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怨叉の響  作者: 猫まんぢう
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第7章 共鳴する刃

「美月、そのまま鳴らし続けろ!」


響の叫び声が、夕闇の雑木林に木霊する。


「はいっ!」


美月は震える足を叱咤し、胸元の鈴を握りしめた。

彼女が祈りを込めるたび、チリリリリン、と清冽な音が波紋のように広がる。


その音は、憑依された男子生徒──その内側に巣食う“何か”にとっては、耐え難い苦痛であるようだった。


「ギ、ギギ……ッ! 耳障りな音だ……アァァ!」


男子生徒が頭を抱えてのたうち回る。

背中から伸びていた骨の槍が、制御を失ってデタラメに空を薙いだ。


(動きが鈍った。今だ!)


響は地面を蹴り、一気に距離を詰める。

狙うは、生徒の体ではない。その奥底にへばりついている「核」だ。


だが、敵もさるものだった。


「調子に乗るなぁぁ!」


男の口が裂け、紫色の舌が鞭のように伸びてきた。

切っ先が鋭利な刃物のように変形し、響の喉元を狙う。


「──ッ!」


響は寸前で首を傾け、それを回避する。頬にかすり傷ができ、血が滲む。

構わず踏み込むが、敵はニヤリと笑った。


「おっと」


敵は自ら、男子生徒の体を響の拳の前に突き出したのだ。


「殴れるのかい? この脆い人間の体を。

 キミのその“音”の衝撃なら、内臓ごと破裂しちゃうかもねぇ!」


「チッ……!」


響の動きが止まる。

その一瞬の隙を突き、生徒の足が跳ね上がり、響の腹を蹴り飛ばした。


「ぐぅっ!」


数メートル後方へ吹き飛ばされ、響は受け身を取って着地する。


「神崎くん!」


「来るな美月! 俺は大丈夫だ!」


響は腹を押さえながら睨みつける。

(厄介だな……。俺の怨叉は、破壊力が高すぎる)


祖父・宗十郎の言った通りだ。

響の力は「鬼の力」。基本的には破壊し、滅ぼすためのもの。

繊細な外科手術のように、人間と鬼だけを切り離すような芸当は、今の響には難易度が高すぎる。


「どうしたどうしたぁ? 攻めてこないのかい?

 なら、こっちから行くよぉ!」


男子生徒が、人間離れした四つん這いの姿勢で、猛スピードで迫ってくる。

狙いは響ではない。

後方で鈴を構える美月だ。


「厄介なのは、あの女の音だ……先に喉を食い破ってやる!」


「美月ッ!?」


響が叫ぶ。間に合わない。

美月の目の前に、どす黒い殺意が迫る。


恐怖で足がすくむ。逃げられない。

けれど、美月は目を閉じなかった。


(逃げない。私が逃げたら、神崎くんが戦えない!)


「──お願い、守って!」


美月は鈴を両手で包み込み、敵に向かって突き出した。


カァァァン!!


鈴の音が、物理的な衝撃となって弾けた。

それはまるで透明な壁。

飛びかかってきた敵が、見えない障壁に激突し、バヂヂヂッ! と火花のような音を立てて弾き返される。


「ギャァァァッ!?」


敵が悲鳴を上げて転がる。

美月自身も、自分の出した力の反動で尻餅をついた。


「す、すごい……」


「ナイスだ、美月!」


響の声が弾んだ。

今の接触で、敵の体から黒いモヤのようなものが半分ほど浮き上がっているのが見えた。

美月の浄化の力が、憑依の結合を緩めたのだ。


「今なら──剥がせる!」


響は耳飾りに指を触れる。

破壊の音ではない。

もっと鋭く、もっと深く突き刺さる、共鳴の音をイメージする。


(合わせろ。美月の鈴の波長に。

 あいつが「静」なら、俺は「動」。

 あいつが「縛る」なら、俺は「断つ」!)


「うおおおおおッ!」


響が跳躍する。

敵の頭上から、右手をかざす。


「波長同調シンクロ──『断鎖だんさ』!!」


キィィィィィン!!


