ちゃんと打ったつもりなんだけど。」
「だいたいお兄ちゃんのメールは、字ばっかで読みにくいのっ!」
「おめーのメールこそ、絵文字ばっかで読みにくいわ!字を知らんのか。」
私は可笑しかった。
私といる時の健人くんは甘えん坊の弟みたいなのに、ここに帰った健人くんは、ちゃんとお兄ちゃんの顔してるもんね。
つぐみちゃんも、自慢のお兄ちゃんなんだろうな。
「さぁさ、お腹すいたでしょ?お昼ご飯用意したから食べなさい。」
「えーっ。車ん中でサンドイッチ食ったから、あんまり腹減ってない。」
「なに言ってんの。あんたはいいけど、雪見ちゃんは運転してたんだから、お腹すいてるでしょ。」
「ゆき姉も、なんだかんだ言って食ってたよ。」
「あ、いただきます。でもその前に、お仏壇お参りしていいですか?
ちいばあちゃんにお線香上げさせて下さい。
あ、つぐみちゃん。美味しいケーキ買ってきたから、あとで食べて。
それと、お待ちかねのコタとプリンの写真集、持ってきたよ。ごめんねぇ遅くなって。
送ってあげようと思ったのに、健人くんが行った時でいいからって。」
「そして自分だけ先にもらったんでしょ?いっつもズルいんだから。
わーい!ありがと、ゆき姉 ♪
キャー!うそみたい!コタとプリンだー!」
写真集を開いてみんなで騒いでると、二階から虎太郎とプリンが降りてきた。
その二匹を捕まえ健人は、それはそれは嬉しそうに抱きしめる。
「コタ!プリン!いい子にしてたか?会いたかったぞぉ!」
「コタ、プリン、こっちおいで!
ゆき姉があんた達の写真集、作ってくれたよ。見て見て!」
健人とつぐみで、二匹の取り合いが始まった。
そんな二人を、私は温かな気持ちで笑って見てた。
軽く昼食をご馳走になり、私と健人は腹ごなしに近所の河原へと散歩に出かけることにした。
昔この家に遊びに来たときには、必ず出かけた思い出の場所だ。
「そんなに遅くならないで戻ります。夕食の準備、手伝わせて下さいね。
おばさんにキムチの美味しい漬け方、もう一度教えてもらわなくちゃ。
じゃあ、ちょっと行ってきます。」
私は、まだ強い日差しを避けるためにつばの広い帽子をかぶり、健人は顔がバレないようにサングラスとキャップをかぶった。
「お兄ちゃん、マスクはいいの?」
「暑くてさすがに無理!ま、大丈夫だろ。」
久しぶりに歩く、懐かしい河原。
あの頃より河川敷の木々は生い茂ってるけど、風の匂いは何も変わらず、二人の間に涼しげな記憶を蘇らせた。
「きっもちいいー!最高だね。やっぱ、ここ来て良かった!」
「ほんと懐かしいね!あの頃は、ここでドッジボールとかしたっけ。
よく健人くんにボールぶつけて泣かしたね (笑)」
「そうそう!めっちゃ早いボール投げてくるんだもん。
今考えると、大人げないよなー。」
笑いながら健人は、芝生の上にゴロンと大の字になる。
「見て、ゆき姉。すっごい青空!きっもちいいー♪
てか、眩しすぎー(笑)」
サングラスを外し、天を指差す健人の横顔。
そっちの方が、よっぽど眩しいよ…と、私は少しドキドキしてた。
「俺さぁ。子供の頃、ずっとお姉ちゃんが欲しくてさ。
よく母さんに、お姉ちゃん産んで!って、せがんでたんだって。
で、産んだら妹だったって、がっかりしてたらしい(笑)」
「それ、おばさんに聞いたことある。面白いよね、子供の発想って。」
「今、やっと夢が叶った感じ。ゆき姉が本物の姉貴みたい。」
スッと夢から醒めた気がした。
心の中では解っていたが、実際に健人の口からそう言われると、胸の奥で涙がこぼれた。
そうだよね…。
努めて明るく健人に聞いた。
「ねぇ、どうしてお姉ちゃんが欲しかったの?」
「お姉ちゃんだと、優しく宿題とか教えてくれるじゃん。
弟のわがままも全部聞いてくれそうだし。」
「え、そんな理由?そんなの妄想だよ。
残念ながら私、雅彦に宿題教えたことないし、雅彦のわがままも聞いたことない。」
「えーっ、そうなの?俺、雅彦兄ちゃんが、ずっと羨ましかったのに。」
「現実なんて、そんなもんだよ(笑)
私は反対に、健人くんとつぐみちゃんの関係が羨ましいなー。
だって自分のお兄ちゃんが、あの大人気俳優の斎藤健人なんだよ?
絶対、自慢のお兄ちゃんなんだから。」
「そんなに斎藤健人って…すごいのかな。
俺、最近自分で自分のことがよく解らなくなってきた。
俺って一体、何者なんだろ…。」
健人が見せた憂いの表情が、いつまでも脳裏から離れない。
いったい自分は何者なのか。
私の知らない健人が、道しるべを探してる。
霧に包まれた深い森をさまよい歩く健人。
その手は私が繋いであげるから…。