ライブ前の静けさ
翌12月25日(土)。いよいよこの日がやって来てしまった。
斎藤健人写真集限定ミニライブ!…とは名ばかりの、三千五百人を招待しての
規模的には本物コンサート。
ただ、歌う曲数が健人も雪見も三曲ずつなので、ミニであることに間違いはないのだが。
開場五時で開演六時。オールスタンディングの自由席で、かなりの人が
クリスマスの寒空の下、外に何時間も並ぶことが予想された。
やはり雪見はいつものごとく、緊張して早くに目が覚める。
カーテンをそっとめくり外の様子を伺うが、冬の朝五時はまだ真っ暗で、
今日の空模様がどうなのかはわからない。
取りあえず今のところ、雨も雪も降ってなさそうでホッとする。
『雪が降って無くても寒いよねぇ、絶対に…。みんな、温かくして並んでね…。』
申し訳ないなぁと思いつつ、会場を埋め尽くす三千五百人を想像したら
緊張が高まって、ブルッと震えがきた。
三曲中二曲をピアノで弾き語りするので、それが心配でたまらない。
普段家で緊張感なく弾く時は、スラスラ指が勝手に動くのだが、家で弾くのと
大聴衆を前にして弾くのとでは訳が違う。
いくら練習したところでこの緊張感に打ち勝たない限り、どうにもならない事ぐらい
判ってはいるが、それでも不安を1㎜でも小さくしたくて冷え込む早朝、
ヘッドフォンをして電子ピアノの前に座った。
鍵盤から音を出さないと、自分の心臓音がやたらと耳に響く。
それを聞くと益々ドキドキが激しくなるので、エンドレスでグルグルと弾き続けた。
どれぐらいの時間が経ったのだろう。
心を無にして弾いてるうちに、今度は歌いたい気持ちが次から次へと溢れ出て、
いつの間にか雪見は弾き語っていた。
一曲歌い終わるその時、後ろからふわりとブランケットが肩を覆う。
えっ?と思い振り向くと、そこには健人がにっこり笑って立っていて、
唇が「おはよう」と動いたかと思うと、後ろからギュッと抱き締められた。
健人が雪見のヘッドフォンを外す。
「ごめん!私、大きな声で歌ってたんでしょ?起こしちゃって、ごめんねっ!」
雪見が両手を合わせて謝った。
「今の歌、凄く良かった!ベッドの中でボーッと聞いてたけど、ゆき姉を
抱き締めたくなる歌だった。
今みたいに歌えばいいんだよ!絶対みんな感動するから!」
健人は、ずっと緊張が続く雪見を、なんとかしてあげたいと思ったのだろう。
そっと優しいキスをして、「大丈夫!必ずちゃんと歌えるから。」と、
呪文をかけるように耳元でささやいた。
「ありがとう。そうだよね、いつも通りに歌えばいいんだよね…。
大勢のために歌うんじゃなくて、いつも通り健人くんのために歌えばいいんだ…。
お願いだから、私が歌う時はそばにいてね。」
すがりつくような瞳が愛しくて、この人は俺が守ってやらなきゃダメなんだと、
健人は再び雪見を温かく包み込んだ。
「心配すんなって!ゆき姉には俺がついてるし、俺にはゆき姉がついてんだから!
お互い怖い物なしだろ?最強じゃん!俺たちのコンビ。」
健人の屈託のない笑顔が、雪見に力と勇気を与えてくれる。
そうだった。私のそばにはこの人がついててくれるんだ!
そう思うと胸の高鳴りもおさまって、平常心が舞い戻ってきた。
「なんか、お腹空いた!朝ご飯の支度をしようっと!」
朝7時。テレビをつけてニュースを見ながら二人で朝食を摂る。
しばらくすると、芸能ニュースのコーナーが始まった。
「あ!昨日の記者会見だ!」
いきなり二人が大写しになり、雪見はドキドキした。
「やだなぁ!こうやって見ると昨日の私達って、めっちゃ年が離れて見える!
健人くんの衣装が可愛すぎ!」
「あれ?聞いてなかったの?わざと年の差をつけるような衣装にしたって
牧田さんが言ってたよ。うちの常務からの注文だって。」
健人がカフェオレを飲みながらそう言った。
「そうなの?それにしてもなぁー。」
「まぁいいじゃん!このゆき姉、カッコイイもん。
本当にバリバリ第一線で活躍するカメラマンに見える!」
「ごめんね!ほんとは猫カメラマンで。」
この時は、朝食を摂りつつ笑いながらテレビを見てたので、別に何も感じなかった。
だが午後からのワイドショーがある場面に注目し、その騒ぎは突然にして
巻き起こったのである。
健人は午後三時頃まで、ドラマの撮影があるので出掛けて行った。
雪見も午前中だけ、どうしてもと頼まれている大物俳優のポートレート撮影のため、
都内のスタジオへ自分の車で向かう。
「初めまして!浅香雪見と申します。今日はよろしくお願いいたします!」
「こちらこそ、よろしく!今朝芸能ニュースで、君の事を見てきたばかりだよ!
こんな旬の美人カメラマンに撮ってもらえるなんて、俺はラッキーだね!」
テレビのバラエティー番組で見たままに、その人は口が上手かった。
「あらっ、そんなにお褒め頂いたら、いつもより二割り増しぐらい男前に
撮らないといけませんねっ!」
「おおっ!君もなかなか言ってくれるねぇー!どんな写真になるのか楽しみにしてるよ!」
雪見は人物写真をこなすにつれ仕事に自信がつき、それと同時に撮影相手の
より一層いい表情を引き出すための話術も身につけていた。
確実に自分の中でのステップアップを感じ、すべては亡き宇都宮のお陰と感謝する。
撮影を無事こなし、久しぶりに大好きなドーナツショップで、ホッと一息入れることにした。
「こんにちは!ご無沙汰してました。」
健人ファンだと言っていた、顔なじみの店員に声を掛ける。
「うそっ!雪見さんっ!来てくれたんですか?今日ライブがあるのに!」
びっくりした顔の後に、ぱぁーっと笑顔が弾けた。
「私昨日、記者会見場にいましたっ!今日もライブに行きます!
やだ、うそみたい!本物の雪見さんだぁ!」
思わず声が大きくなったので、「シーッ!」と人差し指を口に当てる。
「まだそんな有名人じゃないんだけど、今朝テレビに出たから。
あ、オールドファッションとフレンチクルーラーに、カフェオレお願いねっ!」
注文の品を受け取り食べながら、こそこそと写真集の感想なんかを聞いてみる。
話が弾んでいるところに今野からの電話が入り、急いで店の外に飛び出して電話に出た。
「もしもし!お疲れ様です!」
「お前、今どこにいるっ!」
「え?ドーナツ屋さんでコーヒー飲んでたんですけど…。」
「なに呑気な事言ってんだよっ!すぐにそこを出て、早くに会場入りしろっ!
記者が詰めかけて捕まる前になっ!」
「ええっ!?」