危険な香りの共演者
「なんでお前も点滴してるわけぇ?」
健人は驚きのあまり、声が裏返ってた。
「悪いけど、カーテン開けてくれる?どうも狭い所が苦手なの。」
健人を呼び止めた『ガリ勉くん』は、随分と親しげに話しかけ、カーテンを開けさせる。
パッとひらけた視界の先には、戸惑い気味の雪見とつぐみが立っていた。
「あ、こんにちは!私、健人くんと同じ事務所の大沢真麻です!」
その色白で綺麗な人は、点滴をしたままベッドに腰掛け、二人に向かって
にっこりと意味ありげに微笑んだ。
一瞬で凍り付く雪見とつぐみ。『私達の話を聞かれてた!?』
頭の中が真っ白になり、雪見の心臓がドックンドックンと大きな音を立てる。
『どの話から聞かれてた?何の話してた時に、この人来たっけ?
どうしよう!健人くんとの事がバレた!』
つぐみも、この人物が健人のドラマの共演者だとすぐに気付く。
『この人…なんか危険…。よしっ!』
「こんにちは!私、斎藤つぐみって言います。いつもお兄ちゃんがお世話になってます!」
雪見よりも先に反応したのはつぐみだった。モデル張りの作り笑顔と
いつもよりワントーン高い声で、イケメン俳優の妹を演じて見せる。
「えっ?健人くんの妹さんなの?カッワイイ!高校生でしょ?」
つぐみは、朝から悩みに悩んで、精一杯大人びた格好で出掛けて来たつもりなのに、
一目で高校生と見破られたのが悔しくて燃えてきた。
「お兄ちゃんと一緒にドラマに出てる方ですよね?密かにお兄ちゃんに思いを寄せてる同僚役で…。
綺麗な女優さんだなぁーと思って見てました。」
「ありがとう!嬉しいわ。健人くんとは高校が一緒だったんだけど、
まさか女優になってすぐに健人くんと共演できるなんて、夢にも思わなかったの。
だって、健人くんの人気って凄いんですもの!私もみんなに羨ましがられて大変な…。」
初対面なのに馴れ馴れしいのも気に入らず、つぐみは相当な勢いで話の途中をぶった切る。
「けど、うちのお兄ちゃんの事、本気で好きにはならないで下さいね!
お兄ちゃんには、ちゃんと彼女がいますからっ!」
「つぐみっ!!」
突然のつぐみの爆弾発言に、健人と雪見は心臓が止まりそうだった。
『ガリ勉くん』も、つぐみの豹変ぶりに目を見開いたままである。
「いいからお前は先に行ってろ!ゆき姉も会計してきていいよ。俺もすぐ行く。」
つぐみは「ゆき姉行こう!」と言いながら、雪見の腕を引っ張って廊下へ出る。
雪見も、後ろ髪を引かれる思いで会計へと歩き出そうとしたが、つぐみに
「待って!」と呼び止められた。
その頃健人は、なぜつぐみが突然そんなことを言い出したのか、訳が解らず困ってる。
『一体この場を、どう収めろってんだよ!つぐみの奴!
取りあえず、当たり障りのない話でごまかすか…。』
「あ、風邪でも引いたの?午後から出番あるよね、大丈夫?」
健人は小首を傾げて顔を覗き込む。
「お兄ちゃんめ!なんで誰にでも優しくすんのよ!あんたにはゆき姉がいるでしょっ!」
なんとつぐみは、点滴室を出てすぐの廊下で聞き耳を立てていた。
「つぐみちゃん、やめようよ、こんな事。」
小声で雪見が撤退を促すが、つぐみは「シーッ!」と無言で人差し指を立て息を潜める。
一方、まさかつぐみ達がすぐ近くにいるとは思いもしない『ガリ勉くん』は、
二人きりになったこのチャンスに、少しでも健人との距離を縮めておこうと打って出た。
「私の事、心配してくれるんだ!嬉しいっ!
ねぇねぇ、ここに座って少しお喋りに付き合って。
あと一時間も一人だなんて、つまんなーい!高校ん時の話でもしよう!
私、ずっと健人くんと、ゆっくり話がしたいと思ってたんだ。ねぇ、座って!」
甘えた声でそう言いながら、ベッドに腰掛けるよう健人を誘う。
だが健人は、突っ立ったままつれない返事をした。
「いや、二人が待ってるから…。あのさ、さっきは妹が変なこと言って悪かったな。
きっと受験勉強のストレスで、カリカリしてたんだと思う。気にしなくていいから。」
「気にしてくれなきゃ困るのっ!お兄ちゃん、この人に狙われてるって
気付いてないわけ?」つぐみがイライラし始める。
「つぐみちゃん、バレたらまずいって!もう行こうよ!」
雪見がつぐみの手を引いたが、つぐみは意地でも動こうとしない。
「ねぇ。さっき妹さんが言ってた事ってほんとなの?健人くんに彼女がいるって。」
ついに核心に迫る言葉が健人を追いつめる。
雪見もつぐみも息を殺して、健人の口から次に出る言葉を待った。
しばらくの沈黙のあと… 。
「いるよ。もちろんいる。大体彼女のいない奴なんているか?この業界で。
俺の周りには、そんな寂しい奴はいないけど。お前だって彼氏ぐらいいるだろ?」
健人は、わざと突き放すような言い方をした。だが…。
「私はいない!だって、高校の時からずーっと健人くんだけを見つめて来たんだから!」
「えっ?」
思いもしない突然の告白に、健人はもちろん廊下の二人も衝撃を受けた。
「健人くんしか見えなかった…。一生懸命綺麗になって、どんな事してでも
健人くんの近くに行こうと努力したのに…。やっと願いが叶ったのに…。」
そう言って彼女は泣き出してしまった。
「ごめん、全然知らなかった…。だけど、俺の気持ちはもう変わらない。
一生変わらないんだ。だから…ごめん。」
健人の言葉を廊下で聞いていた雪見は、胸がいっぱいになった。
つぐみも、初めて耳にする兄の男らしい言葉を誇りに思う。
「じゃあ…たったひとつ、最後に私のお願い聞いて。」
「なに?」
「一度だけキスして。それでもう諦めるから…。お願い。」
廊下のつぐみが、「あんなこと言われたら、お兄ちゃんならしかねないよ!どうしよう!」と焦る。
雪見は、もうここにはいられない、と歩き出そうとした。が、その時!
つぐみが突然、ドンッ!と雪見を点滴室の中に突き飛ばしたのだ!
「いったぁーい!」もちろん雪見は、前のめりに転んでしまった。
「ご、ごめん。健人くん遅いから迎えに来たんだけど、そこでつまずいちゃった…。」
まさか、つぐみに突き飛ばされたとは言えやしない。
「紹介するわ。俺の彼女、浅香雪見。同じ事務所だからよろしく。」
健人は雪見を抱き起こしながら、大沢真麻に紹介する。
「俺のこと、随分誤解してたんだね。残念ながら、俺ってそんな軽い男じゃないから。
んじゃ、あとでスタジオでなっ!行こ、ゆき姉!俺、めっちゃ腹減った!」
そう言いながら健人は、雪見と共に点滴室を後にした。
その日の午後。「ガリ勉くん」はスタジオには現れなかった。