ラストショット
健人専属カメラマン最後の仕事場は、CM撮影スタジオであった。
午後三時半から、健人がCMキャラクターを務めるビール会社の
新製品のコマーシャル撮りが行なわれる。
女子五人と健人が、友人の結婚式パーティー会場で出会い乾杯をする、
という設定のCM撮影だ。
健人がヘアメイクを完了し、衣装のタキシードに着替えてスタジオに入ると
期せずして歓声と拍手が起こった。
カメラを構えて待っていた雪見も、思わずカメラを下ろし見入ってしまうほど、
健人のタキシード姿は格好良くセクシーで、男の色気が漂っていた。
「よろしくお願いします!」
頭をぴょこんと下げる仕草は子供っぽいのだが、衣装に合わせて雰囲気を作ると、
途端に大人のいい男に変身する辺りは、さすが若手俳優No.1と言われる
健人ならではの仕事ぶりである。
共演の女の子は、今人気のモデル五人が勢揃いした。
健人から遅れること二十分。
やっとパーティーメイクが完成し、スタジオに入ってくる。
みんな綺麗で可愛く、華やかな衣装の五人にも拍手が起こる。
だが最後に入ってきた一人を見て、雪見と健人の表情が固まった。
なんと、霧島可恋だった!
後ろにいた今野が、慌てて雪見の側に駆け寄る。
「霧島可恋が共演者だなんて、台本に無かったぞ!どういう事だ!」
雪見にだけ聞こえるような小さな声で、今野がささやく。
どうやら予定していたモデルの一人が急病で来られなくなり、急遽、
最近ブログで人気が急上昇中のカレンに声が掛ったらしい。
雪見は突然のカレンとの遭遇にうろたえたが、何とか冷静さを保ち、
最後の仕事を全うしなければと思い直し、深呼吸をしてカメラを構えた。
この五人は色んな現場で顔を合わせるらしく、すでに本当の友人同士のような雰囲気だ。
それぞれが頬を染めたりはにかんだりしながら健人に挨拶したが、カレンだけは
健人を無視するように何も声をかけてこなかった。
それがかえって不気味さを増し、この先何を仕掛けてくるのかと健人の心は身構えた。
モデル五人と健人が、パーティー会場を模したセットに勢揃いする。
それはそれは六人とも華やかで、たった六人しかそこにはいないのに
みんなの目には、百人以上の招待客がいる結婚式会場にも見えていた。
「じゃ 、始めます!よろしくお願いしまーす!」
シャンパングラスに新製品のスパークリングワインが注がれ、新郎新婦の幸せと
ここで出会った六人に乾杯!というシチュエーションで撮影がスタートする。
「カンパーイ!」カチンとグラスを六個合わせ、グッとワインを飲む健人。
「カット!」の声がかかると「これ、本物だぁ!」と健人が驚いた。
「びっくりしたぁ!ジュースかと思ったのに!」
大人を気取った演技の後にいきなり子供っぽい顔に戻り、そのギャップに
共演者も女性スタッフも、ドキドキと胸をときめかせる。
『健人くんの魅力って、そこが大きいよね。大人と子供が同居してて、
きっとみんなそのギャップにやられちゃうんだろうな。』
カメラを覗きながら 雪見は冷静に分析してみたが、内心穏やかではいられない。
なんせ五人の美女達が、しのぎを削って健人に自分をアピールしているのが
カメラを通してありありと判るのだから。ましてや霧島可恋が健人の右隣にいる。
まさか最後の仕事でカレンと一緒になろうとは…。
結構この二ヶ月間、辛いことも多かった。
どの現場でも健人は人気者で、健人を嫌いな女子にはお目にかかった事がない。
雪見が健人の遠い親戚であると言うことは、後半広く知れ渡っていて、
雪見に健人のアドレスを聞いてくる女子がどれほどいたことか。
そのたびに「ごめんなさい!マネージャーさんに口止めされてるの。」
と断るのだが、『あぁ、この人も健人くんを狙ってるんだ…。』と思うと
いつ自分が 彼女の座から引きずり下ろされるのか、不安と恐怖で仕事に
身が入らない日も多くあった。
だがそんな日々とも今日でお別れだと、ある意味ホッとしていたのに。
なぜ今、カレンに会わなければならないのか。
怖さと言うよりも、無性に腹が立ってくる。
最後の仕事を、お願いだから全うさせて!邪魔しないで!
祈るような気持ちでカメラを構える雪見。
その反面、もう健人を撮ることもないんだ、という思いが寂しさを募らせる。
いろんな思いでシャッターを切るうち、とうとうCM撮影が終了した。
何事も起こらずに安堵の表情を見せる健人。
最後の最後までシャッターを切り続ける雪見。
「お疲れ様でした!ありがとうございますっ!」
健人が共演者やスタッフに挨拶 して、雪見の方に歩いてくる。
カメラの中のその姿が、またしても涙で段々とぼやけてきた。
「ゆき姉、お疲れ様!本当に良く頑張ったね。
二ヶ月間ありがとう!凄く楽しかったよ。
ゆき姉と一緒に仕事が出来て、毎日が幸せだった!」
健人は、泣きながらもカメラを下ろさない雪見を、「頑張った頑張った!」
と言いながらよしよし!と頭を撫でてあげた。
雪見はカメラを下ろしたくはなかった。
下ろした瞬間に、幸せまでが終ってしまうような気がした。
「最後は泣かないって決めてたのに…。
健人くんの前では笑顔でいようって決めてたのに…。」
泣きながら笑顔を作る雪見を見て健人は胸がキュンときしみ、思わず雪見を抱き寄せた。
「大丈夫!俺がカレンから守 ってやるよ。」
雪見の耳元でささやいて、健人は素早く身体を離す。
それを見ていた共演のモデル達は口々に、
「なにあれ!なんで私達よりあんな人なわけ?あいつ最近当麻のラジオや
『ヴィーナス』にも出てる健人のカメラマンでしょ?
ちょっと健人のそばにいるからって、調子に乗ってんじゃないの?」
と、腕組みをして雪見をにらんだ。
「ほーんと、懲りない人達よねぇ。ばっかみたい!精々恋愛ごっこを
二人で楽しんでればいいわ!」不敵な笑みを浮かべてカレンがつぶやく。
後ろで二人を見ていた今野が近づき、雪見の肩をポンと叩く。
「雪見さん、二ヶ月間お疲れ様でした。俺から見ても、良く頑張ってたよ。
明日からは編集の方で忙しくなるけど、健人が喜ぶような写真集を頼んだからね。
あ、その前に、明日は午後二時から『ヴィーナス』十二月号のグラビア撮影だ。
他にもこれからキャンペーンとかが入ってきて、編集の合間にも雪見さんの出番が
多くあるから、これからもヨロシク!
じゃ健人、早く着替えて来い!『どんべい』まで乗っけて行くから。」
そう言って今野は、一足先にスタジオを出て行った。
「あー、腹減った!俺、めちゃめちゃ食うから覚悟しといてねっ!」
健人が雪見の肩を叩いて控え室へと足早に消え去る。
やっと、長い長い雪見の二ヶ月間が終わりを迎えた。