《短篇》ある皇女の失踪 ~あなたを愛したことを後悔しています~
犬猿の仲の隣国、帝国のヒルマ皇帝と王国のヨルノ国王だったが、友好同盟を結ぶため、お互いの娘と息子を政略結婚させることになる。皇女セレスティアと王太子ヒューバートは、親同士の不和を余所にお互い敬愛し、愛し合うようになった。しかし、そんなある日、王太子は自分の子を妊娠した子爵令嬢エリンを離宮に住まわせ始める。愛しい王太子の裏切りに、セレスティアは失意のどん底に突き落とされてしまう。
「後悔しています。
あなたを愛した事を────」
そう言って、
彼女は、私の目の前で飛び降りた。
まるで鳥のように、
美しい銀色の髪を靡かせて、
翻った白いドレスが天使の羽のようだった。
彼女はどこにも居なかった。
カケラさえ見つからなかった。
その日から、私は感情を失った。
* * * * * * *
帝国のヒルマ皇帝と、王国のヨルノ国王は、
隣国同士だったが、酷い犬猿の仲だった。
原因は皇后セリア。
絶世の美女のセリアに、ヒルマとヨルノは彼女に求婚。
そして、セリアはヒルマを選び皇后となる。
恋に敗れたヨルノは、王国内の貴族令嬢と政略結婚する。
その後も、過去の恋情の恨みで互いに軋轢を生み、
外交で対立して犬猿の仲となっていた。
長年の争いを終結させようと、側近たちが考えた対策立案が、
帝国の第一皇女セレスティアと、王国の王太子ヒューバートの結婚である。
セリアに瓜二つの娘をかつてのライバルの息子に嫁がせる事に、
ヒルマ皇帝は難色を示したが、善良な娘セレスティアは国の将来を憂い、
自らの希望で願い出て、その友好同盟の婚姻は実現した。
* * * * * * *
お父様と隣国の国王の諍いは、私が小さな頃から聞いていた。
だから…少し怖かったのだ。
でも、周辺国がきな臭くなり、隣国同士でもこんな関係では、
いざという時に同盟国が少ない我が帝国は、
あっという間に、侵略されてしまうのでないかと不安だった。
私は、王国への輿入れを受けるとお父様に願い出た。
お父様は大反対したが、お母様は賛成してくれた。
かつて愛した女性の娘を邪険に扱う訳が無いし、きっと大切にしてくれると。
私も隣国との友好同盟を結ぶべきだと説得し、お父様は渋々だが了承した。
そうは言ったものの、国王がお母様そっくりの銀髪に銀の瞳の私を見て、
昔を思い出して冷たくあたったり、おかしな気を起こしたりしないか
不安ではあった。
しかし、怯えて輿入れした私のそんな不安は、杞憂に終わる。
予想外に、国全体で大歓迎で迎え入れてくれたのだ。
王国の側近や臣下達も、こちらと同じ心配をしていたのだろう。
私は、ひとまず己の選択が間違っていなかったことに安堵した。
国王陛下は勿論、王妃様もお優しくて、私を娘の様に可愛がってくれた。
そして、私の夫になるヒューバート王太子殿下。
黒髪に鮮やかな碧眼の美しい見目に、穏やかな空気を纏う温厚で優しい王子様。
私は、すぐにこの王国に馴染み、心を開いて、彼を好きになった。
* * * * * * *
「誕生日おめでとう、セレスティア」
「…綺麗な花束と、この箱は…あの、ヒューバート様?」
「誕生日プレゼントだよ。今日だろう?受け取ってくれる?」
「は、はいっ!ありがとうございます。嬉しいですわ…」
「何か不自由はしてないかい?この国にも慣れたかな?」
「はい、皆様に親切にしていただいてます」
「そうか、良かった。開けてみて?」
「はい…………なんて、綺麗…」
「君に似合うと思って。白い肌と、美しい銀髪と銀色の瞳が映える」
「ありがとう…ござい、ます…」
「…どうして、泣いているんだい?」
「も、申し訳ありませ…あまりにもお気持ちが、嬉しくてっ…」
「ふふっ、ほら、着けてあげるよ」
ヒューバート殿下から、大きな花束と、
繊細な細工のネックレスを誕生日のお祝いで贈られた。
私は嬉しくて嬉しくて、どうしたらいいか分からない。
ああ、本当になんて優しい方なの。
「うん、すごく似合う。綺麗だよ」
「ありがとう、ございます…この宝石、ヒューバート様の瞳と同じ色で
とても美しいですわ…」
「良かった、気に入ってくれたんだね」
「ええ、勿論ですわ」
「今夜は、友好同盟1周年記念の王家主催の祝賀会も開かれるから、
その時に着けてくれるかい?」
「はい、喜んで。親族に会うのも久しぶりなので、楽しみですわ」
「君の誕生日でもあるからね。嫌でも厚遇させてもらうよ」
「ふふっ、ありがとうございます……まあ、今日も湖が綺麗ですわ」
「王宮の裏の湖が君は好きだね。何か惹かれるものがあるのかい?」
「なんとなくですけど…湖の水面の輝き方が違うのです。
今日は機嫌がいいなとか、元気がないなって感じたりします。
それに美しい歌が、時々聞こえてくるのです。
風の音かもしれませんけど…ふふっ、可笑しいですわよね?」
「いや、強ち君の感覚は正しいかもしれないよ」
「…え?」
「面白い伝説があるんだ。
あの湖は、この王国を守護している女神の化身だと言われている。
彼女は歌うのが好きで、時々歌声が聞こえてくるんだ。
清らかな魂を心を持った人限定だけどね。
残念ながら、私は一度も聞いたことがない。
後は、気に入った人間を助けてくれるとも言われている。
だから2年に一度、この湖の女神を祀るお祭りがあるんだよ」
「まあ、そうなんですの?とてもロマンチックですわ。
お祭りはいつなのですか?参加してみたいです」
「湖のほとりで、沢山の屋台と様々な催しがある。
女神に捧げる、鐘の音と唱歌と共に湖を船で回るパレードは、
華やかで荘厳で美しいよ。
王族も参加するから、今年は君も見れるよ、セレスティア」
「嬉しいです、楽しみにしていますわ」
私が王国に来てから1年が経った。
輿入れ日と友好同盟を結んだ日を忘れないようにと、
私の誕生日にしたのだ。
私は18歳になった。
王太子とは既に結婚していたが、私たちはまだ清い関係のまま。
私が環境に慣れるまで負担をかけたくないと、王太子殿下の優しさだった。
彼はいつも私を尊重して寄り添ってくれ、私も彼を敬愛し大切に思っていた。
私たちの関係は順調で、非常に上手くいっていた。
心配していたお父様もようやく認めてくれるまでに。
だけど、そんな幸福な日々は、
ある日あっけなく終わりを告げる。
* * * * * * *
私の誕生日から1ヶ月後、酷く憤慨した侍女から、
あの優しい王太子殿下が、子爵令嬢を孕ませたと聞かされたのだ。
最初、信じられなかった。
何の冗談なのかと。
お腹の子は6ヶ月。
責任をとって側妃にし、離宮に住まわせるという。
そういえば、朝から使用人が離宮に忙しなく出入りしていたのを
私は私室の窓から目撃していた。あれは、その準備をしていたのだろうか…
私が輿入れして、半年後に彼女と関係を持ったということなの?
