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怨叉の響  作者: 猫まんぢう
3/9

第二章 ──日常の裏側

翌日、学校。


「神崎くん、おはよう」


「おう、おはよう」


いつも通りの朝の挨拶。いつも通りの日常。


だが、響の心は穏やかではなかった。


昨夜の戦いの後、響は気を失った男を救急車で運ばせた。邪鬼に憑かれていただけで、男自身に罪はない。


だが──問題は、邪鬼の数が増えていることだ。


「神崎くん、聞いた? また事件があったんだって」


美月が心配そうに言う。


「昨日の夜、商店街の近くで暴行事件。被害者は意識不明だって」


「……そうか」


響は表情を変えずに答える。


それは、自分が倒した邪鬼のことだろう。


「最近、この辺り物騒だよね。神崎くんも気をつけてね」


「ああ、ありがとう」


美月の優しさが、少し胸に痛い。


彼女は知らない。自分が毎晩、化け物と戦っていることを。自分が人間ではないことを。


「……神崎くん?」


「ん? どうした?」


「ううん、なんでもない。ただ……最近、疲れてない?」


「大丈夫だって。心配性だな、美月は」


響は笑顔を作る。


だが、美月の表情は晴れなかった。


──やっぱり、何か隠してる。


美月は確信していた。響は何かを抱え込んでいる。一人で、重いものを背負っている。


「……無理しないでね」


「ああ」


昼休み。


響は一人、屋上にいた。


弁当を食べながら、空を見上げる。


青い空。白い雲。平和な景色。


だが、この街の裏側では、邪鬼が蠢いている。


「……どうすればいいんだ」


響は呟く。


邪鬼を倒しても、また新しい邪鬼が現れる。


まるでイタチごっこだ。


そして、鬼化を繰り返すたびに、自分の人間性が削られていく。いつか完全に鬼になってしまうのではないか──そんな恐怖が、響の心を蝕んでいた。


「このままじゃ、俺も……」


カァン……


耳飾りが、微かに鳴った。


「……また、か」


響は立ち上がる。


昼間から邪鬼が現れるとは。事態は悪化している。


「まずいな……」


響が屋上から下りようとした時、教室から騒ぎ声が聞こえた。


「誰か! 誰か来て!」


「先生! 先生!」


「救急車! 早く!」


響が駆けつけると、廊下に人だかりができていた。


「どうした!?」


「神崎! 大変なんだ、田中が……!」


クラスメイトの一人が、青ざめた顔で言う。


「田中が、急に倒れて……意識がないんだ!」


「!」


響が人混みをかき分けて中に入ると──


そこには、床に倒れている田中の姿があった。


顔色は悪く、呼吸も浅い。まるで生気を吸い取られたかのように。


そして、その首筋には──小さな青い痣のようなものがあった。


「……これは」


響は小さく呟く。


祖父から聞いた話を思い出す。


──憑き物。人に憑いて、精気を吸い取る鬼。


「神崎くん!」


美月が駆け寄ってくる。


「田中くん、大丈夫かな……」


「……大丈夫だ。すぐに救急車が来る」


響は冷静に答える。


だが、心の中では焦っていた。


──このままじゃ、田中は……!


憑き物に精気を吸われ続ければ、田中の命はない。


だが、ここで鬼化するわけにはいかない。


人がいる。大勢の人間が見ている。


「くそ……」


響は歯噛みする。


その時、救急隊員が到着した。


「すみません、通してください!」


田中が担架に乗せられ、運ばれていく。


「……行くぞ」


響は決意する。


放課後まで待てない。今すぐ、憑き物を見つけ出さなければ。


田中は救急車で運ばれたが、邪鬼の気配はまだ学校内に残っている。


「……どこだ」


響が廊下を歩いていると──


カァン……


耳飾りが強く鳴った。


「この先か……」


響が向かったのは、旧校舎。


普段は使われていない、古い建物。噂では幽霊が出るとも言われている場所だ。


「ここに、邪鬼が……」


響が扉を開けると──


薄暗い廊下が続いていた。


窓は汚れ、床には埃が積もっている。空気が淀んでいて、息苦しい。


「……気配が、濃い」


響が奥へと進むと──


突然、冷たい風が吹き抜けた。


「!」


響が身構える。


廊下の奥から、小さな影が現れた。


それは──子供のような姿をした、青白い肌の鬼。


「……座敷童子、か?」


だが、その目は赤く光り、口元からは鋭い牙が覗いている。


「いや、違う。これは──邪鬼、か?」


「ヒヒヒヒ……」


鬼が不気味な笑い声を上げる。


「見つけた、見つけた。美味しそうな精気……」


「お前が、田中に憑いていたのか」


響が睨む。


「そうだよ。でも、あの子はもう空っぽ。だから、次の獲物を探してたんだ」


鬼が舌なめずりをする。


「そして、見つけた。君、とっても美味しそう」


「……悪いが、俺を食おうってのは無理だぜ」


響が耳飾りに触れる。


カァン──


鈴の音とともに、響の体が変化する。


瞳が金色に輝き、角が生え、鬼の姿へ。


「俺は、鬼の血を引く者だ。お前みたいな邪鬼には、負けない!」


響が駆け出す。


鬼も、響に向かって飛びかかってくる。


ドガァッ!


