今野のお泊まり
健人たち三人は酔うタイミングを逃したので、取りあえず今日は今野を連れて
もう帰ろう、とタクシーに乗り雪見のマンションへ。
健人と当麻が両側から今野を支え雪見が靴を脱がし、やっとソファーにゴロンと寝かす。
時計を見ると、針はすでに十二時を回っていた。
「当麻くん、今日は仕事何時から?もし良かったら、当麻くんも泊まってけば?」
「いや、遠慮しとく。朝六時に迎えが来るからこのまま帰るわ。
今野さんをよろしく。じゃ、夜にね!」
そう言い残し当麻は帰って行った。
雪見は今野に毛布を掛けてやり、それからお風呂にお湯を張りに行く。
その間健人は猫たちの相手をして遊ばせ、雪見は冷蔵庫の中を覗いて
朝食の献立を考えた。
「健人くーん、お風呂湧いたよー!」
「よしっ、じゃあ風呂入って来るから、めめとラッキーはこれで遊んでて!」
そう言って健人が、ねずみのおもちゃをポーンと放り投げた。
健人がお風呂を出た後、続いて雪見も入り、湯上がりは二人が一番大切にしている
一杯飲みながらのお喋りタイム。
この時間が一日の疲れを癒やし、穏やかな睡眠へと繋げるのだ。
にしても、今日は外で飲んできたと言うのに、本当に酒好きな二人。
「ねぇ。今野さん、どうしちゃったんだろうね。絶対いつもと違ってた。」
雪見と健人は、手に缶ビールを持ってベッドの上で壁に寄りかかり、
足を投げ出して座ってる。
「俺もそう思うんだけど、理由が解らない。」
「じゃ、夏美さん…てどんな人?会社じゃどんな存在?」
「俺も周りから聞いた話しか知らないけど、女の子の大型新人はみんな
夏美さんが担当して、育ててた時期があったみたいだよ。
前に今野さんが言ってた。夏美さんはマネジメントをしながら営業職もこなす、
スーパーマネージャーだ、って。」
「そんなにやり手なの…。」雪見の不安は募る一方だ。
「でもね、二年前だったかな?夏美さんに悪い噂が立って…。
それでマネージャーから外されたらしいんだけど…。」
健人が言葉を濁そうとしたのがわかった。
「ねぇ、それってどんな噂?」
「う、うん、あのね…。女の武器を使って仕事を取ってくる…みたいな…。」
「そうだったんだ…。ごめんね!嫌なこと聞いちゃって。」
健人が言いずらそうにしてたので、雪見はそれ以上聞くのは止めにした。
「さてと、もう寝よっか。明日は健人くん、何時だっけ?」
「明日じゃなくて今日ね。八時に及川さんが迎えに来る。
ここに迎えに来てもらうの初めてだから、なんか照れるなぁー。」
「今野さんに私達のこと聞いて、きっとビックリしただろうね、及川さん。」
「うん、多分ね。でも明日目覚めた今野さんこそ、ビックリすると思うよ!
ここはどこだ!?ってね。」
「ほんとだね!えへっ、楽しみ。じゃ、歯磨きして寝よ!」
寝相のいい二人は、一つの布団にくるまって寝ても、ずっと同じ体勢で寝ていた。
健人の左腕に雪見が抱きつくようにして…。幸せそうな寝顔である。
朝六時。健人より一時間早くに起きるのが雪見の日課だ。
今野もまだ眠っているので、起こさないように静かに顔を洗い、化粧をしてキッチンに立つ。
朝ご飯の準備が終る頃、居間から「ここはどこだっ!?」と、大声がした。
「ふふっ!やっぱりだ!」雪見が冷たいお水をトレーに乗せて、今野に運ぶ。
「おはようございます!ソファーじゃ身体が痛かったでしょ?はい、お水!」
「ええっ!?雪見ちゃん!?ここもしかして、雪見ちゃんち?」
今野の驚き方が予想通りだったので、雪見は可笑しくて仕方ない。
「そうですよ!昨日はここまで今野さん運ぶの、大変だったんですから!
まぁ、大変だったのは健人くんと当麻くんなんだけど。
あ!奥さんに電話して、この事伝えようと思ったんですけど、誰もおうちに
いらっしゃらなくて。週末だからお子さん連れて、ご実家にでも?」
「え?あ、あぁ!そうなんだ!子供がおばぁちゃんっ子でね。
それより健人は?まだ寝てるの?」
今野が慌てて話題を替えた。
「あ、まだ起こさないで下さいね。下手に起こすと機嫌が悪いから。」
「じゃ、どうやって起こすの?」「卵焼きの匂いで!」
贅沢な目覚まし時計だ!と今野が笑ってる所へ、健人があくびをしながら
珍しく自分で起きて来た。
「おふぁようございます…。今野さん、早起きですね。」
「よう!おはよう。昨日は済まんかったな!みんなに迷惑かけて。」
「ほんとですよ!今野さん、いきなりわけわかんない話したかと思ったら、
バタンキューで寝ちゃうんだもの。お陰で二日酔いにはならなかったけど。」
「ほんと、すまん!なんか新婚家庭にお邪魔したみたいで、バツ悪いな。
車も取りに行かなきゃならんし、すぐ帰るわ!」
「何言ってんですか!朝ご飯食べてってからにしてくださいよ!
もう用意が出来てるから、健人くんは顔を洗ってきて!」
雪見の言葉に、健人がまたあくびをしながら、「ふぁ〜い!」と返事する。
三人で食卓を囲みながら、話は今日の記者会見の話題に。
「小林が司会を務めるが、100%の信頼はしない方が賢明だ。
なんせ彼女は手負いの狼だからな。」
今野の言葉に健人たちはびびっている。
「脅かさないで下さいよ!記者会見、さぼりたくなっちゃう。」
雪見は冗談なんかじゃなく 、一瞬本気でそう思った。
「大丈夫だよ。ゆき姉の隣りには、いつだって俺と当麻がいるじゃない!」
健人がにっこり笑って雪見を見る。
その笑顔に答えるように、こくりとうなずく雪見を見て今野は、
やはり二人の仲を壊される前に世間に公表した方が、良いのではないか?
と言う思いを強くした。
八時少し前。健人と今野が玄関にいた。
「じゃ、行ってきます!今日はまたゆき姉がデビュー曲を披露しなきゃ
ならないんだから、夜までしっかり練習しといてよ!」
「またぁ!わざと私を緊張させようとしてるわけ?
健人くんこそ、夏美さんが急にデビュー曲をアカペラで歌え!とか言ってくるかもよ!」
健人の言葉に雪見が反撃する。
「その辺にして行かないと、及川が下で待ってるぞ!
じゃ雪見ちゃん、お世話になったね。朝飯も旨かったよ!
今日は一日健人に付いてるけど、会見場では雪見ちゃんのマネージャーだからね。
健人が言った通り、なんにも心配しないで会見場においで。
じゃ、行ってきます!」
いよいよ新人アーティストとしての生活が始まる!
期待と不安を心の中で丸め込んで、雪見は静かにピアノの前に座った。