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健人を癒すバスタイム

十一月に入り、レコーディングの日が段々と近づいて来る。

最近はほぼ毎日、それぞれが仕事の合間にヴォイストレーニングへ通い、

最後の調整を三人はしていた。


その日も健人が雪見の元へ帰って来たのは、夜十一時過ぎ。

天気の悪い日が続き、ドラマの撮影が思うように進んでいないらしい。

かなりくたくたになって帰って来るので、健人の身体が心配だった。


「お帰り!今日も疲れたでしょ。お風呂湧いてるよ。

ご飯の準備しておくから、先に入って来てね。」


「一緒に入ろ!ご飯は後でいいから。」


「えーっ!今日も?」


健人はこの頃、雪見に聞いてもらいたい話があると、帰ってきてすぐに

雪見をお風呂に誘う。

別に重大な相談が毎回あるわけでもなく、ちょっとした愚痴だったり

悩みだったりすることの方が多いのだが、広い居間で話を聞いてもらうよりも、

狭いお風呂の中で肌を寄せ合いながら聞いてもらった方が、心が早く平安を取り戻せる気がした。


雪見は二人でお風呂に入る時、ぬるめのお湯にして外国映画のようにバブルバスにする。

大きなバスタブなので、二人が一緒に入っても少しも狭くはない。

泡だらけになると少しは気恥ずかしさも紛れ、健人の話にじっくり耳を傾ける事ができた。



「ねぇ。俺って歌うまい?下手?」

雪見に背中を向けてバスタブの中で膝を抱えた健人が、ボソッと聞いてくる。


「えっ?どうしてそんな事、気になるの?」

雪見は、真っ白な泡を両手ですくって健人の背中に乗せながら、肩越しに聞いてみる。


「ゆき姉も当麻も、めちゃ歌うまいけど、俺ってCD出すほど上手くはないよなぁと思って…。

当麻の足を引っ張る気がして、ちょっと気が滅入ってる。」


初めてのレコーディングを前にして、健人の気持ちが揺れ動いている。

本来の健人はポジティブなのに、最近の健人はネガティブ気味だ。

きっと、目の回るような仕事の忙しさに、心まで疲れてきてるのだろう。


こんな時雪見は、カウンセリングの女医さんになったつもりで、とことん健人の話を聞いてあげる。

手のひらを揉みほぐしてやったり、髪を洗ってあげたり、背中をマッサージしたり…。

「手当て」と言う言葉があるけれど、その言葉通り人間の手のひらは、心と身体を癒やす

ハンドパワーに溢れているのだ。

最後に雪見は健人の背中をぎゅっと抱き締め、必ずこう言う。


「大丈夫!健人くんが今歩いてる道は、間違ってなんかないから。

心配しないでそのまま進んで大丈夫だよ。

どんな時でも、私が必ず後ろで見守っててあげる。」


そう言われることで、やっと健人は心の平安を取り戻し、次の日も仕事場へ

出掛けて行くことが出来るのだった。



お風呂から上がった後は、雪見の美味しい料理とよく冷えたビールで、

さらに心をリラックスさせる。

「今日も一日お疲れ様!この豚キムチ、疲労回復にはいいんだよ。

ビールにも合うし、いっぱい食べてねっ!」


「やばっ!めちゃうまっ!ビール、飲み過ぎるかも。

ゆき姉が料理得意で、ほんと良かった! 」

健人が美味しそうに食べるのを見るのが、雪見にとっての癒やしだった。


「俺、ゆき姉に救われてるよね、毎日。

一人で暮らしてたら今頃、どうなってたんだろ。心が壊れてたかも…。

ほんとはゆき姉を救いに来たのに、今は俺が救われてる。」


「もし健人くんが家に来てなかったら、私が健人くんちに行ってたよ。

健人くんからのSOS、私が見逃す訳がない。

私がどれくらい健人くんのこと想ってるか、想像もつかないでしょ?」

お酒が入ると雪見は、ストレートに自分の心を健人に伝えられる。


「どれくらい、俺のこと好き?」

「毎日十個ずつ好きになって、多分いつまでたっても満タンにはならないと思う。」

「たった十個ずつ?俺なんか毎日百個ずつ、ゆき姉を好きになってるよ!」

「ありがと!今の言葉でプラス十個また好きになった!」

「たったの十個かよっ!」


一日の最後に、二人で笑ってキスして抱き合って眠る。

今、テレビや雑誌で毎日のように見かけるイケメン俳優斎藤健人は、

こうしておのれを保って明日も働く。




十一月初めの木曜日。今日は健人のドラマのオンエア日。

先日健人の卒業アルバムで見た、「ガリ勉くん」と呼ばれていた人が、

健人の同僚役で出て来る日だった。


「今日のドラマ、録画しておいてね。オンエアには間に合わないけど、

そんなに遅くならないで帰れると思うから、帰ったら一緒に見よう。

じゃ、行って来ます!」

そう言って健人は、サングラスにキャップを目深にかぶり、玄関を出て行った。


オンエアまであと13時間。

あの「ガリ勉くん」のことは、ずっと頭の片隅から消えてはいなかった。

出会った頃には少しも気にならなかった健人のファンや共演者が、

今は100%ライバルに思えて仕方ない。

どんなに健人と愛し合った翌日でも、健人が仕事に出掛けたあとは、

雪見の元に戻ってくるまで、言いしれぬ不安に襲われ続けた。


そんな気持ちを紛らわすため、雪見はひたすら歌のレッスンをしたり、

めめとラッキーを被写体にカメラを構えたり。

近頃増えてきたグラビアの撮影は、プロの手によってヘアメイクを整え衣装に着替えると、

簡単に気持ちまで別人に変身できて、最近では好きな仕事のひとつになった。



「ただいまぁ!あー、お腹減った!今日のご飯はなに?

あ、録画したやつ見ながらご飯食べよう。」

今日も健人は、無事に雪見の所へ帰って来てくれた。

ホッと胸をなで下ろし、健人がお風呂に入ってるあいだに食卓を整える。


「お疲れー!あぁ、風呂上がりのビールは最高っ!」

健人の笑顔が弾けた。今日はどうやらいい一日だったらしい。


「さ、今日のドラマ見ようよ。結構話が展開してきたよ。」

そう言いながら、健人が再生ボタンを押した時だった。

健人のケータイに電話が入った。


「もしもし?え?大沢?なんで俺の番号知ってんの?

オンエア?今から録画したやつ見るとこだけど…。

そんなの別に明日でもいいじゃん。明日も俺と一緒の出番だろ?

これから飯食いながら見るとこなんだから、まだお前の感想なんてわかんないよ。

見たら明日、ちゃんとアドバイスするから!じゃーなっ!バイバイ!


なんだよ、こいつ!いきなり馴れ馴れしいんだから!

しかも勝手に俺の番号、聞き出しやがって!誰だよ、教えたやつは!」

健人が電話の主に憤慨している。


「誰?大沢って…。」


「あぁ、ガリ勉くん!今日初めてドラマに出て来るやつ。」



雪見は今の電話で、これから再生される画面を凝視出来なくなってしまった。


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