響の拳が、鬼の体を捉える。


「ギャッ!」


鬼が吹き飛ばされる。


だが、すぐに体勢を立て直し──


「ヒヒヒ、痛いじゃないか!」


鬼の体が、突然大きくなった。


子供の姿から、大人の姿へ。


そして、腕が伸び、爪が鋭くなる。体から禍々しい気配が溢れ出す。


「これが、僕の本当の姿!」


「!?」


響の顔色が変わる。


この気配──邪鬼とは違う。もっと強大で、もっと邪悪な──


「まさか……禍鬼!?」


「あれ? 気づいちゃった?」


禍鬼が楽しそうに笑う。


「そうだよ。僕は禍鬼。邪鬼なんかとは格が違うんだ」


「くそ……!」


響の額に冷や汗が流れる。


禍鬼──それは邪鬼よりも遥かに強力な鬼。祖父から聞いた話では、禍鬼は人の精気だけでなく、魂そのものを喰らうという。


「さあ、君の魂、頂くよ!」


禍鬼が響に襲いかかる。


「くっ!」


響が避けるが、禍鬼の爪が響の腕を掠める。


「ぐっ……!」


血が流れる。


「美味しそう……その血、頂戴!」


禍鬼が響の血を舐めようとする。


「させるか!」


響が禍鬼の顔面に拳を叩き込む。


ドガァッ!


禍鬼が怯む。


「まだだ!」


響が連続で拳を繰り出す。


ドガッ! ドガッ! ドガッ!


だが、禍鬼は素早く動き、響の攻撃をかわしていく。


「遅い、遅い! 邪鬼と一緒にしないでよ!」


禍鬼が響の背後に回り込む。


「!?」


禍鬼の爪が、響の背中に叩き込まれた。


「がっ……!」


響が倒れる。


「はぁ……はぁ……」


息が荒い。


禍鬼が、ゆっくりと近づいてくる。


「さあ、君の精気、全部頂くよ」


禍鬼が響の首に手を伸ばす。


「くそ……このままじゃ……!」


響が立ち上がろうとした時──


パタパタパタ……


廊下を走る足音が聞こえた。


「!?」


響と禍鬼が同時に振り返る。


そこには──


「神崎くん!?」


美月が立っていた。


顔は青ざめ、息を切らしている。


「美月!? なんでここに……!」


「神崎くんが、こっちに来るのが見えて……心配で……」


美月の視線が、響の姿に釘付けになる。


角の生えた、金色の瞳の──鬼の姿。


「か、神崎……くん……?」


美月の声が震える。


「ヒヒヒ、新しい獲物!」


禍鬼が、美月に向かって飛びかかった。


「美月、危ない!!」


響が叫ぶが、体が動かない。


「きゃあああっ!!」


美月が悲鳴を上げる。


禍鬼の爪が、美月の腕を切り裂いた。


「あっ……!」


美月が倒れる。


腕から血が流れる。


「美月!!」


響の中で、何かが弾けた。


「お前……美月に……手を出すなああああっ!!」


響の体から、金色の光が溢れ出す。


怒りが、響の力を引き出す。


「うおおおおっ!!」


響が禍鬼に突進する。


怒りに満ちた拳が、禍鬼の腹部に叩き込まれた。


ドゴォォォンッ!!


「ギャアアアッ!!」


禍鬼が壁に叩きつけられる。


「まだだ!」


響が禍鬼に迫る。


連続で拳を叩き込む。


ドガッ! ドガッ! ドガッ!


「許さない……美月を傷つけた奴は……絶対に許さない!」


響の拳が、禍鬼の顔面に命中する。


ズバァァァンッ!!


