理想の葬式
「やだ、津山さんったら!私もう、お嬢さんなんて年じゃありませんからぁ!」
バシッ!といい音を立てて、雪見が津山の背中を叩く。
その瞬間、ギョッとしたみんなの顔が、一斉に雪見を見た。
おいおい!あの酔っぱらい女、一体何者なんだよ。誰と飲んでるのかわかってんのか?
っつーか、なんでこんな時に酒盛りなんかしてるわけ?
とか、まぁ思ってる事はその手のたぐいだろう。
だが当の二人は、周りの視線など気にも留めず、まるでそこが温泉宿かどこかの一室で、
側らに横たわる宇都宮の亡骸は、ただ酔っぱらって気持ち良さそうに、
一眠りしているかのように目に映っていた。
宇都宮家のお手伝いさんが、急いで酒のつまみを運んで来る。
ここが温泉宿なら、さしずめ旅館の仲居さんってところか。
「いやいや、すまんねぇ。」と言いながら、津山が手を伸ばす。
一升瓶の半分も飲んだ頃、良い感じに酔いが回った雪見が津山に聞いた。
「ねぇ、宇都宮さんって、飲むとどんな感じになったの?
お酒、好きだったんでしょ?」
敬語どころか、すっかりタメ口だ。
「ゆうちゃんか?酒は好きだったねぇ。そんなに強くはないんだけど、
飲むと歌い出すんだ。なんせ歌が大好きだから。人にもよく歌わせてたよ。
『酒の肴に一曲歌ってくれ!』ってね。」
「へぇーっ、そうなんだ!じゃ私も一曲、宇都宮さんに聞いてもらおっかなっ?」
「おぅ、歌ってくれるか!良かったなぁ、ゆうちゃん!」
その頃。津山と雪見の盛り上がりも知らず、みずきは二階の宇都宮の書斎にいた。
葬儀で使用する写真を、アルバムの中からピックアップしているのだ。
生前宇都宮が話していた、自分の理想の葬儀。
「坊さんの長ったらしいお経や説教はいらないよ。代りに好きな歌をガンガン流してくれ。
来てくれた人は、線香一本上げてくれるだけでいい。
それより会場に飲み物でも用意して、みんなで立ち話なんかいいんじゃないか?
俺の悪口も良し、思い出話でも良し。別に俺とは関係ない世間話だってかまわないさ。
とにかく、湿っぽく泣いて終りの別れだけは勘弁だ。
あ!ロビーで俺の、写真展なんかもいいねぇ!
生まれてから死ぬまでの、俺の一生を見てもらいたい。
で、帰り際に、『いいお式だったねぇ。』って笑顔で帰ってもらうのが理想。
結婚式帰りみたいにねっ!」
みずきは最後の親孝行として、宇都宮の希望通りの葬儀を上げてやろうと思ってる。
宇都宮の事務所は、これだけの看板俳優の葬儀なのだから、もっと正統派の大葬儀を、
と最後まで渋い顔で反対したが、なんせ遺言書には『一切はみずきの言う通りに』
と書いてある。渋々でも何でも、それに従うより他無かった。
若かりし頃の父のアルバムを手に取った瞬間、何やら下の階から歌声が聞こえて来た。
『えっ!?この歌…。』
それは雪見が歌う宇都宮への鎮魂歌、『涙そうそう』であった。
なんという偶然のタイミング!なんて心に染み入る歌声。
みずきは歌に引き寄せられるようにして、アルバムを抱きかかえたまま
階段の中頃に腰を下ろし、その歌にじっと耳を傾ける。
まるでそれは、雪見がみずきのために歌っているかのようで、歌詞の一語一語が
細胞の隅々にまで行き渡り、身体と同化し涙となって体外に吐き出された。
『お父さん、良かったね。ゆき姉の歌、聞きたがってたもんね…。』
賞賛の拍手が聞こえる中、みずきは涙を拭いて、また書斎へと戻って行った。
いつものように目を閉じて歌っていた雪見はと言えば、拍手の嵐に驚いて目を開け、
自分の周りの人だかりにビビりまくってる。
『宇都宮さんにだけ聞かせたつもりなのに、いつの間にか声を張っちゃったんだ!
まっずいなぁ、こんな席で…。お願いだから静かにして!』
と身を縮め、トイレにでも逃げ込もうと思ったその時!
隣室で葬儀の話し合いをしていた偉そうな人三人が、人をかき分け雪見の前に立ちはだかった。
「きみっ!一体君は誰なんだね!?」
一番貫禄あるボスみたいな人が、雪見に詰問する。やばっ!どうしよう!
「ご、ごめんなさいっ!申し訳ありませんでしたっ!」
雪見はもう、ひたすら頭を下げるしかなかった。酔いも一気に冷める。
すると津山がその場を収めるように、酒を飲みながら笑って言った。
「まぁまぁ、いいじゃないか。
歌の好きなゆうちゃんのために、わしが歌ってくれって頼んだんだ。
彼女は私とみずきの知り合いだよ。猫が大好きなカメラマンさんだ。」
「あ!思い出してくれたんですねっ!」
「今の歌声を忘れるわけがない。まぁ、顔は忘れてたけどな。」
そう言って、おちゃめに舌をぺろっと出した。
「カメラマン?歌手じゃないのかね!名刺を見せてくれないか。」
ボスみたいな人は、なぜか一層怖い顔をする。
あ!もしかして、中に潜り込んだマスコミだとでも勘違いしてるのか?
雪見は慌ててバッグをまさぐり、名刺入れを取り出した。
「失礼致しました。私、こういう者でございます。」
丁寧に差し出した名刺を見て、怖い顔が更に険しくなる。なんでぇ?
「浅香雪見…?ひょっとして君か?宇都宮の遺影を写したカメラマンは!」
ま、マズイっ!どうしよう!
あの遺影は、宇都宮が事務所と揉めて、内緒で雪見に依頼してきた遺影だったんだ!
怪しい雲行きに、雪見はもうこの場を逃げるしかないと思った。
「あ、もうこんな時間!これからどうしても外せない仕事が入ってるんです!
ごめんなさい、失礼します!津山さん、ご馳走様でした!宇都宮さん、また来ますねっ!」
永遠に眠り続ける宇都宮に慌ただしく合掌し、バッグを手にそそくさと退散する。
玄関先まで見送りに来たお手伝いさんに、車は夜に取りに来ることを約束し鍵を預けた。
「みずきさん、昨日から何にも食べてないんです。少しでも口にするよう、伝えて下さい。
本当にお騒がせしました。酒の肴のだし巻き卵、美味しかったです!じゃ!」
外にはテレビカメラとマイクを構えた報道陣が、獲物を逃さぬようにバリケードを作ってる。雪見はマスクをかけ息を殺し、顔を伏せて足早に人混みを突破した。
酒臭さがバレないように…。
だが、この時歌った一曲が、思わぬ事態を招くことになろうとは…。