いいえ、関係を持つ前に出会いがあり、付き合う期間を考えると
もっと早くから、彼は私を裏切っていた?…
でも、私は彼の誠実さを信じて、
殿下から直接聞くまで、そんな下世話な噂話を鵜呑みにしないよう努めた。
そして、とうとう、その日が来てしまった。
「…セレスティア、話がある…」
「はい…」
ああ、本当だったのだわ。
彼の蒼白の顔を見て察してしまった。
手が…震えている。
やめて、聞きたくない。
お願い。
「君に…謝らなければ、いけない事があるんだ…」
や め て
「側妃を…迎えることに、なりそうなんだ」
「…………そう、です…か…」
「彼女は今、私の子を妊娠している」
「……っ、……」
「セレスティア?」
「…聞いて、ます」
「すまない……でも、君が正妃なのは変わらないから、
心配しないで欲しい」
「…は、い…」
「これだけは、信じて欲しいんだ。
私は君を愛しているし、これからも心は変わらない」
───変わら、ない?
私はあなたの裏切りで、変わってしまったわ。
私に掛けてくれた、
言葉も、優しい目も、笑顔も…
全て、偽りだったの?
私にずっと隠れて…
子供を儲ける行為をするほどの…深い仲のご令嬢と、
ずっと…ずっと逢瀬を繰り返していたの?
私より彼女の方を愛しているの?
それを知った 私が どう思うか 少しも考え なかったの?
私の 存在が 少しでも 頭に チラつかなかった の?
それくらい、その方に 夢 中 だった の?
私は、王族の血筋 を 繋ぐ為だけ の 同盟だけ の 存在だったの?
ねえ、 愛してる って 何 ?
私 は、 何 …?
私 は… な ぜ、 ここに い る の?
「…セレスティア?どうした?…セレスティア‼︎ 」
「お嬢様っ‼︎ 」
ぐらぐらと揺れる視界と体の浮遊感。
静かにゆらゆらと、水底に沈みゆくように、
私は気を失った。
* * * * * * *
あなたを好きになんて、ならなければ良かった。
同盟のための政略結婚だと割り切っていれば、
きっと、こんなに苦しまなかったのに。
───あなたを愛したことを
今ほど後悔したことはない───。
心が切り裂かれるように痛い。
どうにか、なりそう。
正気でいることが、こんなに苦しいなんて…
いっそ狂ってしまえば、楽になるのに。
心は変わらない? ですって?
ああ、なぜ、男性は何人もの女性を愛せるの?
でも、私はあなただけ。あなただけなの。
他の人を見て欲しいくないの。
そんな願いさえ、もう叶わない────。
これから先ずっと私は、
側妃の存在が、常に目の隅にチラつく人生になるのだ。
王国は側妃制度はないはずなのに、
王家の血筋の子の為に、異例で認めたのだ。
側妃が産んだ子が、もし男児だったら、私も男児を産まなければならない。
そんなプレッシャーの中、彼と変わらず愛しあえるのだろうか。
それより私は、他の令嬢を抱いた彼に、触れられたくない。
どんな風に彼女を抱いていたのか、常に頭をよぎる中でなんて…
なんという、地獄。
あまりの汚らわしさと彼の裏切りに、吐き気がする。
私の心は、悲しみと喪失感、嫌悪感で破裂寸前。
も う、 耐 え ら れ な い。
目を覚まして、現実を見るのが怖い。
このまま…死 ん で し ま い た い。
それから、私は高熱を出して寝込んでしまった。
侍女は殿下の過ちを責め、彼が見舞いに来るたび追い返した。
私の味方は、王国ではもう侍女のエリーゼだけ。
真っ暗な水底に沈みゆくように身を任せ、私は深く深く眠った。
「お嬢様…」
「…わ、たし…ケホッ…」
「お水をお飲みください。さ、ゆっくり…」
水は少しずつ喉を通って体を潤し、深く息をして、
私は眩しい日の光に目を顰めた。
ゆっくり体を起こし、侍女が背中にクッションを置いてくれる。
「…お加減は、どうですか?」
「私…どう、したの?」
「気を失われたのです…殿下とお話中に…5日間お眠りになっていました」
「でん、か…?」
「お嬢様?」
「殿下って…どなた?」
「…え?あのっ、王国のヒューバート王太子殿下です。お嬢様の夫の…
………忘れて…しまわれたのですか?」
「知らないわ。誰なの? ねぇ、ここは…どこなの?」
「…なんて事っ…少しお待ちください。医師を呼びます」
「エリーゼ?」
私は、王国に輿入れした日からの記憶を全て失くしていた。
私の目の前で、泣き崩れ何度も謝罪している、
男性が多分殿下みたい。
ああ、なんて悲しそうで可哀想なのかしら。
そんなに謝らなくていいのに。
私は、あなたを知らないのだから。
* * * * * * *
「申し訳ありません…父上…」
「…なんて事をしてくれたのだ…ヒューバート」
「責は全て私にあります。どのような罰も受けます…ですが…
セレスティアだけは…どうか、どうか私の側に置いてくださいませんか?」
「やらかした本人が、随分欲深なことだな。
お前のせいであんな状態になったのだぞ。側に置いてどうするのだ?
彼女は王国の事を何も覚えてもおらん。この環境で回復するとでも?」
「…ですがっ、私は彼女を愛しています!」
「そんなのは分かっておる‼︎
では、なぜ他の令嬢と子を作ったのだ?この馬鹿がっ!
お前の軽々しい行動のせいで、帝国との同盟も無駄になるやも
知れんのだぞ!」
「申し訳…ありません…」
「一度、帝国に正妃を…皇女を返す。
知らぬ者ばかりに囲まれて、彼女も気が休まらんだろう。
大事だと言うのなら、それくらいの許容はできるな?
