第二ラウンド
きれいにカットを終えた愛犬ジローを受け取り、真由子は颯爽と歩き出した。
なぜか生き生きと、楽しそうに見えるのは気のせいか。
その後ろ姿を眺めながら歩いている私の両手には、先程デパ地下で買った美味しそうな惣菜と、赤白一本ずつのワインがずっしりと持たされていた。
「ちょっとぉ〜!重たいんだけど。」
「あんたの作戦会議用食料なんだから、文句言わない!」
そう言って真由子はジローだけを連れ、とっとと歩く。
真由子は、このデパートから徒歩圏内の高級マンションに住んでる。
同い年で、外資系の商社に勤めるエリートOLだ。
私がフリーカメラマンになった頃、女性だけの異業種交流会のような飲み会で出会った。
お互い、無類の動物好きでお酒好き。
まったく異なる世界の仕事話が面白くて、すぐに意気投合した。
片や三か国語を操り世界を相手に仕事する、バリバリのキャリアウーマン。
片や、ひたすら野良猫の姿だけを追い求め日本中を旅する、さすらいのカメラマン。
同じ年月生きてきたのに、人間にはいろんな道があるものだ。
それに比べて猫たちには、飼い猫か野良猫かの二つの選択肢しか与えられない。
幸運にも人間の家で生まれたりペットショップで買われたり、あるいは拾われ連れて来られた猫たちは、ぬくぬくと温かい部屋の中で毎日を過ごし、餌にも水の確保にも困らない。
日がな一日、のんびりお昼寝三昧の幸せな日々。
それに対して生まれながらの野良猫や、家飼いされてたのに飼い主の突然の心変わりで、ある日ぽーんと外に放り出されてしまった可哀想な猫たちは、外敵からの恐怖に怯えながらもその日を生きるため必死で食料を探し、水を求めてさすらう。
この天と地ほど差がある猫の話に、真由子は真剣に耳を傾け心を痛めた。
「ねぇ、このあと私の家で飲み直さない?
あなたの話、もっとたくさん聞きたいから。」
そうして私は真由子の家に招待され、一晩中ワインを飲みながらお互い仕事の話を熱く語り合った。
あれから五年。
私たちは、結婚適齢期と世間で呼ばれる年頃を軽くかわし、こうやって今もしょっちゅう会っては酒を飲み、いろんな事を語って夜を明かす。
「あー重たかったぁ〜!
もう、タクシーに乗れば良かったのにぃ!」
「なに言ってんの!こんな近距離でタクシー使ったら運転手さんに悪いでしょ。
これから一晩飲み食いすんだから、少しでも先にカロリー消費しとかないと。」
「一晩中って、まだ三時前だよ?おやつの時間じゃん。
さっき買ってきたケーキ、早く食べよ。コーヒー、コーヒー!」
そう言いながら私は、座り心地抜群の高級ソファーに腰を下ろした。
そこへ解き放たれたジローが、嬉しそうに足元に駆け寄る。
「ジローくん。また一段と男前になって良かったねぇ。」
ジローの頭をよしよし。
するとジローは可愛い尾っぽをぶんぶん振り回し、私の膝にぴょんと飛び乗った。
「さすが雪見だよね。どんな動物でも一度で雪見を好きになる。
ジローがあんたと初めて会ったとき、ご主人様の私を差し置いてあんたにべったりだったのを、今でも腹立つくらい思い出すわ。」
「あははっ!しょーがないでしょ。私はこの能力だけで、ご飯食べてってるんだから。
じゃないと警戒心だらけの野良猫を探し出して安心させて、空気になって写真撮るなんて出来ないよ。
ベストショットのために、待って待って待ち続けるなんてザラ。」
「だよねぇー。唯一尊敬するのが、そのひたすら待つ姿勢! 私にはとてもじゃないけど無理。」
「ちょっと!唯一ってなに? 唯一って。」
「あんた。仕事に待ちは必要だけど、恋愛に待ちは必要ないから。
さ、とっとと作戦会議!」
もう一度最初から、知りうる限りの健人に関する情報を真由子に話した。
健人が生まれてから、行き来のあった小学生までの話。
一ヶ月前に十年ぶりに再会して、それから今日までの事。
健人からのメールも雪見からの返信も、容赦なく提出させられた。
「やだなぁ、メール。なんか恥ずかしいよ。」
「なに言ってんの!今の段階じゃ、メールだけしか手がかりないんだから。
私があんたたちの側でご飯でも食べてたら、聞き耳立てて顔色うかがって、少しでも健人の気持ち探ることが出来たんだけど…。」
「やめてよ、そんなこと!
なんか真由子だったら、やりかねないから恐ろしいわ。」
「じゃ、つべこべ言わずに見せなさいっ!」
おずおずと真由子に、今までの健人からのメールを見せる。
「ふーん。これだけ?」
「そう、これだけ。」
「たったこれだけの文で、気持ちを読み解くのは難しいなぁ。
だって、ほぼ連絡事項のみじゃん。
ま、最初の方は (^з^)-☆Chu!!とか入ってるけど。
でもこんなの、ただの男友達でも社交辞令で入れてくるし。」
「えっ?そうなの?ちょっと嬉しかったのに…。」
「はあ〜ダメだこりゃ。あんたは年下男に免疫ないから、この程度ですぐだまされる。
それにしても健人のメールって、年のわりに意外と地味だね。もっとデコメだらけかと思った。
しかも、あんたっ!いっつも言ってるでしょ、香織が!
こんな字だけのメールじゃ、男が寄り付かないって。
なんでもっと可愛くしなかったの!」
「だってぇ…。私だって送信したあと、後悔したわよ。
でも、送っちゃったものはしょうがないでしょ。」
「ほんっと、しょうがないなぁ。
でも、よく考えたら信じられない!
今、あの斎藤健人の生メールを見てるなんてさ。」
「ちょ、ちょっとぉ!絶対に内緒だからね!メール見たのは。
真由子を信じて相談してるんだから、間違ってもアイドルおたく仲間に自慢話とか、しないでよ!」
「わかってるって!こんな事、もったいなくて話せませんて。
私が斎藤健人の親戚と、友達なんだよ?
言いたくて言いたくて仕方ないけど、これがバレたらマジ大変なことになるって。
しかも、あんたが健人の恋人にでもなったら!」
「まだ早いよ!健人くんが私の事、どう思ってるのかもわからないのに…。」
「だからの作戦会議でしょ?
まぁ、この真由子様に任せなさい!いい考えがあるんだから。」
そう言って真由子は、昼間っから白ワインのコルクを抜いた。