突然の元カレ登場
♪ピンポーン
健人と楽しくおしゃべりしながらカレーライスを食べていると、
インターホンのチャイムが鳴った。
「誰だろう?あ、当麻くんかな?この後、仕事なさそうだったから。はーい!」
インターホンの受話器を取りモニターを覗いた雪見は、そこに立つ人物を見て
息が止まりそうになった。
「学?もしかして学なの?」
当麻ではない男の名前を、雪見は小さな声で呼んだ。
その声を聞き、カレーを口に運ぶスプーンが止まる健人。
一瞬にして部屋から音が消え去った。
「よう!しばらく。元気だった?昨日デンマークから戻ったんだ。
たまたまこの前を通りがかったら雪見の顔思い出して、どうしてるかなと思って。驚いた?」
「驚くに決まってるじゃない!」
雪見の大声に健人も驚き、胸騒ぎがして「誰?」と聞いた。
慌てて首を横に振る雪見。その様子は、ただの知人ではないことを物語る。
健人の顔に不安げな表情が浮かび、うつむいてしまった。
雪見はどうしようかと思い悩んだが、少しの間を置いてインターホンの相手に
「上がってきて。今、鍵開けるから。」と告げる。
振り向いた雪見は健人に、「元カレなの。」と正直に伝えた。
「えっ!」思いも寄らない雪見の言葉に絶句して、ただ雪見を見つめる健人。
「ごめんね。別に彼がここに来なかったら、わざわざ言う話でもなかったんだけど、
来ちゃった以上、健人くんに嘘ついて取り繕うのは嫌だから。
私、健人くんには何も隠し事をしたくないんだ。健人くんの不安そうな
顔は見たくないの。だからきちんと紹介するから。
でも、健人くんが会いたくないなら無理にとは言わない。
この部屋にいていいから。」
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「はい!」ドアを開けると、長身でイケメンの三十代男が立っていた。
雪見が大学時代から五年間も付き合った男、梨弩学である。
「よぅ!」学が軽く手を上げた。
「久しぶり!何年会ってないだろう。何にも変らないね。」
「お互いにね。」
雪見と学が何年振りかの再会を静かに喜び合っていると、部屋から健人が出て来て
雪見の後ろにそっと立った。
そして雪見の肩越しから顔だけ出して「どぉも!」と頭をちょっとだけ下げる。
「あ!ごめん。お客さんだったんだ。じゃ、俺帰るわ。元気な顔見れたし。」
そう言いながら学が玄関を出て行こうとした時、「ちょっと待って!」
と雪見が学を引き留めた。
「斎藤健人くん。私の彼氏。」彼氏と紹介されて健人は嬉しくなった。
雪見の後ろから横に並んで、改めて「斎藤です。」と頭を下げる。
学は不躾にも健人の顔をマジマジと見た後、「あっ!」と大きな声を出した。
「さっきテレビ局のロビーに、この人のポスターがいっぱい貼ってあった!」
学は、こいつは何者?という顔をして健人を凝視。
すると健人も負けないぐらいの大声で、「あっ!」と叫ぶではないか。
「なになに!健人くんまでなんなのよ!」
突然耳元で大声を出された雪見の方がびっくりしている。
「この人、さっきテレビのニュースに出てた!」
健人が雪見の顔を見て言った。
「あぁ、そう。なんとか賞を受賞したからでしょ?
この人、科学者なの。その世界じゃ結構な有名人らしいけど。」
「なし…なし…?」
「なしど まなぶ です!」
「そう!その人!凄い賞を受賞したって、さっきインタビュー受けてた!」
玄関先で立ち話も何だからと居間に通したまでは良かったが、
健人がめめ達と遊んだチラシのボールが、あっちこっちに転がっていて
雪見と健人は慌てて一個ずつ、拾って集めた。
「ごめんごめん!そこに座って!
ご飯まだでしょ?良かったら一緒にカレーライス食べてかない?」
雪見が学の返事を待たずに、キッチンで準備を始める。
その間健人は、学とダイニングテーブルを挟んで向かい合わせに座り、
雪見のいない時間をどう繋ごうかと必死に考えていた。
「あ、あのぅ…。デンマークにいらしたんですか?もう何年も?」
健人が取りあえずの質問を思いつき、聞いてみる。
「あぁ、大学院を出てからだから、八年ぐらいになるかな。」
話は何も広がらず、それで終ってしまった。
焦った健人は、手当たり次第に思いついた事を口に出した。
「あの、梨弩って名字、俺初めて聞きました。テレビで振り仮名振ってなかったら
絶対に読めなかった!」 「あぁ、そう。」
「あ、ゆき姉のカレーライスって、めっちゃ美味いんですよ!
多分、お店が出せるくらいに美味いと思う!」 「知ってるよ。」
「そ、そうですよね…。」健人はそれきり黙ってしまった。
そこへやっと雪見が、温め直したカレーライスとサラダ、赤ワインと
グラスを三つ持って戻ってきた。
「お待たせ!カレーにワインってのも何だけど、久々の再会に乾杯も
無しじゃあんまりだから。
じゃ、なんとか賞の受賞おめでとう!乾杯!」
三人はチン!と軽くグラスを合わせ、喉にワインを流し込む。
「それにしても相変わらずだな、雪見は。
俺が何の賞を取ろうが、まったく興味が無いんだから。」
学が笑いながらワインを飲み干し、カレーライスを一口食べた。
「うん!うまい!懐かしい味だ。料理の腕も相変わらずだよ。」
「そう?それはありがとう。で、なに?今日ここに来た訳は。」
雪見も一気にワインを飲み干し、真顔で学に質問する。
健人は何も言葉を発する事が出来ず、ただカレーライスを食べワインを
流し込み、黙って二人の会話を聞いているよりほかなかった。
「四年ぶりに会って、それはないんじゃない?
ただ懐かしくなって顔見に来たって理由じゃダメなわけ。」
「そんな根拠に乏しい理由で、行動するような人じゃなかったはずよ。
そうでしょ?」
雪見は、何もかも学の事を知り尽くしてるようで、健人は内心穏やかでは
いられなかった。
学は、下を向きうつむいたままでいる健人に向かって、突然声をかけた。
「ねぇ、キミ。もしかしてキミって、芸能界の人?
僕は日本にずっといなかったからキミの事、何も知らないけど、
さっきテレビ局のロビーで、キミのポスターと一緒に写真撮ってる女の子が
たくさんいたから。
雪見とはどこで知り合ったの?いつからの付き合い?
どういう気持ちで付き合ってるの?」
矢継ぎ早の質問に戸惑う健人。だが雪見は、いきなり声を荒げて怒り出した。
「ちょっと!どういうつもり?私の質問に答えなさいよ!
今、健人くんはまったく関係ないでしょ!」
「雪見の彼氏なら、大いに関係あるよ。」
そう言って学は、また自分でワインを注ぎ一気に飲み干した。
何を言い出すのか解らない学の不敵な微笑みが、健人と雪見の心の中を
ぐちゃぐちゃにかき混ぜて、収拾のつかない状態にまで追い込んだ。