二度と会えぬ訳ではない。そう悲観するな」
「は…い…その、里帰りするにあたって、帝国にどう説明するのですか?」
「そのまま素直に言うわけなかろう。
怒り狂った皇帝が何をするか…それこそ戦争になる。
原因不明で記憶喪失になった為の静養だと伝える。
お前はその間に、側近と護衛騎士も含め再教育を施す。
二度とこんな醜態を晒さぬようにな。
お前は自らの過ちの整理と報告、そして後処理を引き続きせよ」
「はい、承知いたしました…」
「ああ、それから、欲しいのは王家の血筋の子供のみだ。
子が生まれたら、子爵令嬢は一生困らない充分な謝礼と領土を与え、
離宮から出て行ってもらえ。なぜか噂では、側妃になるなどと
言われているが、我が国は引き続き側妃制度は認めん。いいな?」
「承知しました」
* * * * * * *
「暇だわ…」
少し大きくなったお腹を撫でながら、
離宮から見事な庭園を見て、ため息を吐く。
ふふん、上手く行ったわ。王太子に無事に取り入ることが出来た。
これで、私の一生は安泰。その為の子供の一人や二人安いものよ。
忙しなく動き回る私つきの侍女を見て声をかける。
「ねえねえ、正妃様ってどんな人?」
「帝国の皇女様で、絶世の美女と言われたセリア皇后と生写しの
お美しい高貴な方ですわ」
「へえ~見た~い。ねえ、会わせてよ。
これから長い付き合いになるんだし、いいでしょ?
妃同士で仲良くなりたいし!」
「……離宮から出るのは、禁止されております。
それに、今はお体が大事な時期です。どうぞ大人しくご静養ください」
「別に、少しお腹が大きくなっただけじゃん…つわりもないし…」
そうだ。別に了解を得て、常に侍女を伴って動く必要はないんだわ。
こっそり抜け出せばいいじゃん。
正妃様に会いやすいようにって、隠れ通路も教えてもらってるし。
純粋に王宮の中も見てみたい。
それに、殿下を寝取られた正妃がどんな顔して、
暮らしているのかも見てみたいんだよねぇ。
まあ、高位貴族なんて、澄ました顔してるんだろうけど。
このお腹を見せつけてやったら、どんな顔するかしら。
* * * * * * *
「帝国に?」
「はい、一時的に帰国します」
「そう、お父様とお母様に会えるのね。嬉しいわ」
「そうですね…」
「どうしたの?」
「いいえ。荷造りを進めておりますが、こちらはどういたしますか?」
「まあ、綺麗なネックレス。これ、私のなの?」
「はい、殿下からの贈り物です」
「置いていくわ。覚えていないし。それに高価そうですもの」
「畏まりました。貴重品の金庫に入れておきます」
「エリーゼ、私、ここにはどれ位いたの?」
「1年と少し、です」
「そうなのね…あの方に申し訳ないわ。来るたびに謝罪するのだもの…
なぜ謝っているのか、分からないけれど…」
いきなり部屋のドアが、バタンと開け放たれ、
一人の女性が部屋を見渡しながら、ズカズカ入室してくる。
栗色の髪と明るいブラウンの瞳の少し幼く見える可愛らしい女性だった。
後ろから、王宮のメイドが慌てて追いかけてくるのが見える。
「あ~、やっと見つけたぁっ!もう部屋多すぎ、王宮デカすぎっ!
あっ、あなたが正妃様?ねえ、そうでしょ?
うっわ、すっごい豪華な部屋!私の離宮と全然違~う!」
「…あら、どなたかしら?」
「あなた、何を勝手に入ってきてるのですかっ?衛兵っ‼︎
護衛騎士は何をしているのっ‼︎ 誰かっ‼︎ 侵入者です!」
「ちょっと待って、シーシー!騒がないでよ、怪しい者じゃないんだから!
私は挨拶に来ただけだってばっ!」
「そのお腹…妊娠していらっしゃるの?」
「お嬢様っ」
「あっ、分かります?ええ、そうなんです!殿下とのお子です!
初めましてっ、私、側妃のエリンといいます。
殿下は、とっても私を愛してくれてぇ、正妃様を差し置いて、
こんなに早く妊娠しちゃって、申し訳ありませぇん、うふふっ」
「…側妃?…………」
「黙りなさい、この無礼者!衛兵、早くなさいっ!」
侍女は正妃を守りながら、ペラペラ喋るエリンに苛立って声を荒げる。
そこに、やっと姿を現した衛兵がバタバタとメイドに伴われ入室し、
侵入者を羽交い締めにする。
「おい、お前!どこから入った!出て行け!」
「え?ちょっ、ちょっと、い、痛いっ!乱暴にしないでよっ‼︎ 」
「一体お前たちは何をやっているの?こんなに容易く侵入を許すなんてっ!
お嬢様に、何かあってからでは遅いのですよ?」
「申し訳ありません、侍女殿。
どうやら、この者は城内の隠れ通路を使った様で、
侵入に気づくのが遅れました」
「ねえ、乱暴にしないであげて?痛そうだわ」
「お嬢様、こんな者の心配など無用です。さ、奥の部屋へまいりましょう。
衛兵、早く連れて行きなさいっ‼︎ 」
この騒ぎを聞き付けた、王太子殿下も少し遅れて入室してくる。
彼は二人が対面している現場を見て、顔面蒼白になりエリンに向き直る。
「なんだ、この騒ぎはっ。なぜ、君がここにいる?」
「あっ、殿下っ!助けてくださぁ~い!私怖くってぇ!
私は、ただご挨拶をしに来ただけなのにぃ。
正妃様が酷ぉいの〜。 私のお腹に子供がいるって分かっていて、
大騒ぎして衛兵嗾けるなんてぇ。流産させる気ですかぁ?」
「…離宮にいるよう言っただろう?勝手にうろつくな」
「すいませぇん。だって、暇なんですもの。
それに正妃様とは、これから長い付き合いになるのですから、
ご挨拶したくてぇ~…悪気はないんですぅ」
「いいから、さっさと戻れ、離宮から出るなっ‼︎ 」
「そんなに怒らなくても、殿下との大事なお腹の子は無事なので、
ご安心くださぁい。正妃様、これからよろしくお願いしまぁ〜す」
「衛兵、早く連れて行け!」
「はっ、失礼します。来いっ!」
「ちょっと、引っ張らないでよっ!痛いってばっ‼︎」
バタンッ
「セレスティア、大丈夫か?すまない…」
「…は、い…」
目の前がグラグラする…
何かしら…これ…
側 妃 … 妊 娠…
何か、思い出し かけて いる の だ け ど…
……~……
…………~~…………~♪
~…~♪……~~~~~~♪~~♪~♪
……歌?