響の怨叉から放たれたのは、超高周波の音波だった。

それは男子生徒の肉体には傷一つつけず、その内側にへばりつく「異物」だけを激しく振動させる。


「ア、ガ……ッ!? な、なんだこの音はぁぁぁ!?」


「出て行けェェッ!!」


響が腕を振り下ろす。

同時に、美月も最後の力を振り絞って鈴を鳴らした。


二つの音が重なり合った瞬間。


ドォン!!


男子生徒の背中から、真っ黒な泥の塊が弾き出された。


「ギシャァァァァッ!!」


宿主を失った泥の怪物が、空中で醜悪な姿を晒す。

もはや人の形ですらない。ただの悪意の塊。


「トドメだ!」


響は着地と同時に回転し、回し蹴りを叩き込む。

その足には、怨嗟の音が纏わりついていた。


「消えろッ!」


バァァァン!!


重低音が炸裂し、黒い泥は霧散した。

断末魔の叫びすら残さず、夜の闇に溶けて消えていく。


あとには、静寂だけが戻ってきた。


「はぁ……はぁ……」


響は肩で息をしながら、倒れている男子生徒に駆け寄る。

脈を確認する。


「……気絶してるだけだ。命に別状はねえ」


「よ、よかったぁ……」


その言葉を聞いた途端、美月の緊張の糸が切れた。

へなへなと地面に座り込む。


「立てるか?」


響が歩み寄り、手を差し出す。

美月はその手を掴み、立ち上がろうとして──ふらりとよろめいた。


「っと」


響がとっさに美月の肩を抱き寄せる。


「あ……ご、ごめんなさい」


「いや……無理させたな。ありがとな、美月」


至近距離。

響の腕の中に、美月がいる。

運動後の熱気と、ほのかな汗の匂い。そして、鈴の清らかな香り。


響の心臓が、戦いの時とは違うリズムで早鐘を打つ。


「神崎くんがいなかったら、私、どうなってたか」


美月が上目遣いで響を見る。

その瞳は潤んでいて、月明かりを反射してきらきらしていた。


「……逆だろ。お前がいなきゃ、あいつを助けられなかった」


響は照れ隠しのように視線を逸らし、けれど、支えている手は離さなかった。


「お前は……すげぇよ」


「えへへ……」


美月が嬉しそうに笑う。

その笑顔を見た瞬間、響の中で何かがカチリと音を立てて定まった。


(ああ、やっぱりだ)


この笑顔を、守りたい。

そのためなら、俺はどんな化け物相手でも戦える。


「……おい、感動のシーンの邪魔をして悪いがね」


不意に、頭上から声が降ってきた。

二人は弾かれたように離れ、上空を見上げる。


木の枝の上に、小さな黒い鳥──いや、コウモリのような使い魔が止まっていた。

その口から、先ほどの「憑依していたモノ」とは違う、冷徹な女の声が響く。


『まさか、あの程度の駒で“共鳴”まで至るとはね。計算外だわ』


「おまえ……誰だ! 」


響が叫ぶ。


『ふふ。私の名は茨木。

 偉大なる王の復活を望む者』


「茨木……?」


『今日は挨拶代わりよ。

 紅葉の末裔、そして鈴の巫女。

 精々、今のうちに仲良く青春を謳歌しておきなさい。

 ──“大江山”の闇が、あなたたちを飲み込むその時まで』


使い魔は不吉な言葉を残し、バサリと翼を広げて飛び去っていった。


「待てッ!」


響の声は届かない。

夜空に消えていく影を見つめながら、響は拳を握りしめた。


「茨木……茨木童子かよ」


「それって……」


美月が不安そうに響の袖を掴む。


「ああ。酒呑童子の右腕と呼ばれた、最強の鬼の一人だ」


響は冷や汗が背中を伝うのを感じた。

ただの都市伝説だと思っていた存在が、明確な敵意を持って動き出している。


「帰ろう、美月。

 じいさんに報告しねえと……事態は、思ったより深刻だ」


「はい……」


気絶した男子生徒を響が背負い、その横を美月が歩く。

帰り道、二人の手は繋がれてはいなかったが、互いの距離は昨日よりもずっと近くなっていた。


日常は終わりを告げた。

ここから先は、命がけの夜が始まる。


けれど──響の耳に届く美月の鈴の音は、どんな闇の中でも消えない希望のように、優しく鳴り続けていた。

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