それってプロポーズ?
「ねぇねぇ、なんかあったの?
なんでさっき、いきなり『大好きだよ!』って抱き付いたの?」
ご飯を頬張りながら、健人がしつこく聞いてくる。
「えーっ?大好きだから、大好きって言っただけだよ!それじゃダメ?」
雪見がグラスのビールを飲み干し、わざと不満げな顔をして健人を見た。
本当は、今野に言われた言葉が頭から離れないのと、当麻とみずきの
初々しい恋愛に刺激されての行動だったのだが。
「ダメじゃないけど、おかしいじゃん!普段、滅多に言わないのに。」
健人の口ぶりを見て、よっぽど言ってないんだなぁーと、少し反省。
気持ちの中じゃ思ってるんだよ!いっつも。
ただこの年になると、そういう類の言葉を口にするのが、少々こっぱずかしくて
躊躇しちゃう分、言う回数が減ってるだけのこと。
決して愛情まで減ってるわけじゃないんだよ!
…って言うのも、心で思ってるだけじゃ伝わらないよね、きっと…。
「まぁまぁ、飲もう!今日は二人で宇都宮さんのお通夜だよ。」
そう言って雪見は、パソコンデスクの上に宇都宮の写真を置き、グラスに注いだ
ビールをお供えする。
それから健人に、宇都宮の葬儀で歌う事になった経緯や不安、迷いを話した。
「小野寺さんが言う通り、めっちゃスッゲー事だって!
だって、デビュー前の役者が、いきなり映画の主役に抜擢されるようなもんでしょ?
どう考えても凄いでしょ!もっと喜びなよ。なんでそんなにテンション低いの?」
「だってぇ…。」
「俺は、みんなに自慢したいくらいに嬉しいけどな。
実はあそこで歌ってんの、俺の彼女なんっす!ってね。」
「ちょっと!マジやめてよぉ!?どんだけ集まるかわかんないお葬式でそんな事言ったら、
私みんなに袋叩きにあっちゃう!」
雪見は目を三角にして全力で止めた。が、健人はその勢いに呆れ顔。
「言うわけないだろっ!あのねぇ、俺こう見えても理性の人なの。
当麻やゆき姉みたいに、その場の感情で行動することはまず無いから!
安心して歌って下さいな。」
そう言ってビールを飲み干し、冷蔵庫からワインを持ってきた。
「だよねぇ!当麻くんだったら確かにあり得るわ!
あの人、自分の感情に正直だから。頭で思った瞬間に行動しちゃうタイプ?
みずきさんもこれからが大変かも!毎日ハラハラドキドキで。
だって芸能界の超ビッグカップル誕生だよ?絵に描いたような二人でしょ!」
「ち、ちょっと待て!うそっ?あの二人、本当に付き合い出したのっ!?」
「あ、あれっ?言ってなかったっけ?」
「聞いてないっつーのっ!なんで早く教えてくんないのさ、こんな大事件!
お祝いのメールしてやんなきゃ!」
それから健人は、メールじゃめんどくせぇ!と言いながら当麻に電話をかけ、
親友の久々の恋愛成就を自分の事のように喜びながら、いつまでも楽しそうに笑ってた。
頬杖をつきながらその笑顔を、ずっとニコニコ眺めていた雪見は、一瞬
『今が一番幸せな時かも知れない。今が…。』と冷静に分析する感情に出くわし、
慌ててそれを引っ込める。
この時間が永遠であることを、切に祈った。
それから二日後の11月30日。
いよいよ今日午後6時、宇都宮勇治お別れの会が執り行われる。
無論雪見は朝早くに目覚め、夜明け前のカフェオレを飲んで一人、気を紛らわす。だが…。
あー、マズイっ!人生最大の危機かもっ!?
どうしよう!この緊張ハンパないっ!!過呼吸になりそうだ。
この時間からこんなんだったら、あと12時間後は私、死んでるかも?
どうにもこうにもならなくなって、雪見はまた寝室に戻り、健人の眠るベッドへ潜り込む。
あと30分は寝られるはずだったのに、雪見によって起こされてしまった健人。
「ちょっとぉ!そんなバタバタされたら寝れんっつーの!」
「知ってるよっ!健人くんだって、とっくに目が覚めてたでしょ。
寝起きが悪い健人くんが、起こされてすぐに目が開くわけないもん!」
「あれ?バレてた?ゆき姉なんて、また三時間ぐらいしか寝てないでしょ?
眠らなくてもいいから、身体だけは休めときなよ。
身体を横にしてるだけでも、疲れって解消されるんだって。
大体俺が歌うわけでもないのに、なんでこんなにドキドキしてんだろ?
心臓の音、聞いてみ!ハンパないから!」
雪見は布団に潜り、健人の胸に耳を当てた。
「ほんとだ!凄いドキドキしてる。やだ、健人くんに落ち着かせてもらおうと思ったのに、
益々緊張してきた!どうすればいいの?私。」
すると健人は、胸に耳を当てたままの雪見をギュッと抱き締めた。
「いいよ、このまま二人でドキドキしてよ!
なんかこうしてるとさ、二人で一人になったみたいじゃない?
ゆき姉は俺の分身で、俺はゆき姉の分身で…。
これからもずーっと一生、同じ物見てドキドキしたりワクワクしたりして、
暮らして行けたらいいよね。」
「えっ?」
それは、サラッと聞き流してしまいそうな言葉だった。
それほどさりげなく、ともすると別に特別な意味など無いんじゃないか
と、自分の勘違いにしてしまいそうな言い方だった。
だけど今の言葉って…プロポーズ?
雪見は慌てて顔を上げ、健人の瞳を見つめた。
健人の鼓動がさっきにも増して強く聞こえる。それに連動して雪見の鼓動も
強く早くなり、巨大な一つの塊となってベッドを揺り動かしていた。
「えっ?あのさぁ。そんなに食いつかれても困るんだけど、俺はずっと前からそう思ってたよ。
ちょいちょいアピールしてるのに、全然本気にしないんだもん、ゆき姉。」
照れ隠しか、プイッと横を向く健人。
だけどそれがプロポーズであるとか無いとか、はっきりした言葉はいくら待っても
健人の口からは飛び出さなかった。
「ドキドキを静めなきゃならないのに、なんで今そんな事を言うのよっ!
もう、どうしてくれるのっ!」
「こうする!」
健人は雪見のお喋りな唇を、自分の唇でふさいだ。
そんな事でドキドキが治まるはずもなく、更に加速度を増すばかりだったが
それとは裏腹に、不思議と心には平安が戻ってきた。
この人が私を見守っててくれる。
私の痛みも、喜びも悲しみも、すべてを一緒に感じてくれて一緒に生きてる。
それさえわかっていれば、怖いものなど何もない。
大衆の面前で歌う事の、何が怖いというのか。
あなたをなくす事以外に恐れる事など、何もない…。