「…お嬢様?どうしました?」
「歌が…」
「はい?」
「歌が、聞こえるわ…」
バルコニーの向こうに広がる美しい湖。
キラキラと宝石のように輝く水面。
なんて、美しいの…
あそこに…行きたいわ。
「エリーゼ、私バルコニーに出たいわ」
「は、はい…ですが…」
「湖が、とても綺麗なの…」
吸い寄せられるように、
バルコニーにフラフラと出ていくセレスティアを見て、嫌な予感がした。
私は、足早に彼女の後を追いかけた。
「ほら、エリーゼ、聞こえない?凄く綺麗な歌」
「い、いいえ?私には何も…」
「そう?…」
「セレスティア、歌が聞こえるのか?」
「はい、とても美しい歌です。ヒューバート様には聞こえませんか?」
「ああ、私にも残念ながら聞こえない……え?…今、私の名を呼ん…」
「あの方を…愛して、いらっしゃるの ですか?」
「セレス、ティア?」
「私の 何が、いけなかった の ですか?」
「お嬢様?…まさか……記憶がっ…」
美しい銀色の瞳から、一筋の涙。
「どうして、裏切った の です か?」
二人が混乱している間に、
彼女はスルリと素早く動き、バルコニーの手摺りに足をかけて、
いつの間にか、手摺りの上に立っていた。
体のバランスを少しでも崩せば、落下する状態。
あまりに予想外の突然の行動に驚愕して、
二人は全く動けず、立っている彼女を茫然と見上げていた。
「お、お嬢様っ…な、何をっ…危ない、ですからっ…早くこちらにっ」
「セレスティア…動かないで、落ち着いて…今、下ろすから…手を…」
とりあえず落ち着かせようとするも、彼女はそんな声は聞こえていないように、
穏やかに、そして、寂しげに微笑んだ。
「後悔しています。
あなたを愛した事を────」
そう言って、
彼女は、私の目の前で飛び降りた。
まるで鳥のように、
美しい銀色の髪を靡かせて、
翻った白いドレスが天使の羽のようだった。
「お、お嬢様ぁぁっ‼︎ いやっあああああああああっ!」
「セレスティア─────… …ッ‼︎」
伸ばした手は届かない。
真っ直ぐ彼女は、身動ぎ一つせず落ちて行った。
眼下の湖に、大きな波紋を描き、吸い込まれ、その姿は消えいった。
悲鳴を上げながら、泣き崩れる侍女と、
必死の形相で、湖を捜索する王太子。
しかし、いくら捜索しても、
彼女はどこにも居なかった。
カケラさえ見つからなかった。
全 て 私 の せ い だ
その日から、私は感情を失った。
* * * * * * *
セレスティア王太子妃が失踪した日から、
王宮は火が消えたように、静まり返っていた。
すっかり感情を失くした、ヒューバート王太子は、
毎日黙々と湖を捜索していた。
髪の毛1本も見つからず、
まるで存在しなかったように、失踪した正妃。
エリンの接触がきっかけで起こったこの悲劇に、
彼女へ冷たい目が向けられ、誰も何も言わなかったが、
周りの軽蔑するような雰囲気に子爵令嬢も流石に空気を読んで、
すっかり大人しくなり離宮から出てこなくなった。
「……まだ、見つからぬか?」
「はい…」
「そうか…せめて遺体だけでもと、思ったのだが…
どうするかな…帝国にも、この状況をどう説明すればいいのか…
それでな、聞きたくないとは思うが、
あの娘、子爵令嬢の身辺調査をしたが、見るか?」
「……調査、ですか?」
「ああ、見てみろ。報告書だ」
「……………」
「随分と多くの男と浮名を流しているようだが、
本当にあんな尻軽女とそんな関係になったのか?
お前の好みのタイプとも、程遠いであろう?」
「…領地視察を行った際に、領民より食事会に招待されたのです。
せっかく用意してくれて、断るのも悪いと思い参加しました。
どうも、その時に酒を飲んでしまったようで…記憶が曖昧なのです。
目が覚めたら、私は寝室で裸で…隣には子爵令嬢も裸で眠っていたので、
もしかしたら、酔った勢いで間違いを犯したのではと…
でも、記憶が全くなく…確証が持てませんでした。
だからと言って、放っておくべきではありませんでした。反省しております」
「うむ、どうも怪しいな…
その半年後に妊娠したと、知らされたのだな?」
「はい…ですから、あの時に…出来たのかと…信じ込んでしまいました」
「裸で一緒に寝ていただけではなぁ…
その後に、子爵令嬢には特に会っていなかったのであろう?」
「はい、一度も。招待された食事会の時も、彼女の姿は見ませんでしたし、
話もしていません。目が覚めた時も子爵令嬢は目を覚まさず、
随分深く眠っていましたし…すぐに側近と護衛騎士に連れ出され、
王宮に帰ってきました」
「何というか…不透明な部分が多いな…実に疑わしい…」
「あの父上…神殿の神官より、貞操真偽判定を受けたいと思います。
お許し願えますか?」
「ほお、真偽を確かめるか?その結果からは逃げられんぞ?」
「はい。覚悟して受け止めます。その上で責任を取りたいのです。
私は自分の行いを恥じて、全て自らの有責だと思い込んで、
冷静な判断ができませんでした。
そして、子爵令嬢を可哀想な被害者だと信じ込み、
疑うことを忘れていたのです。
それに…私の護衛騎士や側近まで、朝まで目を覚さないなど…
いくら酔っていたとはいえ…どうしても腑に落ちないのです」
「うむ、いいだろう。神殿には私が話を通す。
どうもあのバーンズ子爵家は、胡散臭いな…」
「ありがとうございます」
冷静に考えれば、おかしな事だらけだった。
セレスティアを裏切ったかもしれない、彼女に嫌われるかもしれない。
己の過ちに動揺して、誠実に責任を取らなければと、
そんな事で頭がいっぱいで、正常に思考が働かなかったのだ。
私のそんな愚かな先走った行動のせいで、セレスティアを傷つけてしまった。
あの悲しそうな銀色の瞳が、頭から離れない。
まだ、自分でも本当かどうかも分からない事を…
あんなに早く彼女に話すべきではなかった。
何より大切な人を…あんな風に追い詰めてまでも…
毎晩、夢に見る。
伸ばした手が届かない。靡く銀髪と悲しげな銀色の瞳。
君は何度も何度も、私の目の前で落ちていく。
目を覚まして、夢で良かったと安堵して、
そして、現実だったのだと思い知る。
どこにもいない君を求めて、自責の念に苛まれ絶望する。
こうして私の感情は、毎日毎日死んでゆく。
* * * * * * *
「ようこそ、いらっしゃいました。王太子殿下。
貞操真偽判定を担当させていただきます、神官のユーリと申します」
「今回は、よろしく頼む…神官殿」
「随分お疲れですね。陛下から王太子妃殿下が失踪したとお聞きしましたか…
まだ見つかりませんか?」
「ああ、湖に沈んで…消えてしまった…
ずっと捜索しているが、何も、何も見つからないのだ…」
