SJ誕生!
「今日の夜は遅くなると思うから、晩飯はいらないよ。
久しぶりにゆき姉も、のんびりしなよ。じゃ、行って来るね。」
「ほんとに送らなくていいの?」
「そこの信号一個渡るだけだよ?歩いて行くから大丈夫!」
集合時間よりも三十分早く、気合い充分の健人が車を降りて歩き出す。
信号の手前でチラッと後ろを振り返り、笑顔で小さく雪見に手を振った。
雪見も手を振り返したが、スモークガラスの向こうからでは、見えはしなかっただろう。
『ゆき姉のおまじないは良く効くんだから!頑張れ、健人!』
心の中でエールを送り、成功を祈る。
「さてと。私もちょっと早いけど、最後のレッスンに行きますか!」
車のエンジンを掛けようとした時だった。
またさっきの白猫が、どこからともなく現れた。
きっとお腹を空かしているのだろう。ウロウロと辺りを物色し始める。
可哀想に思った雪見は、近くのコンビニから猫缶を買って来て、人目の付かない木陰にそっと置く。
「少しでも栄養つけて、元気な赤ちゃん生まなくっちゃね。」
そう言いながらも、このまま置いて行かなければならない事に、罪悪感を覚えた。
「どうしよう…。うちの母さんに頼み込んでみようかな…。」
実家には、すでに五匹の拾われて来た猫がいた。もちろん全て雪見が拾った猫である。
『一匹プラス四、五匹だもんなぁ…。怒られるに決まってるけど、泣き落としに出るか!』
ケータイを握り締め、意を決して実家の母に電話しようと思ったその時だった。
手の中のケータイが突然、着信を伝えて鳴り出した。
「えっ?健人くんからだ!」
何かアクシデントでもあったのかと、ドキドキしながら電話に出る。
「もしもし、健人くん?どうしたの?何かあったの?」
「ゆき姉、今どこ?もうレッスン行っちゃった?」
「え?いや、まださっきの駐車場だけど…。でも、もう出ようと思ったとこ。何なの?」
「良かったぁ!今、今野さんに代わるね!今野さん、ゆき姉まだそこにいるって!」
「もしもし、雪見ちゃん?今野だけど。
悪いけど、大至急カメラ持ってスタジオに来てもらえないか?
全国ツアーでやる写真展に、急遽健人たちのレコーディング風景も入れようって話になってさ。
これから雪見ちゃんに、写してもらいたいんだけど。
あ、レッスンの方は俺から電話入れておくからさ、なんとか頼むよ!」
「えぇ、まぁいいですけど…。機材は一式車に積んでありますから。
わかりました。じゃあ、これからそっちに伺います。」
「助かったぁ!待ってるよ!じゃ!」
電話を切ってから足元を見ると、すでに白猫の姿は消えていた。
『ごめんね、猫ちゃん。この次会う時まで、どこかで元気にしててね…。
よし、気持ちを切り替えなくちゃ!健人くんと当麻くんのために仕事、仕事!』
雪見は後ろ髪を引かれながらも車に乗り込み、気持ちを立て直す。
他の事に気を取られていては、良い仕事など出来るはずもない。
自分に葉っぱをかけてから、アクセルを踏み込んだ。
その録音スタジオは、閑静な高級住宅街の一角にある。
三階建ての大きな住宅といった外観だ。
一階部分の駐車場に車を止め、機材を担いで階段を上る。
厚い防音ドアを押し開けると、大きな音で健人たちの歌が流れていた。
「あのぅ…。お疲れ様です!浅香ですけど!」
大音響に阻まれて、誰も雪見に気が付いてくれない。
今野の後ろ姿が見えたので肩をトンッ!と叩いたら、とんでもなく驚かれた。
「びっくりしたぁ!いや、悪かったね!急に呼び出して。
でも助かったよ!健人に聞いたら、ちょっと前まで一緒にいたって言うから…。」
今野が雪見の耳元で大声で話す。
「私も良かったです!まだ近くにいて。それで写真は…。」
と、雪見も大声で話しかけたところで、ぱったりと大音響が鳴りやんだ。
するとガラスの向こうのレコーディングブースから、健人と当麻がドアを開けて出て来た。
「よっ!ゆき姉!元気だった?」
当麻が手を上げながら雪見に近寄ってくる。
その隣で健人は、思いがけない再会が嬉しくて仕方ない、というように微笑んでいた。
「うん、元気だったよ!いよいよだね、おめでとう!
今日は記念になる、いい写真撮ってあげるからねっ!期待してて。」
雪見も三日後にはここでレコーディングするのだが、今はカメラマンモードに入ってるので、
そんな事は一つも気にならなかった。
「雪見ちゃん!みんなに紹介するから、こっちに来て!」
今野からお呼びが掛かり、雪見は緊張の面持ちでレコーディングスタッフの前に立つ。
当麻のラジオ番組のプロデューサーであり、今回のプロデューサーでもある三上が
こっちを見ながらニコニコしてたので、雪見はぺこりと頭を下げた。
「さっき話した、三日後にお世話になる、うちの事務所の浅香雪見です。
今日は健人たちのカメラマンとして、ここで仕事させてもらいますんで
どうかよろしく!」
今野に紹介されて、雪見はみんなにお辞儀する。
「浅香雪見と言います。今日はみなさんのお邪魔にならないよう、気を付けますので
どうかよろしくお願いします!」
すると三上が、他のスタッフに向かって大声で言った。
「お前ら、雪見ちゃんをただのカメラマンだと思ったら大間違いだぞ!
歌を聴いたらびっくりするから!来年の俺の一押しアーティストだ!」
三上の大賛辞に雪見は「三上さん!ハードル上げないで下さいよ、もう!」と恐縮し、
当麻と健人は「えーっ!俺らは押してくれないんすかぁ?」と笑いながら慌ててみせたので
みんながドッと湧き、場の空気が一気に和んだ。
「よし!じゃあ、そろそろ始めるとするか!」
三上の号令でそれぞれが配置に付く。
健人と当麻も再びブースに入り、ヘッドフォンを付けマイクの前に立った。
雪見は長い髪を手早く一つにまとめ、カメラバッグからカメラを取り出し、
ガラス越しの二人に向ける。
健人の顔はいつになく自信に満ち溢れていた。
一睡も出来なかったほどに弱気だった健人は、一体何だったのだろう。
今はいつも通り冷静で、堂々とした瞳で前を見据えている。
一方当麻に至っては、嬉しくて楽しくて仕方ない!と言った気持ちが、
カメラのファインダー越しにビンビン伝わってくる。
雪見は、この空気感丸ごとを写し込もうと、プロの鋭い目で瞬時に構図を計算した。
アップテンポでダンサブルなイントロが流れ、二人が歌い出す。
『SPECIAL JUNCTION』(スペシャル ジャンクション)誕生の瞬間に立ち会えた事を感謝し、
雪見は心の中で拍手を送った。