名優 死す!
あれから五日目の早朝五時。
その訃報は、マネージャーの今野によって突然もたらされた。
「雪見、落ち着いて聞いてくれ。さっき連絡が入った。
宇都宮勇治が午前二時過ぎ…亡くなったそうだ…。」
「えっ!!」
雪見は絶句した。
心臓の鼓動が大きな波を打って指先にまで伝わり、ケータイを握る力も失いかける。
ガタガタと身体中が震え出し涙が止めどなく溢れ、立って居られなくなって、
朝食の準備をしていたキッチンにへたり込んだ。
「それで…華浦みずきが、お前を呼んでくれと泣いてるそうだ。
みずきのマネージャーから頼まれた。半日お前を貸してくれ、と。
大体の話は聞いたよ。驚いた。華浦みずきが宇都宮勇治の娘だったなんて…。
お前も写真を撮ってやったり、あの親子と親しくしてたそうだな。全然知らなかった。
みずきが取り乱して、葬儀の手配も進まないらしい。
午前中の取材はキャンセルしておくから、そばに居てやれ。
あ、あと通夜と告別式の間もキャンセルしないとな。」
今野は、あえて淡々と伝えたであろう。
だがその声には、雪見の心を察する優しさが込められ、心使いに感謝しながらも
雪見は小さく「うん…。」と声を絞り出すだけで精一杯だった。
電話を切り、どれだけの時間を茫然としてたのだろう。
人の気配を感じて横を向くと、健人が立っている。
まな板の上の切りかけた野菜。そんな場所に座り込んでる雪見を見て、
健人は何が起こったのかを瞬時に理解した。
「もしかして…宇都宮…さん?」
こくん、とうなずいた後は、もう声を上げて泣くしかなかった。
健人にギュッと抱き締められ、温かな胸の温もりを感じれば感じるほど、
冷たくなった宇都宮の身体に、泣きながらすがりつくみずきを想像し、悲しみが倍増する。
が、ひとしきり泣いたあと、ハッと我に返った。
「行かなくちゃ…。みずきさんが私を待ってる!」
化粧もせず、バッグ一つを手に車に飛び乗ったまではいいが、宇都宮の
東京の自宅をよくは知らなかった。
今野に聞いた住所をカーナビにインプットし、とにかく走り出す。
まだ辺りは夜が明け切らずに薄暗い。車の中でも泣くにいいだけ泣いた。
宇都宮の家の近辺までたどり着き、一旦ハザードランプを付けて車を止める。
涙の後を残さず拭いて、ルームミラーを見ながら自分自身に活を入れた。
「雪見!あんたは、みずきのお姉ちゃんになったんだよ!
宇都宮さんと約束したんだから!みずきの力になるって…。よしっ!」
自分を、勝気なしっかりした姉だと思い込ませる。
ともすると泣き出してしまいそうだが、自分の役目は、今は泣く事ではない。
宇都宮が望んだ通りの葬儀を、みずきをサポートして遂行することだ。
そう確認してから、車を宇都宮家まで走らせる。
そこは遠目からもすぐに見つけられた。
塀に囲まれた大きな屋敷の前に、高い脚立に乗った報道陣が大勢いたからだ。
「もうあんなにマスコミが集まってる!どうやって中に入ればいいんだろう…。
とにかく電話を入れてみよう。」
万が一の時に備えて、宇都宮は自宅の電話番号を教えてくれてた。
電話に出たみずきのマネージャーが、外に出て来て門の鍵を開け、車を中へと誘導してくれる。
雪見の車を目がけ、たくさんのフラッシュがたかれたが、スモークガラスのお陰で
誰が乗ってるかは判らないだろう。
駐車場から奥まった玄関までの小道を、マネージャーが先に歩きながら
みずきの様子を早口で説明した。
「申し訳ないです、浅香さん。みずきが部屋にこもったまま出て来ないんです。
僕でも手がつけられなくて…。
大きな葬儀になる予定ですが、宇都宮さんの事務所との話し合いも進まない。
遺言書には『葬儀の一切はみずきの言う通りに』と書いてあるので、
みずきが指示を出さない限り、何も準備が出来ないんです。」
「わかりました。私がなんとかしてみます。」
通された大きな部屋の真ん中で、静かに静かに宇都宮は横たわっていた。
たったの五日前…目の前で笑い語らった人が、今は物言わない亡骸となりそこにいる。
いつかこんな日が来ることは判っていた。
だがその時が今日だなんて、こんな不意打ちはないだろう。
一歩また一歩と宇都宮に近づくごとに、その姿が滲んでくる。
もう充分泣いてきたから、ここに来たら泣かないで、みずきを叱ってやろうと思ってた。
『立派に喪主を努めてみせるって、あなた、お父さんと約束したでしょ!』って…。
だけど…。やっぱり今は、私にも泣かせて欲しい。
宇都宮の顔は穏やかだった。
やっと自宅に戻れ、安心しきって熟睡してるかのようにも見えた。
横の座布団にストンと腰を落とすと同時に涙が溢れ、その涙はとどまることを知らない。
泣きながら宇都宮に手を合わせ、心の中で最期の言葉を交わし始める。
『お帰りなさい。お疲れ様でした。
ほんのわずかな時間だったけど、宇都宮さんには多くの事を学ばせて貰いました。
いや、あなたほどの名優を、こんな無名のカメラマンが写させてもらったのだから、
それを真っ先に感謝しないとバチが当たりますよね。あ!そうだ!』
雪見は突然何かを思い出し、いつも持ち歩く大きなバッグのチャックを開ける。
そこから取り出したのは、五日前に病室で写した写真のアルバムだった。
この五日間、忙しい仕事の合間を縫ってパソコン編集し、やっと昨夜出来上がった。
それを今日にでも病室に届けようと、バッグに入れておいたのだ。
そっと宇都宮の枕元にアルバムを置き、また心の会話を続ける。
『この写真も、見て欲しかったな…。みずきさんも宇都宮さんも、本当に
幸せそうな顔して写ってるんですよ。特に当麻くんなんか、もう!
…私達、必ずみずきさんの力になって支えて行きます。
だから私は今日、みずきさんを叱咤激励する姉のつもりで、ここに来ました。
私でさえこんなに悲しいのだから、娘であるみずきさんが悲しいのは当然ですよね。
でも、ずっと泣かせておくわけにもいかないんです。あなたのお葬式の準備を進めなければ…。
あなたが望んでいた通りのお式にするには、みずきさんがしっかりしないと。
私…姉としての役割、果たしてきますね。』
最後に深々と頭を下げて合掌し、涙を拭いて顔を引き締めた。
さあ、みずきの元へと急ごう。