「なるほど…その前に彼女に何か異変はありましたか?」
「彼女は…湖から歌が聞こえる、と言っていた」
「それは随分、湖の女神に気に入られましたね」
「伝説だと思っていたのだが…神官殿は歌を聞いたことはあるのですか?」
「はい、勿論です。とても美しい歌です。
そうですか…王太子妃殿下は歌を聞いたのですね…」
そう言って、彼は金色の瞳を細めて微笑んだ。
真っ白な髪と金色の瞳は、この一族の外的特徴だった。
そして、女性と見紛うほどの中性的なこの容姿。
彼の一族は、不思議な力を持っていた。
先祖が精霊と交流があり、その力も引き継いでいる血族で、
代々神殿に仕えて、神官として勤めている。
「…彼女は、無事なのだろうか?」
「恐らくは。女神に呼ばれたのでしょうね」
「どうしたら、戻ってくれるのだ…」
「申し訳ありません。そこまでは私も分かりかねます。
何か条件を満たせば、返してくれるやもしれません。
ですが、女神は厳しいお方ですから、私もはっきりと回答できないのです。
…さて、不貞を疑われているのですね?」
「ああ、身の潔白を証明したい」
「分かりました。早速始めましょう。どうぞ、お手を」
大きな水晶の玉に手を乗せ、神官殿もその上から手を重ねる。
そして、しばらくすると、水晶から水色の光が放たれた。
それがどういう意味の印なのか分からず、彼をみる。
穏やかに微笑み、彼はこう言った。
「貴方様は、純潔です」
「本当、ですか?」
「ええ、女神に誓って」
私は、潔白だった。その事実に心から安堵する。
そして、神官ユーリ殿からの女神の話を聞き、
セレスティアは死んでいないと確信した。
決して、辛くて現実を受け入れないのではない。
彼女は湖の女神の歌が聞こえていた。
きっと、傷ついた彼女を呼び寄せ保護してくれているのだ。
女神は、心の美しい人間に好感を持つ。
だから私も、誠実に答えなくてはいけない。
そして、今回の疑わしき不貞のでっち上げには、
やはり裏があったのだ。
これを策略した者達の目的と、その関係者全員を捕らえ、
真実を白日のもとに晒すと私は心に誓った。
全て解決して、彼女への揺るぎない愛を証明する。
そうすることで、セレスティアは必ず戻ってきてくれる──。
* * * * * * *
「陛下、盗賊とご指定の人物たちを、捕らえて地下牢に収容してあります」
「うむ、ご苦労だった。ヒューバートの純潔も証明されたし、
後は関係者の証言と裏を取れば…王太子の名誉も少しは回復するか」
「しかし、随分強引な手に出てきましたね。お陰で解決しましたが」
「何か計画が狂ったのだろう…盗賊を雇って王太子の馬車を襲わせ
暗殺を図るとは…王子の影武者がいるのは一部の者しか知らんからな。
あの阿呆共、まんまと引っかかってくれたわ。はっ!」
淀んだ水に石が投げられた。
波紋が広がり、それはうねり大きな波となる。
今回のこの王太子の不貞疑惑と懐妊騒ぎは、
調べるほど怪しい人物達が、次々湧いてきた。
不貞騒動実行犯の子爵家から巡り巡って、あの一派に繋がったのだ。
まさかこんな遠回しに仕掛けてくるとは。
次期国王に、我が息子ヒューバートではなく、
公爵家の嫡男を即位させたがっている、あの連中だ。
これは…大掃除が必要だな…そう思っていた最中、
向こう側が先に動いたのだ。
念のためにと、王太子の影武者に領地視察の公務を任せていたが、
移動中の馬車を金で雇われた盗賊が襲撃してきたのだ。
神官ユーリ殿が、王国の守護の女神の崇高な精神に反して、
汚らわしい企みをする不届き者達へ非常に腹を立てており、
護衛をかって出てくれたお陰で、あっという間に片付いた。
あの一族が、敵ではなくて幸いだと、ホッと胸を撫で下ろす国王だった。
* * * * * * *
大量の書類を片付けながら、窓から美しく光り輝く湖に目をやる。
彼女は…あの湖が好きだった。
ふと、結婚式後の披露パーティーで初めて二人で踊った時を思い出した。
セレスティアは、緊張しながらも正妃らしく一生懸命努めてくれた。
「あの、王太子殿下…」
「ヒューバートでいいよ。私たちは夫婦だ」
「ヒュ、ヒューバートっ様っ!」
「ふふっ、うん。何だい?セレスティア」
「わ、私のこと…嫌って、いらっしゃないのですか?」
「うん。父上たちの諍いは、私たちには関係ない事だ。
君こそ、私を嫌ってはいなかったの?
そんな国に輿入れするのは怖かっただろう?」
「い、いえ…ヒューバート様のおっしゃる通り、私たちには関係のない事です。
それに友好同盟は必要ですのでっ…」
「そうか、君は…国の為を思って、この結婚を受け入れたんだね?」
「はい…一番の理由は、そうでした。
でも、今は…来てよかったと思っております」
「そう、良かった。私も君が来てくれて嬉しいよ」
「本当、ですか…?」
「うん。君が皇后に瓜二つで美しい人なのは知っていたけど、
こんなに素直で可愛いいなんて、嬉しい誤算だった」
「まあっ…か、揶揄っていらっしゃいますの?
そ、それは、私のセリフですわ。ヒューバート様の見目麗しさも
驚きましたけど、とてもお優しくて…私こそ、嬉しい誤算でしたわっ」
「じゃあ、お互い問題ないね。これから末長くよろしくね」
「は、はいっ、私こそ、よろしくお願いいたしますわ」
顔を真っ赤にしながら、一生懸命話す君が愛しかった。
初めて会った時から、私は彼女に心を奪われていたんだ。
だから、絶対に大切にしようと誓ったのだ。
待っていて…セレスティア。
全て解決して、必ず君を迎えに行くから。
* * * * * * *
「話がある。今いいだろうか?」
「あ、はいっ。どうぞ…」
書類の束を抱え、離宮の一室に王太子殿下、
文官、護衛騎士、神官が、ぞろぞろと仰々しく入ってくる。
エリン・バーンズ子爵令嬢は、訝しげに眉を潜め、
侍女の手を借りてベットから起き上がり、8ヶ月になったお腹を支えながら、
皆が座ったソファに移動して、慎重にゆっくり座った。
何よ、手ぐらい差し出して、エスコートしなさいよ…
こちとら動くのも大変な妊婦なのにさ。
「皆さん、お揃いで…あの、何か?」
皆、貴族特有の張り付いた笑顔で、こちらをジッと見ている。
その目の奥は一ミリも笑っていなかった。
そして、妊婦に何の配慮もない、侮蔑の言葉をいきなり投げかけた。
「今一度聞く。それは、本当に私の子か?」
「えっ…?は?なに?う、疑っているのですか?酷いっ!
自分が酔って覚えていないからって、最低の発言じゃないですか!」
「本当ならな?私は一切、お前を抱いた記憶がない」
「領地の歓迎会の宴で、お酒が入っていたからですよ!
覚えていなくても、あなたは私を抱いたんです!
