二人の隠れ家
「あ、ゆき姉?さっきはありがとね!
俺、感激した!すっげー嬉しかった!!
ねぇ、まだその辺にいる?もう帰っちゃった?」
健人が電話越しに、早口でまくし立てる。
「いや、まだ事務所の近くを歩いてるとこ。
角を曲がった交差点前にいるよ。友達にメールしてたから。」
「よかった!じゃあさ、これから飯食いに行かない?俺、おごるから。
なんかゆき姉に、お礼がしたい。 撮影の打ち合わせも、ちゃんとしておきたいし。」
「お礼なんて、いいよ。こっちこそ凄い仕事もらえたんだから。
健人くんには感謝してる。ほんと、ありがと。
だから今日は私がおごるよ。昨日は健人くんに、おごってもらっちゃったし。」
「マジ?俺めっちゃ腹減ってるから、すっげー食うと思うけど、ゆき姉お金持ってんの?」
「失礼だなぁ。おごるくらいのお金は持ち合わせてますよーだ!
けど、すっげー食うって…どんだけ食べる気してる?」
「冗談、冗談。そんなに食わないから安心して(笑)
じゃあさ、そっちに行くから、そこで待ってて。
絶対待っててよ。んじゃ!」
え? うそ!健人くんがここへ来る ⁈
どうしよう、こんな人混みの中なのに!
こんな所に斎藤健人がいたら街中パニックだ!
どうしよ、どうしよ!!
パニックなのは私の方だ。
どうしていいかわからず一人で焦ってると、後ろの方から大きな声で
「ゆきねぇ〜!」と呼ぶ声がした。
ええっ!嘘でしょ? なんでそんな大声で 。
慌てて振り向くと、黒縁眼鏡に黒マスク、黒いバケハといういつものいでたちの健人が、人混みの向こうから走ってくるのが見えた。
「お待たせっ! あー走った走った。
ゆき姉がどっか行っちゃうと困るから、全力疾走してきたよ。あー疲れた。」
私は、自分のために息を切らして駆けてきた健人が愛しくて、ギュッとハグしたい衝動にかられた。
いかんいかん!なに考えてんの雪見!こんな街中で。
とにかく、どこかのお店に入らなくちゃ。
こんな所で健人くんだってバレたら大変だ!
私はとりあえず歩き出した。健人の腕を引っ張りながら。
歩きながら素早く頭ん中のお店リストを検索し、ここから一番近くて健人の気に入りそうな一軒に決めた。
「ねぇ、どこまで歩くのさ。」
「もうちょっと!」
「俺、喉乾いた!腹減った!」
駄々っ子みたいな顔をする健人に私はクスッと笑いながら「もうちょっとだから頑張って歩いて!」と、お母さんのように手を引いて先を歩いた。
「ほら、到着!近場だと、ここが私の一番のお薦め。
たぶん健人くんも気に入ってくれると思うけど。」
「居酒屋どんべい? ずいぶん渋い名前だね。おじさんの集まりそうな店だけど…。」
予想通り、健人が躊躇したのでおかしかった。
「いいから、いいから。さ、入って!」
ビルの地下一階にあるその店は、中へ入ると店名からは想像もつかない洒落た店だった。
お洒落なんだけども、どこか懐かしい。居心地よさげなブースがいくつかに分かれてる。
私はここの常連なので、カウンター中にいたマスターに一声かけて店の奥へと進んだ。
そこは四人も入れば一杯になる、掘りごたつの小さな個室だった。
「ごめん。ちょっと狭いかな?でも、この微妙な狭さが落ち着くんだよね。
ここの料理は、なんでも絶品なの。マスターがアイディアマンで、いつも帰りにレシピ聞いて帰るんだ。
ま、酔っぱらってて聞いても忘れるんだけど(笑)」
「入るよ。」
珍しくマスターが自ら注文を聞きに来た。
「いらっしゃい、雪見ちゃん。
雪見ちゃんが初めて男を連れてきたから、挨拶しとかないとね(笑)
どうもー。マスターの中居です。
雪見ちゃんにはほんっと、しょっちゅう来てもらって。」
「やだなぁ、マスター!私がとんでもない酒飲みに聞こえるでしょ?
嘘だからね、健人くん。」
「お!健人くんって言うんだ。よろしく!健人くん。」
そう言ってマスターは、フレンドリーに握手を求めた。
健人は、雪見がいつもお世話になってる相手に対しマスク姿は失礼だと、おもむろにマスクを外しながら手を差し出す。
すると…
「…え? ええーっ ??!!」
マスターが大声をあげ、盛大にビックリして手を引っ込めた。
目を白黒させるマスターの顔が面白い。
「も、もしかして、斎藤健人…さん? テレビに出てる、あの斎藤健…人??」
「ども。あの斎藤健人です。」
笑いながら健人がぺこんと頭を下げる。
「ちょっと、雪見ちゃん! なんで雪見ちゃんが斎藤健人と一緒にいるわけ?」
事の重大さを悟ったマスターは大声から一転、ヒソヒソと私に聞いた。
「ごめんごめん。驚かせちゃった?
私たち遠い親戚なの。明日から一緒に仕事することになって、今日はその打ち合わせ。
ね、詳しい話は後でするから、お願いっ!先にビール!
あと、すぐ出来る美味しい物もね。二人とも喉カラカラで、お腹もペコペコなの。
あ、それと…ここに健人くんが居ることは、もちろん……」
「内緒でしょ?わかってるって!客商売は信用第一だ。
じゃ、急いでなんか作ってくる!」
「ビールが先だからねー!」
バタバタとマスターが部屋を出て行ったあと、私は謝った。
「ごめんね、健人くん。 あのマスターは絶対に悪い人じゃないから安心して。
このお店は、きっと健人くんも気に入ってくれると思う。
お料理も美味しいし安いし。なによりここの常連さんは、あのマスターに元気もらいに集まってくるんだよ。
私も今まで、ずいぶんと助けられた。」
「開けるよー。」
そう話してるとマスターが、ビールとたくさんの料理を運んできてくれた。
「取りあえず、これ食っといて!
すぐ、もっとうまいもん作ってくるから!」
「めっちゃうまそう! いただきまーす ♪」
いま確信したことがある。
私は、美しく美味しそうに食事する健人を眺めるのが大好きだってことを。