救われた二人
記者会見の打ち合わせを終え、小野寺が「じゃ、明日頼んだぞ!」
と言いながら、会議室を出て行った。
今野や当麻たちも、夏美に何か言われる前にそっと帰ろうと、ドアに近づいたところで
「ちょっと待って!」と後ろから声を掛けられてしまった。
「会見の前に、あなた達に確認しておきたい事があるんだけど。」
夏美の言葉に全員がドキッとする。
「まずは雪見…さん。契約上、明日からは私がマネージャーです。
マネージャーとタレントって言うのは、お互いの信頼関係の上に成り立つ
間柄だってことは、あなたにも理解できるでしょ?
私はあなたをこれから、全面的に信頼しようと思ってるんだけど、
あなたはその思いに答えてくれるのよね?」
夏美は、またさっきと同じ目をして雪見をじっと見つめる。
巧みな誘導だと思った。
夏美の言う信頼とは、ここでは無論「健人や当麻とは、仲を清算してくれるのよね?」
という事を指し、イエスとしか返答しようのない言い方をして雪見を追い込んだ。
どうしよう。今の三人の関係を自分で壊すなんて、考えられない。
この関係が成り立っているからこそ、私は今ここにいるのだ。
それを自ら壊してまでデビューする意味など、どこにも存在しない。
大体、この人さえ登場しなければ、すべては上手くいってたのに…。
この人とは、どこまで行っても仲良くなれそうもない。
どうしたらいいんだろう…。
その時だった。途中で廊下に出て行った今野が戻って来て、夏美の前に立った。
「夏美さん。やっぱ俺が雪見ちゃんのマネージャー、続投することになったから!」
「なんですって!?どういう事よ!」夏美が目を剥いて今野に食ってかかる。
「健人には、サブマネージャーの及川を付けることにした。
今、小野寺さんに許可をもらってきたよ。」
「何を勝手なことを!」今野の話に夏美が唖然としている。
「そろそろあいつを、チーフマネージャーに上げてやらなきゃな、と思ってたとこなんだ。
けど、まだあいつも一人前とまではいかないから、来年三月までは
俺が雪見ちゃんのマネージャーをやりながら、健人のサブに付いて、
手の空いてる時には及川の指導をする。
まぁ、健人のスケジュールに比べりゃ、雪見ちゃんのスケジュールなんて知れてるからね。
及川さえ健人のチーフとして付いててくれれば、雪見ちゃんのマネジメントとの
両立くらいわけないさ。」
今野が雪見に向かって微笑んだ。
「いいんですか?本当に私のマネージャーさんで!?
私は嬉しいけど、でも健人くんが困るんじゃ…。」
複雑な思いで健人の顔を見る。
「俺?俺だったら平気だよ。及川さんとは年が近いから話が合うし、
好きな漫画も食い物も同じだし、今までだって一緒に仕事してきたんだから
今野さんがいなくても、全然平気さ!」
「なにぃ!?お前はお世辞でも、『ちょっと寂しいけど…。』とか言えないのかよ!」
今野の言葉に当麻が大受けした。
「ゆき姉、俺なら大丈夫だよ。安心して今野さんに付いてもらいなよ!
今野さんが付いててくれたら、これから先、何にも心配いらないだろ?」
健人が雪見の肩に手を置き、優しい笑顔で雪見を見る。
雪見は、今野の心遣いと健人の優しさ、安堵感から緊張が解け、思わず涙が滲んできた。
「あれ?またなに泣きそうになってんのさ!しょーがねーなぁ!」
健人が雪見の頭を、よしよしと撫でてやる。
その周りで当麻と今野が、二人の様子をほんわかした気持ちで眺めていた。
しかし、それを見ていた夏美が黙っているわけはない。
「ちょっと、アンタ達!私を怒らせるのもいい加減にしなさいよ!
それに今野さん!一体あなたに何の権限があって、そんな出しゃばった
真似をしてるのかしら!」
夏美の怒りは相当なものだ。
だが、今野は余裕の表情で夏美を見た。
「悪いが、部長権限ってやつでね。
俺、昨日付けでマネジメント部長を兼任する事になってさ。
君には申し訳ないが、部長の初仕事として、君のマネージャー解任を
発動させてもらったよ。あ、でも安心したまえ。
君は明日付けで、雪見くんのマネージャーになる契約だったから、
その契約を無かったことにしただけで、経歴には一切傷など残らないから。
今まで通り、常務の片腕として頑張ってくれたまえ。
あぁ、明日の司会進行だけは、しっかりと頼むよ。」
夏美はワナワナと震え、「覚えてらっしゃい!」と捨てぜりふを残して
会議室をバタン!と出て行った。
「相変わらず、こえー女だ!と言うことで、これからもよろしく!」
そう言って今野は雪見に右手を差し出し、がっちり握手を交わす。
やっと雪見に笑顔が溢れ、健人と当麻もそれを祝福した。
「でもさ。どうして今野さんは常務に、ゆき姉のマネージャーを続投させてくれ!
って、頼み込んだの?」当麻が不思議そうに今野に聞く。
「だって、どう考えても雪見ちゃんと小林じゃ、馬が合わないと思わなかったか?
タレントとマネージャーが信頼関係の上に成り立っている、とは彼女の言った通りだ。
だが、どうしたって信頼関係なんて結べるはずがない!って顔してたからな、雪見ちゃん。
分かりやすい性格だから、マネージャーとしては非常にやりやすい!」
「さすが、今野さん!」健人が笑った。
すると今野は穏やかな顔で、「お前のためでもあるんだよ。 」と言う。
「えっ?俺のため?」
「雪見ちゃんがお前のそばにいるようになって、お前はずいぶん変わったんだ。
俺がお前を見てきてから、今が一番いい状態だと思うよ。
精神的にも安定してるし、仕事に対する意欲がまるで違う。
俺はお前に、もっともっと上を目指してもらいたいから、今の状態を崩させたくなかった。
雪見ちゃんと今まで通りでいたいだろ?」
「今野さん…。ありがとう。そんなに俺たちの事、考えててくれて…。」
「よしっ!じゃあ明日の記者会見の無事を祈って、これから四人で飲みながら
打ち合わせでもするか!」
「やった!もちろん今野部長のおごりですよね?」
当麻がニコニコしながら聞いた。
「さては、都合のいい時ばっかり、俺を部長呼ばわりする気だな?
お前達の作戦にみすみす引っかかってたまるか!」
男達三人は、楽しげに笑いながら会議室を出て行く。
だが後に続く雪見は、夏美が残した捨てぜりふがどうしても気になり、
先ほどまでの笑顔が半減した。
明日の記者会見、何事もなく無事に終ればいいのだけれど…。