説得
♪ はるか遠くに忘れた日々を きみと一緒に取りに戻ろう
記憶の糸をたぐり寄せ 僕が最初に見たものは
きみの笑顔と差し出す右手 なのにどうして僕らの右手は
あの時 空をつかんだのだろう
今なら並んで歩いてゆくのに 今ならもう離さないのに
夢に出てきたきみのくちびる 「ゴ・メ・ン・ネ」って動いたのかな
まだ間に合う? もう遅い?
引き返せない道なんて この世に存在しないから
勇気を出して一緒に戻ろう 遠くに見えるあの日の始めに
夢は強く願えば叶うから 怖がらないで目を閉じて
きみのまぶたに写った景色を どうか忘れないでいて
いつか同じ景色が見えたなら ためらわないで手を伸ばそう
きみの夢は僕の夢 きっといつか叶えてあげる
記念の写真を二人で写そう
未来は誰にもわからないけど ひとつ確かに言えるのは
きみの隣りに僕がいること
緑の風に二人で吹かれて 今より遠くへ飛んで行けたら
きっとつないだ手の中に 夢のかけらが入っているはず ♪
「こーんな感じの曲なんだけど…。メロディーが凄く綺麗でしょ?」
雪見が電子ピアノのスイッチを切りながら、後ろを振り向く。
香織が微笑んでいる。真由子は…泣いていた。
「もう!真由子って、ほんとお酒が入ると涙もろくなるんだから!
普段は鉄の女!って感じなのにね。」
雪見は笑いながら、冷蔵庫から冷たいビールを三缶取り出し、二人に手渡した。
「雪見。この歌、マジでいい歌だよ!あんたの歌って、なんでいっつも泣けるんだろ。」
「それはね、真由子がいっつも酔っぱらって、私の歌を聴くから!」
「違うよ、雪見。雪見の歌って、本当に心の奥まで届く歌なの。
曲はもちろんだけど、歌詞も一言一言が心に入ってくる。
だから泣けるんだと思うよ。
ねぇ。どうして一人じゃデビューしたくないの?
前に見せてもらった卒業文集に、確か将来の夢は歌手って書いてあったよね?」
「香織、よくそんな事覚えてたね!子供の頃の夢だよ、子供の頃の。」
雪見が笑いながら言うと、香織は急に真顔になって雪見を見つめた。
「夢を叶える前に死んじゃう子供が、世の中にはたくさんいるんだよ…。」
「香織…。」
香織は、国立がんセンターの院内学級で、保母さんをしている。
主に5、6歳児を受け持っていた。
以前飲みに行った時、酔って香織が泣きながらこんな話をした事がある。
「抗ガン剤治療で吐いて苦しくて、普段はベッドから起きられない子も、
院内学級のある日は、這うようにしてでもやって来るの。
『先生!来たよ。ピアノを教えて。』って。
震える手で、一生懸命絵を描いて持ってくる子もいる。
どうしてそんなに頑張れると思う?
夢なの。夢があるから苦しくても頑張れるの。
そんなに小さな子供でも、大きくなったらピアニストになりたい!とか、
漫画家になりたい!とかって、はっきり夢を語るんだよ。
そこまで生きられないで、死んじゃうのにね… 。」
香織は、受け持ちの子供が死を迎えるたびに、自分ではどうしてやることも出来ない
無力さに打ちひしがれ、何度も病院を辞めようと思ったと言う。
だが反対に、病を克服した子供達は退院する時、一様に目をキラキラと
輝かせて夢を語るらしい。
「香織先生!学校に行ったらいっぱい勉強して、山本先生みたいな優しい
お医者さんになるからね!
そしたら香織先生が病気になった時、僕が痛くないようにお注射をしてあげる。」
夢ってね、生きる力になるんだって、子供達から教わったよ…。
そう言って香織が、その時うっすらと微笑んだのを覚えている。
「ねぇ!別にさぁ、あんた来年の三月までしか健人の事務所と、
契約してないんでしょ?
だったら、あとたったの五ヶ月間しかないんだから、ごちゃごちゃ考えないで
やってみればいいじゃん!長い人生のたった五ヶ月だよ!
私にそんな才能があったら、喜んで体験してみるけどな。
それとも、歌うのが嫌いになったとか?
それは無いよね、あんなにカラオケ好きなんだから。」
チャレンジ精神旺盛でミーハーな真由子なら、100%そうするだろう。
だけど私は…。
「先が見えないから怖い。そうじゃないの?
けど、健人くんたちだって、まったく新しい事にチャレンジしようとしてるんだよ。
一緒には歌えなくても、スタートは同じ新人なんだから、お互い励まし合って
昔の夢を体験してみればいいんじゃない?」
昔の夢…。子供の時に見た夢…。
手が届く所にある、本当は実現したかったもう一つの私の夢…。
「あんた、自分で書いた歌詞を忘れたの?
夢と同じ景色が見えたら、ためらわないで手を伸ばそう!って書いたんだよ。
それって健人だけじゃなく、自分に対しての言葉でもあるんじゃないの?」
ためらわないで手を伸ばそう、か…。
その時だった!ガチャンというドアが開いた音の後に、ガラガラと音が聞こえた。
「ゆきねぇ!いるんでしょ?ちょっと手伝ってぇ!
当麻、サンキュ!それ、取りあえず廊下に置いといて。」
健人の声であった!
雪見が慌てて玄関に行くと、旅行用の大きなスーツケース四つと共に、
健人と当麻が立っているではないか!
「どうしたの、健人くん!明日から海外ロケにでも行くの?」
その声を聞きつけて、真由子と香織もバタバタと居間から飛んで来る。
「なに言ってん!ゆき姉が心配だったから、当麻に手伝ってもらって
荷物をまとめて来たんでしょうが!
大体、なんでケータイに出てくれないのさ!何回も電話してんのに。
ゆき姉がスタジオ飛び出してから、どんだけ当麻と心配してたと思ってんの!」
普段あまり怒らない健人が、珍しく強い口調で雪見を叱った。
健人が、心から雪見を心配してたのが伝わってきたので、
雪見はいい訳をせず、すぐに「ごめんなさい…。」と謝った。
「まぁ、良かったじゃん!ゆき姉が元気そうで。
こいつ、本当に心配してたよ、ゆき姉のこと。
まだ帰ってなくても、荷物は運んでおきたいから手伝って、って。
あ!荷物出したら俺のトランク、返してね。
近々ドラマの海外ロケ、ほんとにあるから。」
当麻のトランク?
「ねぇ。その荷物はなに?」
「今日から俺がここに住むための、当面の荷物に決まってんでしょ!」
「健人くん…。」
静かな夜のマンションに、またしても真由子の大絶叫が響き渡った。