地上に降りたマリア
突然、トーク中のステージから雪見が消え去り、後に残された健人と当麻は
雪見が戻るまでの間、必死に場を取り繕っていた。
夏美も、雪見がなかなか戻って来ないので、ステージ横でイライラし始める。
「ねぇ、全国ツアーって楽しみじゃない?
この三人でコンサートができるなんて、夢みたいな話だよね!」
当麻が、ツアーの話で何とか時間稼ぎをしようと、健人に話を振る。
「ほんとだね。ついこの前までそんなこと、思いもしなかったな。
でもさ、CDデビューしたらいつかはきっと!ってみんなが夢見る全国ツアーを、
デビューから二十日後には実現しちゃうって、なんか怖い気がする。
ほんとに俺たち、大丈夫なの?って。」
実は健人も、雪見と同じような気持ちで揺れ動いていた。
自分には、そこまでの実力があるのだろうか、と…。
「俺はさ、一人なら無理かもしれないけど、健人とゆき姉が一緒なら
なんとかなると思ってるよ。絶対楽しいでしょ!めっちゃワクワクする!」
そう思えるのが当麻のいいところだった。
見た目、健人はあまり物事を深くは考えないように見られがちだが、
実は何事においても慎重派で、よく考えてからでないと行動には移さない。
反対に当麻は、まず行動に移してから考えるタイプで、健人に比べると楽天的とも言える。
だから今回のツアーに関しても、デビュー出来ること自体は嬉しいが、
まだそんな時期ではないのではないか、と言うのが健人の正直な気持ちで、
いやいや、三人力を合わせれば何とかなるさ!と言うのが当麻の考えであった。
「だって、これが最初で最後だよ!三人でツアー出来るの。
ゆき姉は、三月一杯しかアーティスト活動しないんだから、幻のコンサートツアーでしょ!
あ!記者さんたち、ここ強調しといて下さいねっ!
今回限りの三人でのツアーだから、皆さんお見逃しなく!って。」
当麻がそう言って会場を見渡し、念を押した。
するとそこへ、「みなさん、ただいまぁー!」と雪見が元気良くステージに戻って来た!
夏美が止める間もなく、手で何やらコロコロと押しながら…。
「遅いよ、ゆき姉!家のトイレまで行っちゃったのかと思った!」
当麻が、やっと戻った雪見に胸をなで下ろした。
「ホント、もう帰って来ないのかと思って心配したんだから!」
健人の本心でもあった。
「ごめんごめん!ちょっと良いこと思いついちゃって。」
雪見が手を合わせて二人に謝る。
「あれ?何持ってきたの?まさかそれって…。」
「ピンポーン!当麻くん、正解です!カラオケ借りて来た!
歌お!私達の課題曲!なんか急に歌いたくなってさ、『ヴィーナス』の
吉川編集長にお願いして、違う部署にあったの借りてもらっちゃった!
だって、私の歌はこれから披露するけど、二人の歌は今日はまだ発表出来ないでしょ?
それじゃ、せっかく集まってもらったこんなに大勢の記者さん達に、
申し訳ないじゃない。
だからあの歌で今日の所は、勘弁してもらおうと思ってさ。」
雪見は、ニコニコしながら二人を交互に見つめる。
さっきまで泣いていた事など、おくびにも出さずに…。
健人と当麻は顔を見合わせて笑ってた。ゆき姉らしいや!と思いながら。
「よっしゃ!そんじゃ歌っちゃいますか!俺ね、この後カラオケ行きたいと思ってたのよ!
さっすが、ゆき姉!俺の事、わかってるぅ!」
当麻のテンションが上がってきた。
「そう言う理由で借りてきたんじゃないんだけど…。まっいいか!
健人くんも歌ってくれるでしょ?」
「もちろん!ありがとね、ゆき姉。みんなのこと考えてくれて。
ゆき姉は…、もう大丈夫だよね?」
健人が雪見の目を真っ直ぐに見つめ、瞳で会話する。
「大丈夫!ちゃんと歌えるよ。でもその前に…。
ビール一杯だけ飲ませて!走り回って準備したから、喉がカラカラ!」
雪見が美味しそうにビールを一気に飲み干し、「うまいっ!」と叫ぶと、
その飲みっぷりに会場からは「いいぞーっ!」と拍手が起こる。
雪見がその声援に応えるかのように、ステージの前方ギリギリに立ち、
会場に集まった記者達に話しかけた。
「えっと、皆さん!今日は本当にお忙しい所、私達の為にお集まり頂き有り難うございました!」
突然雪見が挨拶を始めたので、健人と当麻も慌てて雪見の横に勢揃いする。
「私達はなにぶん俳優と猫カメラマンです。
そんな三人が歌う歌ですから、下手くそ!と思われるかも知れません。
ですが、心から楽しんで歌う事に関しては、誰にも負けてないつもりです。
これから三人で歌わせてもらうのは、絢香×コブクロの『WINDING ROAD』です。
当麻くんのラジオ番組向けに練習した曲ですが、今の私達を表現するのにピッタリな
一曲だと思います。
その後に歌う私のデビュー曲『君のとなりに』と、二曲続けてお聞き下さい。」
そう言って頭を下げたあと、三人は胸元のピンマイクを外し、ステージ中央に置かれた
カラオケの前に移動して、雪見を真ん中にマイクを握る。
曲をセットしてから三人、目と目を合わせにっこりと笑った。
♪曲がりくねった道の先に 待っている幾つもの小さな光
まだ遠くて見えなくても 一歩ずつ ただそれだけを信じてゆこう
出だしのフレーズの息がピッタリと合い、三人がホッとした瞬間
会場からは地鳴りのようなどよめきと共に、割れんばかりの拍手が湧き起こる。
予想もしてなかった反応に一瞬ビビッた三人だったが、みんなが受けてくれたと嬉しくなり、
今までで一番楽しんで歌う事が出来た。
歌い終わった時の喝采は、たった一曲のカラオケの後とは思えないほどで、
いつまでたっても拍手と声援が鳴りやまず、ステージ横で見ていた常務の小野寺を始め
プロデューサーの三上、夏美、今野らも、この三人の成功を改めて確信した。
拍手の渦の中、雪見がステージ左に用意されたグランドピアノの前に静かに座る。
健人と当麻も、雪見を見守るようにピアノを取り囲んだ。
ふぅぅぅ…。いつもと同じに雪見は目を閉じて、大きく息を吐く。
パッと瞳を開けた時、雪見は『YUKIMI&』に変身を遂げていた。
大勢の人を前に、初めて歌うとは思えないほどの落ち着きを見せているのは、
もはや周りの景色など目に映らないからで、ゆっくりと鍵盤に指を下ろし、
穏やかな顔で前奏を弾き始める。
♪はるか遠くに忘れた日々を 君と一緒に取りに戻ろう
たったのワンフレーズで、ざわついた会場は水を打ったかのように静まり返えった。
そこにいるすべての人が雪見の声に心奪われ放心し、やがて涙をこぼす。
それはまるでマリア様に偶然出会い、今までの罪を懺悔して流す涙にも似ている。
地上に降りた聖母マリアが、そこにいた。