きゅ、急に抱きついてきてっ、無理やり寝室に連れ込んで…
私の身分じゃ逆らえないし…受け入れるしかなかったんですっ。
それに、その証拠に私は妊娠してるじゃないですかっ」
「毎回、同じ返答だな。そう言えと言われているのか?」
「え…はい?」
「質問を変えよう。どうして離宮から出た?出るなと言ったはずだ。
そして、なぜ隠し通路を知っていた?」
「だって、暇なんですもの…いいじゃないですかっ。
つ、通路は…偶然見つけたんです。
それに…正妃様があんな状態だなんて、私、知らなかったんです。
正妃様を差し置いて先に妊娠してしまったのは、悪かったと思ってます。
で、でもっ、妊娠したのも、正妃様が飛び降りたのもっ、
私には一切責任ありませんっ!」
「いい加減にしろ…」
「え?…」
「何を勘違いしているか分からないが、私はお前など愛していない。
正妃に、私がお前を愛しているから妊娠したと、言ったそうだな?」
「あ、愛してなくても、私のこのお腹には殿下の子供がいるんです。
それは事実でしょ?だからっ、せ、責任は取ってもらいますから!」
「私が愛しているのは、セレスティアだけだ。
もし…彼女に何かあったら、私は…お前を…絶対許さない」
「はあ?だから、それ私関係ないじゃん。私のせいにしないでよっ!
それに、王太子が私を妊娠させたんじゃん!何なのさっきから!」
「ああ、あと、君を側妃になどしない。子供を産んだら出て行ってもらって、
一生困らない謝礼と領土を与える予定だった。
離宮に入れたのは、子供を安全な環境で無事に産んでもらう為だ。
本当に私の子供なら、の話だがな…」
「え…なに、それ、ちょっと!話が違うっ…」
「話が違う?何のことだ?」
「…あっ、いいえ…別に…」
「いつまで、しらばっくれる気だ?」
「何?何の話をしていらっしゃるの?こ、怖いですぅ、殿下…」
「その猫撫で声をやめろ。虫唾が走る。
素直に言えば、少しは考えようと思っていたが…無駄なようだな」
「…あの、えと…ちょっと…話が見えないんですけどぉ…」
「王族を謀って、無事でいられると思っているのか?と聞いている」
「……え?」
「連れて来い」
「はっ」
ドサリッ
「…っ、…!」
後ろ手に縛られ、目の前に現れたのは、
くたびれ粗末な服を着た、黒髪で碧眼の一人の男。
「この男に見覚えは?」
「しっ、しししし知りませんっ!誰ですか?」
「そうか、コイツはこう言ってるが?知らない女か?」
「……エ、リン?…俺を忘れたのか?」
「腹の子の父親は、こいつだな?」
「えっ…いえっ、違いますっ!何、言ってるんですか?
知りませんってば、そんな男!」
「王国に1年前に流れてきた雇われ傭兵だ。
私を嵌める前まで、この男と何度も体の関係を持っていたそうだな。
妊娠した途端、なぜか一方的に別れて関係を断ったらしいが」
「し、知らない、知らないって言ってるでしょ!」
「気の毒に。この男は、ずっとお前を恋人だと思っていたらしいぞ?
偶然にも私と同じ黒髪碧眼。これなら生まれてくる子の外見は
とりあえず疑われない。既成事実を確実にする為に、この男を利用したな?
さらに、その期間は、お前の腹の子の成長過程と見事に合致している。
……貴様は一体、子供をなんだと思っているのだ?」
「は?ちょっと、違うって言ってるじゃないですかっ!
こ、こんな無理やりの辻褄合せしてっ、
自分の過ちをっ、私に無体を働いたことをっ、無かったことにする気ですか?
卑怯ではないですか!男として最低だと思わないんですか!」
「私はお前とは契っていない。よって私の子を孕むなど不可能。
神殿で貞操真偽判定を受けて、純潔は証明済だ」
「…え?…そんなっ…なんでっ…嘘っ、嘘よ!嘘言わないでよっ!
け、結婚してるくせにっ!純潔だっての?そんな馬鹿なことっ…」
「嘘じゃありません。私、神官ユーリが判定を担当させていただきました。
王太子殿下は、正妃様が王国に慣れるまでと、ずっと白い結婚を貫いて
大事にしていらっしゃったんですよ」
「私を嵌めたな。エリン・バーンズ。いいかげん観念しろ。
お前たちの企みは、全てバレている」
「は?…な、何これ…待ってよ…なんでこんなっ…こんなはずじゃっ…」
「なあ…エリン。俺のこと本当に覚えてないのか?
あんなに、あんなに愛し合ったじゃないか。腹の子は、俺の子だろう?
責任を取って俺が父親になる。一緒に育てよう、な?愛してるんだ…」
「う、うるさい、うるさい!黙って、黙れ!喋らないでよ!
あんたなんか知らないって言ってんでしょ!
わ、私はっ……悪くないっ!悪くないわっ、私はっ…」
「お前の父、バーンズ子爵は、拷問が怖くて全て白状したぞ?
それとも、貴様には拷問が必要か?さて、いつまで耐えられるかな…」
「い、いやっ!お、お父様に言われてっ、私はっ、その通りにしただけでっ…
利用されたのは、私の方なんだからぁぁぁっ!拷問なんていやぁ──‼︎」
「うるさい喚くな。この女も地下牢に連れて行け」
「や、やめてよ!いやっ‼︎ ヤダヤダ!牢屋なんてっ!
