従兄弟の裏切り
「嘘だろっ!俺をつけてたって…。まさか義人兄ちゃんが…。」
ショックを受ける健人の隣で雪見は、自分でも不思議なほど落ち着いて
嫌な予感が的中してしまった、とだけ思った。
だが、それだけで終らせるわけにはいかない。
健人にとっては、思い出一杯の従兄弟かもしれないが、私にとっては幸いにして
何の思い入れもない、赤の他人に程近い親戚だ。
いや、健人は私のはとこでかまわないが、こんな男を健人と同様に
私のはとこ、だとは呼びたくもない。
一旦、この人には別に嫌われようが何しようが構わない、と思ってしまうと
雪見はひどく冷静に冷酷に、相手に対峙してゆく。
「あなた、健人くんと私を売るつもり?一体どういう神経の持ち主かしら。」
「こっちも生活が懸かってるもんでね。
なんせカミさんが、子供二人置いて出てっちゃったばかりだから。
二人の話を嗅ぎつけた時、やっと俺にもビッグチャンスが巡ってきたと小躍りしたよ。
健人んちに電話したらつぐみちゃんが出て、探りを入れたら案外簡単にここを教えてくれてさ。
まさか俺がこんな仕事してるなんて思ってないから、懐かしがって色々
お喋りしたよ、二人の事。」
健人と雪見は、つぐみの名前が出てきたことに驚愕した。
すでに健人の実家にまで手を回したとは…。
「義人兄ちゃん。俺たちのことは実家には何一つ関係無い。
もう二度と、つぐみに接触するのは止めてくれ。お願いだから…。」
健人の声は、明らかに震えていた。
その悲しげな健人の声を聞き、雪見は許せない!と思った。
健人を悲しませる者は誰であろうと、この私が許さない!
「健人くんはもう時間だから、戻って仕事の準備をして。
ごめんね、せっかく美味しい朝ご飯を作ってあげようと思ってたのに。
私のお昼用に買ったサンドイッチ食べてから行ってね。
あと、野菜ジュースも買ってあるから飲んでよ。
それと、卵なんかは冷蔵庫に入れておいて。忘れないでね!
じゃ、あとは私に任せて行った、行った!」
雪見は飛びっきりの笑顔を見せ、強引に健人の手にコンビニのレジ袋を握らせて、
なかなか立ち去ろうとしない、健人の背中を押した。
「私なら大丈夫。健人くんが思ってるほど、か弱くないの。」
自分で言いながら、可笑しくなって雪見は笑った。
「か弱いなんて、思っちゃいないよ。
けど、ゆき姉は俺のこととなると、すぐ暴走しちゃうから心配なんだ。
絶対に連絡ちょうだいよ!わかった?」
「わかってるって!行ってらっしゃい。夜にスタジオで待ってるよ。」
こんな状況にも関わらず雪見は、新妻がダンナ様を見送る気分に浸って
健人を見つめる。
健人は後ろ髪を引かれながらも、どうしても穴を開けられないドラマ撮影のために
雪見を残し、マンションに戻ることにした。
「ゆき姉に何かあったら、この俺が許さないから!」そう男に言い残して…。
健人の姿を見えなくなるまで見届けて、雪見はこれから挑む難交渉に向けて
自分の気合いを入れ直す。
「こんなとこに立ってるのもなんだから、そこのベンチに座りましょ。
お化粧しないで出て来たから、少しでも日陰にいないと…。」
雪見は、こんなことになるのなら、きちんと化粧してからコンビニに
行けば良かった!と、今更ながら後悔した。
こんなすっぴんに眼鏡で、この公園にあと何時間いるはめになるものやら…。
今日が仕事休みの日曜日だったから、まだこうしていられるけれど
これが平日だったら、とんでもない話だ。
っつーか、このしょーもない、健人とは似ても似つかない(と思いたい)
『はとこ』のお陰で私は、夢にまで見た大事な大事な同居初日の朝食を、
すっかり作り損ねたじゃないか!
初日ってのは、もう二度とやって来ないんだぞ!一体どうしてくれよう!
再びそれを思い出した雪見は、無性に腹の虫が収まらない。
が、同時に腹の虫が鳴き止まないことにも、今気が付いた。
「ねぇ、お腹空きません?あなたも朝早くから、あそこで私たちが出て来るのを
待ってたんでしょ?私もお腹ペコペコだから、ちょっとそこのコンビニ行って
朝ご飯買って来ます。あ、逃げも隠れもしないから安心して。
腹が減っては戦は出来ぬ、でしょ?じゃ、待ってて下さいね。」
そう言って雪見は、公園沿いにあるさっき買い物したばかりのコンビニに
再び入り、サンドイッチやおにぎり、飲み物を素早く買って、また公園へと戻ってきた。
「お待たせしました。サンドイッチとおにぎり、どっちがいいです?
あ、両方でもいいですよ。多めに買ってきたから。飲み物もお好きなのをどうぞ。」
男はおにぎりと緑茶をチョイスし、雪見はサンドイッチとカフェオレを選んだ。
それを口に運びながら、公園の木々を眺める。
ふと、『まさか私達、夫婦になんか見られてないでしょうね。』
とか思うと、周りの視線が急に気になって仕方なくなった。
とっとと話をつけて、家に帰ろう!
「いつからカメラマンを?ずっと今の仕事をしてた訳じゃないですよね?」
「以前は新聞社の報道カメラマンだった。この仕事は離婚してから。
大体都内の現場が多いから、子供たちのそばにいてやれると思って。」
「そう。お子さんはいくつ?」 「五歳と七歳。二人とも男。」
「ヤンチャ盛りだ、大変そう!」 「いや、親思いのいい子 だよ。」
一瞬、目を細めて父親の顔になったのを、雪見は見逃さなかった。
「じゃあ、健人くんが戦隊ヒーローやってた時、夢中になって見てたでしょ?」
「そりゃもちろん!『パパはこの人のいとこなんだぞ!』って言ったら
いとこの意味を保育園の先生に聞いてきて、『パパ、すごいね!』って。
しばらくは俺、保育園の先生方の人気者だった!」
そう言いながら男は、嬉しそうに笑っていた。
「ねぇ。じゃ子供たち、健人くんに会わせてあげれば?きっと大喜びするんじゃない?」
「えっ?」 思いもよらない雪見の言葉に、男は目を丸くした。
「今日の夜八時に、健人くんの事務所に子供を連れて来れる?
私達、歌のレッスンがあってスタジオに集まるの。
話を通しておくから、プロとして一番いいカメラを持って来て。
レッスン前に健人くんと子供たちの、記念写真を写してあげよう!
はい、これ私の名刺。なんかあったら、ケータイに電話して。
じゃあ、夜に待ってるからね!絶対来てよ!」
それだけ言うと雪見は、残りのサンドイッチやおにぎりの入った袋を
「お昼に食べて!」と男に強引に手渡し、風のように去って行った。
雪見がいなくなった公園のベンチには、爽やかな緑の風の匂いが残っている。