次への扉
トントン!「浅香です!入りますっ!」
雪見は、小野寺のいる取締役室のドアをノックした。
「おぅ!昨日はお疲れっ!珍しいな。呼び出してもないのに、お前から俺んとこ来るなんて。
事務所で聞いてきたか?朝からお前に仕事の依頼が殺到してるって。
カメラマンの仕事、今は無理だって言ってんのになぁ!」
「その事なんですけど…。私…受けちゃダメですか?写真の仕事!
せっかく宇都宮さんが作ってくださったチャンス、無駄にするのは申し訳ない気がして…。
私、宇都宮さんの写真を撮らせて頂いた事で、少し自信が持てたんです。
ずっと自分の中で、ポートレートは苦手意識があったのに、それを宇都宮さんが
取り除いてくれたんです。
だからこの感覚を忘れないうちに、一人でも多くの人を写してみたくなって!
あの…歌の活動には支障がないようにやります!事務所にはご迷惑をかけません!
どんなに忙しくても、両方きちんとこなします!
だから…どうかお願いしますっ!!」
雪見はありったけの思いを込めて、小野寺に頭を下げた。
いきなり早口でまくし立てられ、呆気にとられた小野寺だったが、少しの間を置いて
フフッとため息混じりに笑い出す。
「お前って奴は、相変わらずだなぁ!まさに猪突猛進ってやつだ。
健人とはまるっきり正反対。当麻タイプだな。
見たか?当麻の会見!こっちが朝から、てんてこ舞いで対応に追われてんのに
あいつときたらどこ吹く風で、みずきを守る事だけにまっしぐらだ。
お前も健人のために……いや、やめとこう。」
「えっ?」
「何となく、そう言い出すような気がしてたよ。
お前の言う通り、このチャンスは宇都宮さんからのプレゼントだ。
三月過ぎまで待たずに動き出した方が、良いかもしれない。
お前が本当にやりたいって言うなら、事務所が受ける仕事としてきちんと
マネジメントしてやる。
その代り、かなりハードなスケジュールになる事は覚悟しとけ!
そうと決まれば早速打ち合わせだ!今野を呼ぼう。」
小野寺はすぐに内線電話で今野を呼び出し、スケジュールの調整や仕事の契約など、
三人で今後についてを細かく話し合った。
一段落つき、お茶を飲んでホッとする雪見に今野が言う。
「ほんっとお前には、出会った時からずっとこんな調子で、驚かされっぱなしだな!
お前がここに乗り込んで来た日を、よーく思い出したよ。
常務。俺も忙しくなるんで、健人の方は及川に完全に任せる事にします。
あいつも独り立ちして大丈夫なくらい、育ちましたから。」
「そうだな。そうしてくれ。じゃ、あとは頼んだぞ!
雪見!どうせやるなら、とことんやってビッグになれ!わかったなっ!」
「はいっ!」
また一つ、自分自身で扉を開こうとしている。
この扉の向こうには、一体何があると言うのだろう…。
事務所で打ち合わせ後、『YUKIMI&』として三つの取材をこなし、二つの新聞社を回った。
その間、今野と共に、昨夜真っ先に名刺をくれた大手プロダクション、
渡部エンタテイメントに立ち寄り、写真集撮影の契約を取り交わす。
「いやぁ、昨日の時点で半分諦めてましたよ!常務さんがああ言うなら仕方ないかってね。
それがこんなに早くお引き受け頂けるとは、夢のようだ!」
小太りな営業部長が、営業マンらしい笑顔を作って大袈裟な事を言う。
「いえ、私たちも仕事をお受けするのなら、真っ先にお声を掛けて頂いた
こちらから順にお引き受けするのが筋だろうと…。」
今野が笑顔で応戦した。
「ありがとうございます!で、今回お願いしたいのは、こいつの写真集なんです。
今うちの事務所一押しの俳優、苅谷翔平です!」
そう言って、事務所の公式プロフィールと資料を差し出した。
拝見します、と雪見がプロフィールに目を通す。
「あ!この人!健人く…いや、うちの斎藤健人とよくご一緒する…。」
「そうです!よくご存じで!
斎藤健人さんがお宅の事務所の筆頭イケメン俳優なら、この苅谷翔平は
うちの事務所の一押しイケメン俳優でしてね。
今の波に乗って、ガンガン押して行きたい所なんです!
それで三冊目の写真集のカメラマンを選考していた所に昨日、宇都宮さんの
ご葬儀で写真展を拝見しまして。これはっ!とひらめいたわけです。
あなたの写真だけ、他のカメラマンと目線が違う気がした。」
営業部長が口角泡を飛ばしながら、熱く力説するが…。
「あぁ、それは私がきっと元々が猫カメラマンだからでしょう。
どうしても無意識のうちに、癖で猫目線になってたりするんです…。」
雪見はこの話しに、あまり乗り気ではなかった。
撮影対象が苅谷翔平だと判っていたら、ここには来なかったかも知れない。
翔平はあまりに健人と近すぎて、何故か写してはいけないような気がした。
隣の今野にも、なんとなく雪見のテンションから気持ちが伝わって来る。
だが、受けると答えてしまった以上、ここで断るわけにはいかない。
相手は、最も多くの仕事を組む大手芸能プロだ。
この仕事一つで関係をこじらせるわけには、断じていかなかった。
「わかりました!じゃあカメラマンはこの浅香雪見という事で、よろしくお願いします!」
「ありがとうございます!では早速この契約書にサインを!」
詳しい打ち合わせを終え、帰り道にスーパーで買い物をしてからマンションに戻る。
ずっと考え事をしながら夕食の支度をしていた。
『健人くんは何て言うかな…。翔平くんの写真集を私が撮るって伝えたら。
ビックリするよね、きっと。嫌な気持ちにならないかな…。
それに、健人くんのライバルに手を貸すことになるんだよね、私…。
いやダメダメっ!そんなこと思ってちゃ!もう契約は結ばれたんだ。
仲介してくれた宇都宮さんの顔に泥を塗らないように、しっかりと仕事しなくちゃ!
すべては健人くんのため!自慢の彼女になるためでしょっ!
しっかりしろ、雪見っ!』
気合いを入れ直しているところに、健人が帰って来たっ!