私はっ、私は被害者じゃんっ!こんな、こんなのっ聞いてないぃ──っ‼︎」
バタンッ
「やれやれ…随分と頭の悪い娘ですね。
駆け引きも何もあったものではありませんでした。私は不要でしたね」
「そう言うな。文官立ち会いの証人が必要だったのだ」
「ええ。分かってます。
さて…これから一派の大掃除ですねぇ。忙しくなります」
「ああ、それはもう父上が着々と進めている」
「全く、あの一派も最近大人しいと思ったら、
とんでもない事を裏で企んでいましたね。
これがきっかけで、危うき存在を一掃出来ますが、
怪我の功名と言うには、被害が少々大きすぎましたね…」
事の真相は、こうだった。
公爵家の嫡男を推す一派は、資産運営がうまくいっていない子爵家に目をつけ、
交渉を持ちかける。奔放に男と遊び歩いている子爵令嬢エリンに、
黒髪碧眼の男との子供を儲ければ、王太子の側妃になれるようにしてやる。
王家の後ろ盾があれば、一生困らない安泰な生活が手に入ると。
そして、エリンは傭兵の子供を妊娠し、王太子との既成事実を作る為の
計画を実行する。
バーンズ子爵家が管理する、領地視察に王太子殿下を派遣誘導させ、
食事会に王太子一行を招待。そこで意識を朦朧とさせる香炉を焚き、
飲み物にも睡眠薬を入れ、王太子殿下、側近、護衛騎士もろとも意識不明に
陥らせ、そして、あの不貞の疑わしい現場を演出し、真面目な王太子に
罪悪感を持たせるまでのシナリオを成立させた。
王太子が油断した頃の半年後、あの出来事で娘が妊娠したと子爵家が訴える。
突然掘り起こされた罪過に動揺し、さらに罪悪感を持った王太子の行動を
誘導するのは容易い。さらに、王族の血筋の子を王家が放っておくはずもなく、
まんまとエリンは、離宮入りが許されたのである。
その後は「王太子が正妃を裏切り、子爵令嬢を孕ませて側妃に迎えるため、
離宮入りさせる」と、王宮の使用人を中心に大袈裟な噂を正妃の耳にも入るよう
仕向け、王太子の不審を煽り夫婦間の亀裂を狙った。
そして、事前に王宮の隠し通路を教えたエリンをけしかけて、
傷ついている正妃をさらに追い詰める。
王太子の名誉を失態させて孤立を誘い、事を運ばせやすくする為に
揺さぶりをかけ続けたのだ。
ここまでは、上手くいっていた。
次に、不貞の確たる証拠 “子” の存在が、王太子と正妃を追い詰める鍵になる。
男児が生まれれば正妃にプレシャーになり、例え女児でも、
先に子を儲けたエリンに注目が集まる。
そして、国民からはエリンを正妃にという多くの声が上がっていると
虚偽の噂を王宮内で広め、さらに正妃を追い詰める。
この不貞を王国は帝国に知られないよう内密にする可能性はあるが、
気の毒な正妃様の立場を気遣い、帝国との外交先でこの事を嘯き、
側近や臣下の耳に入るよう働きかける。
そして、いずれは帝国の皇帝の耳に入ることになる。
どちらにしろ、娘を溺愛している皇帝がこのことを知れば、
娘が正妃でいるにもかかわらず、他の令嬢と不貞を働き子を儲けた
王太子に対して、どう思うかなど火を見るより明らかである。
そこからは、放っておいても帝国と王国の関係は悪化するだろう。
そんな最中に、セレスティアを自殺と見せかけ暗殺する。
この最悪の結末で、王家にとどめを刺す。
これで完璧なはずだった。
言い逃れができない、実在する不貞の “子供” と 自殺した正妃の “遺体”。
これを切り札にして、王太子の愚かな行為から、
隣国の関係悪化と、正妃の自殺を引き起こした責任問題を審議で問う。
王家を査問会にかけ、王太子に廃嫡を要求。
そして、公爵家の嫡男に王位継承権を移行させる計画だった。
時間をかけて、じわじわと追い詰めて、
こちらの企みを悟られないように、慎重に事を進めるはずだった。
しかし、“正妃の失踪” で、計画が狂い始める。
自ら入水自殺を図り、肝心の遺体が見つからないという、切り札の喪失。
それに加えて、王太子の貞操真偽判定。
あの仲睦まじい夫婦が、清い白の結婚状態だとは予想外だったのだ。
リバーシの黒が白に一枚づつ裏返されるように、
王太子は地道に自らの身の潔白と真実の調査、国王が黒幕をあぶり出し、
そして、今回のこの企みを紐解き、盤上を支配し始めたのだ。
子供が生まれるまで、もはや待っている暇はなかった。
焦った公爵一派は、王太子への暗殺にシフトし、
盗賊を雇って暗殺未遂を起こし、それらを見越した国王に返り討ちにされ、
関係者一同、一網打尽に捕縛されたのだった。
これは、女神の采配だったのだろうか。
ある意味、セレスティアの失踪は、
あの一派にも、王太子にとっても青天の霹靂だった。
そして、真相を解明する、きっかけとなったのは事実であった。
* * * * * * *
審問会を開き、全ての関係者に制裁を科した。
公爵一派の首謀者は死罪、協力者は流刑を執行。
子爵家は、資産没収と爵位剥奪して国外追放。
こうして、王宮は落ち着きを取り戻して行った。
しかし、正妃の消息は未だに不明のまま。
王族と王太子は、湖のほとりで女神に祈りを捧げていた。
「女神よ…お願いです。
あなたが守ってくださっている、私の最愛の人セレスティアを
どうか、どうか、返していただけないでしょうか?
私の身の潔白は証明され、私たちを脅かす者達も排除しました。
もう、彼女を傷つけるものは何もありません」
湖は何の変化もなく、いつものユラユラと揺れる水面。
もう一度大きく息を吸い込み、
王太子は、今度はセレスティアに向けて語りかけた。
「聞こえているかい? セレスティア。
私が愚かなばかりに、悲しませて…傷つけてしまって本当にすまなかった。
愛している…心から、君を愛しているんだ。
どうか、戻ってきておくれ…」
風が止まり、シンとした凪の静寂が訪れる。
波紋一つない、鏡のように美しい水面が円を描くように、キラリと光った。
光が円を描きながら、くるくる回り続け、段々と小さくなり、
湖の中央に到達する。
やがて、その中央の水面が光り輝き、ゆらゆらと揺れ、
美しく優しい歌声が、響き渡った。
これが…女神の歌…なんという、
慈愛に満ちた、優しい声…
湖のほとりに並ぶ王族達は、伝説の歌声を耳にして、
惚けた表情で、その歌にしばし酔いしれて打ち震えた。
歌が終わると、
プカリと湖の中央に、一人の人物が仰向けで
静かに浮かび上がってきた。
「セレス、ティア……彼女だ!船を、船を出せっ‼︎ 」
わあああああっ、と歓声が上がり、急いで彼女の元へ船を漕ぐ。
ああ、やはり無事だった…感謝します、女神よ…
銀髪が水面に広がりゆらゆら揺れて、白いドレスを纏った姿は、
この世のものとは思えない、精霊と見まごう美しさだった。
「セレスティア…」
彼女の細い体を水の中から引き上げ、抱きしめる。
ああ…帰って来てくれた、私の元に…
もう…二度と、離すものか…
もう、二度と
体を丸めて、愛しそうに正妃を抱きしめる、感動的なこの情景は、
その場に居合わせた宮廷画家の心を震わせ、芸術家魂に火をつけた。
後に、画家の手によって、この場面を再現した絵が描かれ、
湖の女神の奇跡を立証する、象徴的な絵画となった。
* * * * * * *
「殿下、少し落ち着いてくださいな」
「で、でもっ、エリーゼ、心配じゃないかっ!」
「だからと言って、部屋を何往復もウロウロ歩かれましても…」
「き、君だってさっきから、同じタオル何度も畳んでいるじゃないかっ、
それに、セレスティアが命がけで頑張っているのに、
私だけが楽をするわけにはっ…」
…ぅんぎ…おん、ぎゃ…おんぎゃ…おぎゃあああああ〜〜〜───っ‼︎
「殿下!お生まれになりました‼︎ 男の子です!」
「ああっ‼︎ やったぁああー!セレスティアは?彼女は無事か?」
「はい、母子共にお元気です!
