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初めてのレッスン

「さぁ!じゃレッスンを始めるぞ!」

事務所専属のヴォイストレーナー柴田の掛け声で、雪見たち三人は

グランドピアノの周りに集まる。

発声練習から始まり、声を良く出すための練習曲、はたまた腹式呼吸のための腹筋運動まで、

時間のあまり取れない健人と当麻の為に、様々な要素が効率よくトレーニングできるよう、

工夫がされたメニューだった。


「こんな本格的なレッスンは何年ぶりだろう。中学卒業以来だから…、

え?十八年振り?うそだぁ!あれからもうそんなに経つのぉ!?」


小学校中学校と、九年間所属した児童放送合唱団を、退団してからの年数を

指折り数えてみた雪見は、十八年という歳月の経過に気が遠くなりそうだった。

十八年前と言えば、健人達はまだ二、三歳!

そんな赤ん坊のような時期に、雪見はすでに中学を卒業してたなんて!

いまさらながらこの二人との年の差を、目の前に叩き付けられたような気がした。


「健人と当麻は久々のレッスンだけど、割と声が安定してるから大丈夫そうだな。

雪見ちゃんも、合唱団にいた頃のレッスンを思い出したでしょ?

基礎っていうのは、何十年経っても変わらないもんだから。」


柴田の言った『何十年』が、心に再びパンチを入れてきたが、

事実なんだから仕方ない!と開き直るよりほかなかった。


「あのぉ、私こんなんで、なんとかなるでしょうか…。」

不安で仕方のない雪見が、柴田に感想を求める。


「大丈夫!三上さんに聞いてた通りだったよ。

凄く魅力的な歌声だ!話し声とはまったく違うね。

基礎が身体に染みついているから、ちょっとのレッスンですぐいけると思う。

デビュー曲、もう歌えるんだって?一度聞かせてもらえる?」


「歌えるって言っても、自分の解釈で歌ってるだけですから…。」


「それでいいんだよ。歌っていうのは、自分の中できちんと消化してから声にしないと

相手には伝わらないものなんだ。

まだスタートの段階なんだから、気にしないで歌ってみて。」


「わかりました。」


スタンドマイクの前に立ち、雪見が目をつぶる。

すでに完成されてる練習用カラオケの前奏が始まり、見開いた雪見の瞳に

健人は見覚えがあった。

それは、カメラを構えた時に雪見が見せる、プロの鋭い眼差しと同じ瞳だっ た。

真剣で鋭くて、優雅で優しくて、自信に満ち溢れた瞳で写真を写す時と同じ雪見が、

今マイクの前に立っている。


『自分じゃ気が付いてないのかも知れないけど、ゆき姉の中でこの曲は

すでに自分の曲なんだ。だからあんな瞳で…。』



歌い終わって雪見が、『ふぅぅ…。』とため息をつく。

いつも雪見は前奏が始まると、意識が異次元に飛んでいくように歌の世界に入り込み、

一切の雑音が聞こえなくなる。

歌っている最中に緊張などしたことがなく、曲が終ると同時に異次元から

また引き戻される感覚があるのだ。

だから一曲歌い終わると、かなりの体力を消耗してしまうらしい。


聴いていた柴田が言葉を失っている。

初めて雪見の歌を聴いた者は、誰しもがそうなった。


「いや、これは…。驚いたとしか言いようが無い…。

もうきみに教えなきゃならない事なんて、何一つないよ。

とんでもない新人を見つけたもんだ!三上さんは。」


雪見は、柴田の感想があまりにも大雑把で、歌う前より不安になった。


「あのぉ…。もっと具体的な言葉で、ビシバシおっしゃって頂きたいんですけど…。」


「じゃあ、一つだけアドバイスしよう。

もう誰のアドバイスも聞かない方がいい。

今のきみの歌い方を、誰かに壊してもらいたくない。

いいね?今のまま歌い続けていいんだ。もっと自分を信じなさい。

僕のレッスンはこれでおしまい!」


「え?そんなぁ!これでおしまい、って…。」

雪見は困って後ろを振り返り、小野寺に助けを求める。

小野寺は微笑みながら、黙って一度だけうなずいた。



「ヤバクね?これじゃ俺と当麻、完璧に負けるっしょ!」

健人が嬉しそうに当麻を見た。


「っつーか、これ、ゆき姉との競争じゃないっすよね?

競争だとしたら俺たち、可哀想すぎる!」


「おいおい、お前たち!切磋琢磨するんじゃなかったの?

昨日の勢いはどうした!

『俺たち、この事務所の最強コンビだよ?ゆき姉一人に負けるわけないじゃん!』

とか言ってなかったか?」 小野寺は二人を見て笑ってる。


それから一時間ほど、健人と当麻は指導を受けながら自分たちのデビュー曲を歌い込み、

雪見はその間一人で、スタジオの隅にもう一台あるアップライトピアノを弾きながら

自分の歌を自主練していた。


歌えば歌うほどこの曲が大好きになり、自分が書いた歌詞も、より深い所まで

思いが染み込んでいく。

歌えば歌うほど二人への思いが更に強まり、愛おしくてどうしようもなくなる。


『この歌、毎日歌ってたら、どんどん体力消耗しそう!

今日は帰ったら、疲労回復になるご飯を食べようっと。

あの二人も結構バテてきてるみたいだし…。』



「有り難うございました!」健人と当麻が、柴田に挨拶をしている。

どうやら今日のレッスンが終ったようだ。

雪見も慌てて柴田に駆け寄り、挨拶をする。


「雪見ちゃん。きみのデビュー、楽しみにしてるよ。

きっとね、もっと歌うことが好きになると思う。だけど、周りに流されちゃダメだよ。

いつまでも、きみらしさを失わずに歌い続けていきなさい。」


「有り難うございます。私も柴田先生のお陰で、少し自信がつきました。

これからは、迷わないで歌っていけそうです。」


雪見は柴田と握手を交わし、健人、当麻と共にスタジオを後にする。



「さーてと。お腹空いちゃったね!うちでキムチ鍋食べたい人!」

「食べたい、食べたい!」 「俺も!」

「よし!じゃあ二人とも手伝ってよ!」


三人は、ワイワイ騒ぎながら今野の車に乗り込む。

雪見のマンションまで送ってもらい、車を降りる直前、雪見が今野に向かって言った。


「今野さんも一緒にキムチ鍋、どうですか?」



健人と当麻が一斉に雪見をにらんだのは、もちろん言うまでもない。


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