衝撃の頼み事
「あのね…。」と言ってから、みずきはしばらく考え込んだ。
このお願いを頼めるのは雪見さんしかいない!と、あの時は思ったけれど…。
そう思い込んで日本に来たけれど、本当にそれでいいのだろうか?
私が雪見さんの人生を、変えてしまう事になったとしても…。
みずきの迷いを感じて、雪見が声をかける。
「みずきさん。お願いを聞いてあげられるかどうかはわからないけど、
とにかくお話を聞かせて。じゃないと、何も進んで行かないよ。
私も一生懸命、考えてみるから。」
そう言われてやっとみずきは、思いを伝える決心がついたようだ。
「じゃ、単刀直入に言うね。
『秘密の猫かふぇ』を……雪見さんにお願いしたいの!」
「お願いしたい…って、どういう意味?」
雪見は、考えてもみなかったみずきの言葉に、頭の中が真っ白になった。
隣で健人も絶句している。が、みずきの隣りに座っている当麻だけは、
なぜか表情が動かなかった。
「お願いしたい、ってなんだよ。」今度は雪見に代わって健人が聞く。
「次のオーナーになって欲しい!って意味…。」
「嘘だろっ!?なに言い出すんだよ、みずき!頭がおかしくなったんじゃないの?」
みずきの思った通り、真っ先に反対したのは健人だった。
だが当麻は、平然とみずきをかばい擁護する。
「まずはみずきの話を聞いてやれよ!あーだこーだ言うのは、それからにすれば?」
当麻のきつい口調に、健人がムッとして言い返す。
「当麻、お前…。始めから話の内容を知ってて、みずきを連れて来ただろ!」
当麻は何も返事をしなかった。
「健人くん!いいから。まだ何も詳しい事、みずきさんは話してない。
全部聞いた上で判断したいの。
だからみずきさんの話を、ちゃんと聞いてあげよう。」
健人が荒げた声によって、雪見は我を取り戻した。
「みずきさん。聞く心構えができたから、話してくれる?」
「わかったわ。じゃ、詳しく話す。
初めて猫かふぇで雪見さん達に会った時、オーナーが入院してるって言ったでしょ?
あの時は言わなかったけど…末期癌なの…。
先月余命宣告を受けたって、おじいちゃんが言ってた。」
ひざの上に視線を落としたみずきに対して、次の質問をするのは酷だとはわかっている。
だが、これを聞かずして判断は出来ない、と雪見は冷徹に話を進めた。
「あと…、どれくらい?」
「早くて二ヶ月…。春まではもたないだろう、って…。」
「二ヶ月!?年が明けたらってことか…。早すぎるな…。
それで次のオーナーを捜してる。そう言うことだろ?
でも、なんでそれがゆき姉なんだよ!
誰なのかは知らないけど、芸能界の大物なら他にいっぱい人脈があるだろ!」
明らかに健人はいらついている。
やっと雪見との愛が固まり、これからお互いを励まし合って、デビューまで突っ走っていこう!
そう晴れ晴れした気持ちでいた矢先だけに、二人の間に突如割って入ったみずきに対して、
たとえ友人と言えども腹立たしさを感じていた。
「健人くん。私もそう思う。けど、みずきさんがこんな私に話を持ってくるなんて、
きっとよっぽどの理由があるんだよ。話を最後まで聞いてあげよう。」
健人をなだめるように、雪見は静かに微笑んだ。
「オーナーが最後に望んでいることはただ一つ。
自分の人生を捧げられるくらい猫を愛してる人に、次のオーナーを託して死んで行きたい…。
だけど、オーナーやうちのおじいちゃんの知人は、みんなもう高齢だから
またすぐ次に交代するようでは駄目だって…。
それで、若い世代で捜して欲しいって、私が頼まれちゃった…。」
「断れなかったわけ?それでゆき姉に話を持ってくるなんて、安易すぎるんじゃないの?」
健人の苛立ちは修まりそうもない。
「だって、死んで行くってわかってる人が、『最後の願いを聞いてくれ。』って、
私の手を握って涙を流すんだよ!
もう全然力の入らないシワシワの手で、私にすがるんだよ!
どうしてその手を振り払えると思う?」
みずきはそれだけ言うと泣き崩れてしまった。
当麻が隣りから、そっと背中を撫でる。
「ごめん、みずき…。俺、言い過ぎた…。」
健人も、強く当たってしまった事を後悔してる。
しばらくのあいだ四人の空間に、重苦しい沈黙が続いていった。
ふと雪見が、思い出したようにみずきに質問する。
「そうだ!ずっと気になってたんだけど、中にいた猫ちゃん達は今どうしてるの?
猫かふぇが休業してるのは、次のオーナーがみつからないから?」
涙を拭いたみずきは、誠心誠意雪見を説得しようと心に決めた。
「休業してるのは中を改装してるせいもある。
オーナーが、次の人に引き渡す前に、自分の影を消しておきたいって。
気が付かなかったと思うけど、お店の至る所にオーナーが誰か?っていうヒントが隠されてたのよ。
自分からは決して名乗らない。だけどほんのちょっぴり気付いて欲しい。
そんなおちゃめな人なの、オーナーって。
中にいた猫たちは一時里親に預けてるだけだから、新しいオーナーが決まって
新装オープンする時に、みんな戻って来るから安心して。」
「そう!良かった!それだけがずっと心配だったの。」
雪見がホッと胸をなで下ろした。
「雪見さんと初めて会った時、私とおじいちゃんに夢の話をしてくれたよね?
お金を貯めて無人島を買って、猫の島を造りたい。
不幸な猫たちのお母さんになりたい!って。
猫かふぇのオーナーとまったく同じ発想だったから、おじいちゃんと凄く驚いたのを覚えてる。
無人島じゃないけど、その夢、『秘密の猫かふぇ』で叶えてみない?」
「えっ?」
「オーナーが、雪見さんに会いたがってる…。」
「みずき、お前っ!まさか勝手に話を進めてるんじゃ…。」
健人の言葉を途中で遮ってみずきは立ち上がり、身体を二つに折って
雪見に深く頭を垂れた。
「時間が無いの!お願い、雪見さん!
私、二週間後に戻って来るから、その時に一緒に病院へ行って面会して欲しい!
オーナーを安心させて、あの世に送ってあげたいの!お願いします!」
みずきはいつまでも、その頭を上げようとはしなかった。
雪見と健人は言葉もなく、ただ茫然とみずきの頭のてっぺんを見つめるしかない。
その横を、めめが「にゃ〜ん」と一声鳴いて通り過ぎた。