黒い列車
1話完結の怪談です。どっかで聞いいたか見たような記憶がありましたので、引っ張り出してみました。おそらく似たような話はたくさんあると思います。
最初の遭遇
それは、男がまだ若く、日々の生活に追われていた頃のことだった。
ある夜、男は残業を終え、疲れ果てて無人のホームで終電を待っていた。時計の針は間もなく午前零時を指そうとしている。静まり返った駅に、突如として地響きのような音が響き渡った。
「ゴト、ゴト、ゴト……」
現れたのは、現代の路線にはおよそ不釣り合いな、漆黒の蒸気機関車だった。現代的な電灯の光をすべて吸い込むような、底の知れない黒。煤の臭いと、冷ややかな風がホームに吹き付ける。
呆然とする男の前で、プシューと蒸気が吐き出され、客車の扉が開いた。吸い寄せられるように乗ろうとした男の前に、ぬっと影が立ちはだかった。黒い制服を着た、顔の判然としない車掌らしき男だった。
「お客様。あなたにはまだ、乗る資格がありません」
冷徹だが、どこか厳かな声だった。男が戸惑う間に扉は閉まり、黒い列車は音もなく闇の彼方へと消え去っていった。その後すぐにやってきた通常の終電に乗りながら、男は「ひどい疲れのせいで幻覚でも見たのだろう」と自分に言い聞かせた。
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二度目の拒絶
それから数ヶ月が経った、ある雨の夜のこと。
その日、男は仕事の付き合いでいささか酒が入っていた。千鳥足でホームに立ち、火照った体を夜風に晒していると、またあの地鳴りが聞こえてきた。
現れたのは、あの黒い機関車だった。
男は酔った頭で、「またあの妙な列車か」とからかうような気持ちで近づいた。そして、再び行く手を阻む車掌に、今度は食ってかかった。
「おい、乗せてくれよ。俺はちゃんと切符を持ってるんだ」
「いえ、あなたには資格がありません」
「嘘を言うな! あいつらは乗っているじゃないか!」
男が客車の窓を指差すと、そこには何人もの乗客が、微動だにせず虚空を見つめて座っているのが見えた。
「あの方達には、資格がありますので」
車掌はそれだけ言うと、男を優しく押し留め、再び列車を発車させた。残された男は、ただ呆然と遠ざかる赤い尾灯を見つめるしかなかった。
その翌朝、男のもとに悲報が届いた。田舎の両親が、不慮の事故で急逝したというのだ。
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動き出した乗客
男はすべてを放り出して実家に戻り、葬儀を執り行った。
慌ただしく初七日までを済ませ、心身ともにボロボロになりながら、男は再び東京へ戻るために地元の無人駅のホームに立っていた。日はとうに落ち、周囲には虫の声しか聞こえない。
そこへ、あの「ゴト、ゴト……」という不吉な音が近づいてきた。
三度、黒い機関車が現れたのだ。
男は吸い寄せられるように客車の前へと歩み寄った。だが、やはり車掌は首を横に振る。
「やはり、あなたには……」
「どうして俺だけ乗れないんだ!」
男が叫んだその時、男の脇をすり抜けて、二人の影がすうっと客車へと乗り込んでいった。
男は息をのんだ。その背中は、間違いなく数日前に亡くなったはずの両親のものだった。
「父さん! 母さん!」
叫んでも、二人は振り返らない。ただ視線を前に向けたまま、静かに座席へ腰を下ろした。
「あの方達は、もうあちら側へ行く資格を得たのです。しかし、あなたにはまだ、ここで成すべきことがある」
車掌の言葉が終わると同時に扉が閉まり、汽笛が夜の静寂を切り裂いた。両親を乗せた黒い列車は、男を現世に置き去りにしたまま、闇の奥へと消えていった。男はその場にへたり込み、ようやく「あの列車」が何を運んでいるのかを理解して、声をあげて泣いた。
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喪失と、間一髪の拒絶
それから数年後。男の人生は転落の一途を辿っていた。
仕事での大きなミスが重なり、ついには会社をクビになった。頼れる身内もいない。
折しも、その日は街が真っ白に染まるほどの猛烈な吹雪の日だった。
男は寒さを紛らわすためにやけ酒を泥のように煽り、雪が吹き込む駅のベンチに横たわっていた。意識が朦朧とする中、「もう、どうなってもいい。いっそ楽になりたい」と心の中で念じていた。
ガタゴトと、あの懐かしい音が聞こえた。
雪を蹴立てて滑り込んできたのは、あの黒い機関車だった。
男は這うようにして立ち上がり、客車のデッキへと足をかけた。今度は車掌も止めない。男はついに、この苦しい世界から解放されるのだと、安堵の息を漏らした。
しかし、まさに足を踏み入れようとしたその瞬間。車掌が男の胸にそっと手を当てた。
「……お客様。たった今、資格を失いました」
「え……? なぜだ、乗せてくれ!」
拒絶された瞬間、男の視界が激しく揺れた。誰かが自分の身体を激しく揺さぶっている。
「お客様! お客様、しっかりしてください! こんなところで寝ていたら凍死してしまいますよ!」
ハッと目を開けると、そこは雪の積もるベンチの上だった。自分を抱き起こしていたのは、血相を変えた駅員だった。別の乗客が、雪に埋もれて動かなくなっている男を見つけて通報してくれたのだという。
あの一歩を踏み出していれば、自分は今頃、凍死してあの世へ向かっていただろう。
男は一命を取り留めた。そしてそれ以来、どんなに夜遅く駅にいても、あの黒い機関車が姿を現すことは二度となかった。
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最後の乗車
それから、気の遠くなるような年月が流れた。
男はその後、小さな職を見つけて地道に働き、ささやかながらも真面目な人生を全うした。結婚はしなかったが、さみしさはなかった。あの雪の夜に拾った命を、ただ精一杯生き抜こうと決めていたからだ。
男はすっかり腰の曲がった老人になっていた。
ある穏やかな日の夕暮れ。老人は、静かな駅のホームのベンチに腰掛けていた。もう、身体は言うことを聞かず、呼吸をするのもやっとだった。視界がゆっくりとセピア色に染まっていく。
その時、遠くから、あの懐かしい、重厚な地鳴りが聞こえてきた。
「ゴト、ゴト、ゴト……」
現れたのは、あの頃と全く変わらない、煤の臭いをまとった真っ黒な蒸気機関車だった。
ゆっくりと扉が開き、あの車掌が姿を現す。車掌の顔は相変わらず見えなかったが、その声はとても穏やかで、懐かしいものだった。
「どうぞ、お客様。ようやく……乗車する資格を得られました。長い間、本当にお疲れ様でございました」
老人は、微笑んだ。もう車掌は彼を拒まない。
老人は軽やかになった足取りで一歩を踏み出し、客車へと乗り込んだ。中には、懐かしい人々の面影が、温かい光に包まれて待っているような気がした。
プシュー、と蒸気が上がり、列車は静かに発車した。
次の瞬間、現実の駅のホームでは、「もしもし、おじいさん? 大丈夫ですか?」と、ベンチで眠るように息を引き取っている一人の老人を、駅員が揺り動かしていた。その老人の表情は、まるで大仕事を終えたかのように、ひどく穏やかなものだったという。




