ライブ初歌!
「やっべ!やっぱ緊張感がハンパないっ!」
開演五分前。
こんなにも緊張してる健人を、雪見は生まれて初めて見た。
深呼吸を繰り返し、なにやら独り言をつぶやいている。
雪見は、少しでも健人の気持ちを和らげてあげたくて、そばに近づき
後ろから両肩に手を乗せた。
「肩に力が入ってるよ!もっとリラックスして。」
そう言いながら四、五回肩を揉んだあと、そっと耳元に口を近づけてささやいた。
「帰ったら、一緒にお風呂入ろっか?」
「えっ!?」振り向いた健人がニヤッとしたので、雪見は作戦成功!と一人ほくそ笑む。
その時、ふと視線を下ろして見て気が付いた。
健人の左手人差し指には、あの指輪が外されることなく、付いているということを…。
撮影現場から駆けつけた時には確かに無かった指輪が、今は付いている…。
「健人くん、その指輪…」
最後まで雪見が言い終わらないうちにMCが健人登場の時を告げ、みんなに
「よっしゃ!じゃ、行ってくる!」と笑顔を残し、ステージ中央へと進んで行った。
その瞬間、熱い空気を振動させる破壊音のような大歓声が、会場を埋め尽くした
三千五百人ものファンの間から、途切れることなく湧き起こる。
「凄いね…。健人くんを好きな人が、世の中にはこんなにいるんだ…。」
ステージ横でその様子を見守っていた雪見は、現実を目の前に叩き付けられた思いで、
そばにいた当麻とみずきに茫然と呟いた。
「こんなの、ラッキーだったほんの一部のファンだろ?
ファン全員にチケット配ったら、どんだけの数になるんだろね?」
当麻が平然と言ってのけた言葉を、みずきが「当麻っ!」と睨んで制する。
「大丈夫!健人の雪見さんへの思いは、何万人が束になって掛かって行っても
絶対揺らぎはしないから!大丈夫よ…。」
みずきはそう言いながら、雪見の背中を優しくトントンと叩いた。
「ありがとう…。今そんなこと考えてる場合じゃなかったね。
健人くんの一曲目が終ったら、私の出番だもの。集中、集中!
あ、それより二人とも、こんなとこで見てていいの?今野さんが特別席
用意したって言ってたのに。」
「ここ以上の特別席なんてないだろっ!だって健人の表情丸分かりで、
めっちゃ面白いもん!ほら、焦ってる、焦ってる !」
当麻が、いたずらっ子の目をして楽しそうに笑ってた。
「やだぁ!そんな目で私も見るんでしょっ!もーう!
はぁぁ、しょうがない!私も当麻くんに笑われに行きますかっ!
じゃ、行ってくるね!ちゃんと私の歌、聞いててよ!」
スタンバイのため、ステージ横ギリギリまでゆっくり足を進める間に、
雪見は自分でも不思議なほど、落ち着きを取り戻していた。
それは多分当麻とみずきのお陰だろうと思う。
もし一人で出番を待ってたとしたら、緊張に飲み込まれてこんな状態では
いられなかったはずだ。
『ありがとね、二人とも。私、頑張るから!』
健人が一曲目の歌を歌い終り、ホッとした表情でチラッとこっちを見た。
雪見がOKサインを出して微笑むと、健人は嬉しそうに笑ってる。
いよいよ雪見登場の瞬間が近づいた。
ドキドキはするが、今はそれさえも心地良く感じる余裕がある。
「じゃ、そろそろ、今日のもう一人の主役を呼ぼうかなっ?
えー、昨日みなさんが買ってくれた俺の写真集、誰が撮ったか知ってる人ぉー!」
「ゆきねぇーっ!!」
「そう!そのゆき姉の登場です!どうぞーっ!!」
健人の紹介を受け、マイクを持った雪見がスッと笑顔で歩き出す。
暗闇から明るい場所に出た途端、健人に負けないぐらいの大声援を浴び雪見はびっくりした。
みんなが私を受け入れてくれた…。
「どうも、初めまして!浅香雪見でーす!」
一際大きな拍手が巻き起こり、雪見は感動で胸がいっぱいになる。
「今日はこんなにもたくさんの方にお会いできて、本当に嬉しいです!
だって、ここに来てくださってる方たちは、確実に私の写した写真を目にした訳でしょ?
それって凄くない?健人くん様々です!親戚で良かったぁ!」
会場中に笑いが巻き起こり、一気に打ち解けた空気が流れ始める。
それをステージ横から見ていた今野や当麻らも、やっと安堵の表情を浮かべた。
「よしっ!なんとか大丈夫そうだなっ!
雪見も成長したもんだよ!酒無しで行けるようになったんだから。」
今野の言い方が可笑しくて、当麻とみずきが笑ってる。
その間にも健人と雪見の息の合ったトークは弾み、会場中が笑顔に包まれていた。
「じゃあそろそろ、私の一曲目を歌っちゃおうかなっ?」
そう言いながら雪見が深呼吸をする。
健人は雪見を見守るように、少し離れた斜め後ろに立つ。
「クリスマスの幸せな空気の中で、この歌を一曲目に歌うのはどうなのかなって
悩んだんだけど、やっぱりこの歌を捧げたくて…。
私に多くの出会いと自信をくださった人。つい先日亡くなられた宇都宮勇治さんに捧げます。
それと、沖縄竹富島の民宿のおばちゃんにも…。
『涙そうそう』です、聞いて下さい…。」
イントロが始まると雪見は瞳を閉じ、それと同時に会場のざわめきもおさまる。
みずきは、雪見がこんなに大切な初めてのライブで、一曲目を父に捧げると
言った事に驚き、涙がこぼれた。
確かにその歌声は、天国にまで届きそうなくらい伸びやかで慈愛に溢れ、
まるで聖母マリアが歌ってくれた鎮魂歌にさえ錯覚する。
会場中が初めて生で聞く雪見の歌に心揺さぶられ、それぞれが亡くした人に
想いを寄せて、涙していた。
雪見が歌い終わり、いつものように「ふぅぅ…。」と息を吐き切って目を開ける。
シーンと水を打ったような静けさに、一瞬雪見はドキリとするのだが、
次の瞬間今までに聞いた事もないような、大きな大きな拍手の波に飲み込まれた。
「すっげーや…。」
ステージの横で、当麻と今野が同時につぶやいた。
ギュッと当麻の手を握り締めてたみずきは、もう涙が止まらない。
雪見の姿を後ろから見つめてた健人の目にも、光るものがあった。
「聞いてくれてどうもありがとう!こんな大きな拍手に包まれたのは、
生まれて初めてです!これで少しだけ、デビューすることに自信が持てましたっ!」
雪見は感謝を込めて、深々と頭を下げる。
健人のファンが、ワイドショーの騒ぎを知らぬわけはない。
なのに、その噂の相手である雪見に対して、この盛大な拍手は何を意味してるのだろう。
どんな思いであれ、取りあえずは受け入れてくれたと感謝して、雪見は健人を振り返り、
小さくピースサインを出した。






