すれ違う二人
「当麻ぁ…。なんで私、こんなふうに生まれちゃったんだろ。
普通に生まれてきたかった…。」
健人と雪見がいなくなった食卓で、みずきは当麻と二人、静かにぬるいビールを飲んでいる。
「私、今日ここに来たのは間違いだったかな…。
健人と雪見さんにも、きっと嫌われちゃったよね…。」
「なんで?なんでそんなふうに思うの?
俺は健人とゆき姉にとって、お互いの気持ちを確認する良い機会だったと思うけど。
あの二人が付き合い出してからずーっと見てるけど、やっぱ基本的に
俺らの恋愛って難しいなって思う。
だってさ、ファンを惚れさせてなんぼの商売なわけじゃん、アイドルって。
いっつも、彼女なんていませーん!って顔してなくちゃならないし。
もしも彼女の存在がバレてファンが離れていったら、事務所的にはかなりの損害でしょ?
俺らの肩に、大勢のスタッフの生活がかかってるかと思うと、自分の感情は
二の次にしなきゃ駄目なのかな、と思う時もある。」
当麻がゴクゴクッとぬるいビールを飲み干して、冷蔵庫から冷えたビールを二本持ってきた。
「そうだね。私達の仕事って、半分は嘘つくことで成り立ってるのかもしれないね。
自分とはまったく違う人物になり切って、見てる人に嘘ついて、また私生活を嘘で固める。
それが仕事だって言われればそれまでだけど、時々、それじゃ本当の自分は
どこで出せばいいの?って思う。」
そう言ってみずきは、当麻から受け取った冷たいビールをプシュッと開ける。
「だからさ、結婚とか同棲とか、したくなっちゃうんじゃないの?
家に帰ったら大好きな人が待ってて、素の自分に戻れるんだよ?
人の目を気にして外でデートしなくても、家で好きなだけイチャイチャできるって、
超うらやまし過ぎでしょ!健人くん。」
「けど、あの二人の心の中は、そんな単純なものじゃないのっ!
ちゃんとお互いの気持ちが、噛み合ってくれるといいんだけど…。」
健人と雪見の心が、手に取るようにわかるみずきにしても、これ以上は
黙って見守るしかないのだ。
その頃、寝室にこもった二人は…ベッドに並んで腰掛けていた。
「少し落ち着いた?」
雪見の涙を手でぬぐってやった健人は、頭をよしよしと撫でてから穏やかな顔で微笑んだ。
「ごめんね…。せっかくみんな来てくれたのにね。
楽しいはずの鍋パーティーを、私がぶち壊しちゃった。はぁぁ…。」
雪見がうつむいてため息をつく。
「あの二人はそんなこと、気にするような奴らじゃないから心配いらないよ。
ねぇ、それより俺の目を見て。」
健人は雪見の両肩を掴み、自分の方を向かせた。
「さっき、みずきが読んだ俺の心は本心だから。
ずーっと考えてる。いつ俺たちの事を公表するのがいいか。」
「だめっ!そんなことしたら、ファンが離れて行っちゃう!」
「いいから、最後まで聞いて!
俺、もう嫌なんだよ。インタビューで、彼女はいませんって口に出すの。
そう答えるたびに、ゆき姉ごめんね…って心が痛くなる。」
「仕事なんだから仕方ないじゃない!それぐらい、私だって解ってる。
とにかく私は、健人くんの名前と今の人気を汚すような事だけはしたくないの!
健人くんが…健人くんがそれを傷つけてまで、私との事を公表する価値は、今の私には…ない。」
そう言って雪見は、健人の大きな瞳から目をそらした。
「なんで?誰がゆき姉の価値を決めるの?
俺が今のゆき姉を好きだって言ってるんだから、それでいいじゃん!
ゆき姉は俺のこと…あんまり信じてないんだね…。」
「そんなことないっ!絶対ないっ!」
「じゃ、どうして?どうして俺が他の人を好きになるなんて思うの?
俺は毎日、一秒でも早く帰ってゆき姉に会うために、頑張って仕事をこなしてるのに。
できることならゆき姉と、24時間一緒に居たいと思ってるのに…。
何にも伝わってなかったわけだ、俺の気持ち。
俺が一方的に思ってただけなんだね、きっと…。」
健人がスッと立ち上がり、雪見の方を見もせずに言った。
「ちょっと出掛けてくる…。」
「健人くん!!」
一人で寝室から出てきた健人は、ソファーに脱ぎ捨ててあったジャケットを手にして、
無言のまま当麻とみずきの前を立ち去る。
「おいっ、健人!どこ行くんだよっ!ゆき姉は?」
当麻の声にも返事せず、健人はガチャン!と玄関のドアを閉めて出て行ってしまった。
ただ事ではない事を察知したみずきが、急いで寝室に向かいドアをノックする。
「雪見さん?入るよ!」 雪見はベッドに座ったまま…泣いていた。
みずきが雪見の隣りに静かに座り、そっと肩を抱き寄せる。
当麻は開いたドアの向こうに立って、心配そうに雪見を見ていたが
みずきは首を横に振り、二人きりにしてくれと目で訴えた。
当麻がドアを閉め、足音が遠ざかる。みずきが少しの沈黙のあと、口を開いた。
「難しいね、恋愛って…。私もこの世界に入ってから、上手く行ったためしがない!」
そう言ってみずきは、クスッと小さく苦笑いをした。
「私の場合は、相手の気持ちが読めちゃうせいもあるけどねっ。
少し売れ出した頃から、どうも私をステイタスにしたい奴ばっかが近寄って来てさ。
純粋に私を好きになってくれる人は、あの華浦みずきが自分を相手にするわけがない!
って、勝手に引いて行っちゃうの。
私がその人の事をどんなに大好きか、いっぱい言葉を並べてもね。」
「えっ?みずきさんが?」
やっと雪見が顔を上げて、驚いたようにみずきを見た。
「そう!この華浦みずきさんでも!だから、健人も仕方ないかなぁ。
あ!ごめん。この部屋に入った時、すべてが読めちゃった…。
でもね、お節介かも知れないけど、これだけは伝えさせて。
健人は本当に本当に、雪見さんのことしか見てないよ!
確かに、言い寄ってる人気アイドルや女優の姿がたくさん見えてくるけど、
健人はまったく相手にしてないから安心して。
うーん、それどころかしつこい相手には、はっきりと雪見さんの名前を出しちゃってるなぁ。
芸能活動をしてるあいだは、少し気をつけてた方がいいかも。」
「健人くんは?今、健人くんはどうしてるか見える?」
雪見は、悲しそうに部屋を出て行った健人が心配でならない。
みずきは窓の外を見て目を閉じ、何かを感じ取ってにっこりと目を開いた。
「大丈夫!多分あと二時間もすれば、見つけて戻って来るから!」
「見つけて?」
「いいから、あっちでビールでも飲んで待ってよう!当麻も心配してるよ!
あ!私が健人を読んだ事、絶対内緒ねっ!絶交されたら困るから。
ゆき姉とも会うな!なんて言われたら、私泣いちゃう!」
笑いながら寝室から出て来た二人を、当麻がホッとした表情で迎え入れる。
テーブルには、当麻が作り直した鍋が、美味しそうに湯気を上げていた。