瞳は王太子殿下、髪色は正妃様から受け継いだ、
とても美しい王子様でございます」
あれから2年。
王太子と正妃の間に、第一子が誕生した。
ヒューバート殿下は、すっかり愛妻家になり、
他に目もくれないその溺愛ぶりは王国中で有名で、
仲睦まじい微笑ましいこの夫婦は、多くの国民に愛されていた。
「セレスティア…体は大丈夫かい?」
「はい。ふふっ。少し疲れているだけです。休めば元気になります。
それより、私たち親になりましたのよ?」
「うん、そうだね…ああ、なんて可愛いいのだろう。
ありがとう…私たちの子だ」
「抱いてあげてくださいな、ヒューバート様」
「ああ…」
柔らかで温かい息をしている、我が子を抱きながら、
新しい生命と自分と愛しい人の結晶の神秘と奇跡に、
感極まり無意識に涙が頬を伝う。
セレスティアは、湖から引き上げられた3日後に目を覚ました。
どうやら彼女は失踪してから、こちらの動きが見えていたらしく、
既に全貌を理解しており、解明された真実の説明は不要だった。
死にたいと願った彼女を女神が呼び寄せ、優しく包み込み、
ずっと歌を歌って、慰めてくれていたのだそうだ。
女神が、セレスティアの先の運命を知っていたのか、それとも、
傷つき悲しむ彼女を救いたかっただけなのかは未だ不明だが、
今回解決に至ったのは、この失踪のお陰だったのである。
そして、セレスティアは、悲しみの余り勝手に先走って身を投げたことを詫び、
いやあれは、私が悪かったのだと二人で互いに謝りたおした。
大変な試練ではあったが、お陰で私たちは夫婦として深く結びつき、
こうして子を儲ける事が出来たのだった。
そして、ふと二人同時に湖へ目を向ける。
「歌が…」
「ああ、聞こえる」
「ふふっ、お祝いしてくれているのかしら」
「…ん?なんだか、いつもより声が高いような…」
「そうですわね…あら?何だか凄い足音が聞こえ…」
…ド…ドドドドド…バタバタドタドタッ……
バターンッ‼︎
「おおおおっ、初孫だぁ!しかも王子とは!でかしたぞ、セレスティア!」
「セレスティアちゃん、良く頑張ったわ!体は大丈夫?
まああ〜なんて可愛いいんでしょう!二人に似て美男になるわぁ〜!」
「ち、父上、母上っ!ビックリするではないですかっ!」
「うふふっ、ありがとうございます」
不思議なことに、王子が誕生してから、
女神の歌は、ほとんどの国民が聞くことができるようになった。
そして、女神は余程嬉しかったのか、
王子誕生からぶっ続けで歌い続け、とうとう7日目には声が枯れてきており、
心配した王族や国民達が、もうやめて休んでくださいと懇願して、
女神は気まずそうに一回咳払いをした後、やっと歌をやめたという。
* * * * * * *
この巨大で豊かな湖には、実は少し悲しい逸話がある。
国の守護をする女神は、森の美しい神に一目惚れして恋をするが、
彼は川の女神と恋に落ち、見事な山脈をこの王国に生み出した。
初めての恋に敗れた女神は、悲しみに暮れて泣き続け、
やがてその涙は女神の身も沈めて、この巨大な湖の化身になったという。
ある日、この国の王子が足を滑らせ、湖に落ちてしまった。
溺れる彼を引き上げ助けるが、王子は女神の優しさと美しさに
一瞬で恋に落ち、衝動的に求婚する。
心から光栄で大変嬉しいが、種族の違いでそれは叶わないと女神は彼に伝えた。
それを聞いた王子は、即失恋してしまい悲しそうに項垂れた。
自分が失恋した時の姿と重なり、女神は彼に約束する。
結婚はできないが、いつでも会いに来ていい。
国と王族をずっと守護し見守り続け、助けが必要な時は、
自然の摂理に抵触しない程度に手を貸すと。
自分を好いてくれた王子へ感謝と共に、女神として誓約した。
彼らは毎日のように会い、共に歌い、楽しい日々を過ごした。
王子は国王になっても、女神を敬愛し続けたが、やがて人間には寿命がくる。
そして、自分が死んでも女神が寂しくないように、
女神を祀る祭りを2年に一度の国を挙げての行事に制定したのだ。
それが、この湖祭りの始まりである。
悲しいことに、女神の姿や歌が聞こえる人々は少しずつ居なくなり、
現代では神官だけで、王族でさえ見聞き出来ずにいた。
ではなぜ、帝国の皇女セレスティアが、女神の歌を聞く事ができたのか。
それは王太子と正妃の王子誕生後に、分かることになる。
* * * * * * *
愛しい我が子を抱っこしながら散歩していた王太子と正妃は、
王宮の玄関ホールに飾られている、女神の伝説の奇跡の絵画の前で足を止める。
「あの、ヒューバート様、この絵画…私が美化され過ぎではないですか?
少し恥ずかしいですわ」
「そんなことないよ。君はもっと綺麗だし」
「まああ〜…やめてくださいな」
「明日、皇帝と皇后も来るのだろう?」
「ええ、ダニエルに逢いに。両親にとっても初孫ですもの」
「一週間の滞在か…折角だから、王国の観光もしてもらおうか」
「ありがとうございます。きっと喜びますわ。
それから…あの…ヒューバート様、私…取り消したい言葉があるのです」
「ん?何だい?」
「あなたを愛した事を後悔しているって、言ったことです…」
「あ、ああ。あれは仕方ないよ。私が下らない策略に嵌められたせいで…
君を傷つけてしまったんだし…気にしなくていい」
「あなたは潔白でした。最後まで信じられなかった私も悪いのです。
だから、言い直します。
あなたを愛して良かったです。そして、幸せです。ヒューバート様」
「うん、私も、私も君を世界一愛してるよ。セレスティア」
王宮の湖はキラキラと光を放ち、幸せそうにゆらゆら水面を揺らしている。
まだ枯れた声が治らない女神は大人しくしていたが、
今日も平和な王国を見守っている。
後に、このダニエル王子は、何を思ったか突然自ら湖に飛び込んでしまう。
そして、助け出した女神を抱きしめこう言った。
「また会えたね、僕の女神。相変わらず君は美しい」
女神は、狂喜乱舞して王子との再会を喜び、
二人は以前と同じように、楽しい時間を過ごしたという。
そして、王子は再び女神に求婚したが、
それが上手くいったかどうかは、
また別のお話。
完
最後まで、ご拝読ありがとうございました。感謝いたします。
そして、どうやら女神は観念したようです。