禍鬼の体が砕け散る。


「ギ……ギャ……こんな……はずじゃ……」


禍鬼の声が途切れ──


完全に消滅した。


「……はぁ……はぁ……」


響が膝をつく。


カァン……


耳飾りが鳴り、鬼化が解除された。


だが、響の体は傷だらけだった。


背中の傷からは血が流れ、腕も切り裂かれている。


顔にも擦り傷があり、制服はボロボロだ。


「美月……!」


響が美月に駆け寄る。


美月は壁に寄りかかり、腕を押さえていた。


「大丈夫か!? 怪我は……!」


響が美月の腕を見る。


深い傷ではないが、血が流れている。


「……」


美月は何も答えない。


ただ、響を見つめている。


その目には──恐怖と困惑が混じっていた。


「美月……」


響が手を伸ばそうとすると──


「来ないで……!」


美月が叫んだ。


「……え」


響の手が、空中で止まる。


「来ないで……あなた、誰……?」


美月の声が震える。


「神崎くん、なの……?」


「……美月」


響は、ゆっくりと手を引っ込めた。


「俺は……響だ。神崎響」


「嘘……だって、さっきの姿……角が生えて……」


美月が混乱している。


「あれは……俺の、本当の姿だ」


響が俯く。


「俺は……人間じゃない」


「……」


美月は何も言えなかった。


信じられない。


目の前の人物が、本当に神崎響なのか。


それとも、化け物なのか。


「美月、お前を助けたかった。でも……」


響が立ち上がる。


「俺の姿を見せてしまった。ごめん」


響が歩き出す。


「待って……」


美月が声を絞り出す。


響が振り返る。


「……ひび、き……なの……?」


美月が恐る恐る尋ねる。


その目は、まだ恐怖に満ちている。


だが──どこか、心配そうな色も混じっていた。


響の体は傷だらけで、血まみれだ。


今にも倒れそうなほど、ふらついている。


「……ああ、俺だ」


響が小さく笑う。


「心配かけて、ごめんな」


「……」


美月は、響を見つめる。


角は消えている。


瞳も、いつもの黒い色に戻っている。


でも──


「私……」


美月が立ち上がろうとする。


だが、足が震えて、立てない。


「怖い……」


美月が呟く。


「ごめん……神崎くん……私……」


美月の目から、涙が溢れる。


「怖いの……ごめんなさい……」


美月が泣きながら、立ち上がる。


そして──


走り去った。


「美月……!」


響が呼び止めようとするが──


体が動かない。


傷が深すぎる。力が入らない。


「くそ……」


響が膝をつく。


視界が霞む。


「美月……ごめん……」


響が倒れ込んだ。


意識が、遠のいていく。


翌朝。


響は自宅のベッドで目を覚ました。


「……ここは」


体中が痛い。


だが、傷は治療されていた。包帯が巻かれ、薬の匂いがする。


「起きたか、響」


部屋の隅から、祖父の声が聞こえた。


「じいちゃん……」


「昨日、お前が旧校舎で倒れていると連絡があってな。迎えに行った」


祖父が響の隣に座る。


「鬼と戦ったんだろう?」


「……ああ」


響が頷く。


「それで……女の子を、巻き込んでしまったんだな」


「……見てたのか」


「いや、お前の傷を見れば分かる。誰かを庇った傷だ」


祖父が響の頭を撫でる。


「辛かったな」


「……じいちゃん」


響の目から、涙が溢れる。


「俺……美月を、怖がらせちゃった……」


「そうか」


「美月、泣いてた……俺のこと、怖いって……」


響が顔を覆う。


「俺、どうすればいいんだ……」


「……響」


祖父が優しく言う。


「お前は、悪くない」


「でも……」


「お前は、彼女を守ろうとした。それだけだ」


祖父が響の肩を叩く。


「今は、彼女に時間をあげなさい。きっと、分かってくれる」


「……本当に?」


「ああ。お前を信じているなら、必ず」


祖父が微笑む。


「さあ、今日は学校を休め。体を休めなさい」


「……うん」


響は再び横になった。


だが、眠れなかった。


美月の泣き顔が、頭から離れない。


翌日、学校。


響は重い足取りで、教室に向かった。


美月は、来ているだろうか。


来ていたとして、話してくれるだろうか。


それとも──もう、自分を避けるのだろうか。


「……」


響が教室の扉を開けると──


美月が、席に座っていた。


「!」


響の心臓が跳ねる。


美月も、響に気づいた。


二人の視線が交わる。


「……」


美月が立ち上がる。


そして──


響の方に歩いてきた。


「美月……」


響が身構える。


怒られるかもしれない。


怖がられるかもしれない。


だが──


「神崎くん」


美月が響の前で立ち止まる。


その表情は──少し怒っているようだった。


「あの……」


「なんで、黙ってたの?」


美月が頬を膨らませる。


「え……」


「神崎くん、あんな危ないことしてたのに、なんで言ってくれなかったの?」


「それは……」


響が言葉に詰まる。


「心配したんだよ? 神崎くん、血だらけだったし……」


美月の目が潤む。


「私、怖くて逃げちゃったけど……でも、やっぱり心配で……」


「美月……」


「一晩中、考えたの。神崎くんのこと」


美月が響を見つめる。


「神崎くんは、あの化け物と戦ってたんだよね? 人を守るために」


「……ああ」


「だったら、神崎くんは悪くない。むしろ、すごいよ」


美月が小さく笑う。


「でも……秘密にしてたのは、ちょっと怒ってる」


「ごめん……」


「ううん、いいの。きっと、言えない理由があったんだよね」


美月が響の手を握る。


「でも、助けてくれて、ありがとう」


「美月……」


「これからは、秘密とかなしだよ?」


美月が真剣な表情で言う。


「何かあったら、ちゃんと話して。私、神崎くんの味方だから」


「……ああ」


響が頷く。


「ありがとう、美月」


「うん!」


美月が笑顔を見せる。


その笑顔を見て、響の心が温かくなった。


──良かった。


美月は、受け入れてくれた。


「でも、神崎くん」


「ん?」


「次は、ちゃんと私も連れてってよ。一人で戦わないで」


「……それは、危ないから」


「ダメ! 私も手伝う!」


美月が頬を膨らませる。


「もう、神崎くんが傷だらけになるの、見たくないもん」


「……分かったよ」


響が苦笑する。


「じゃあ、これから一緒に戦おう」


「うん!」


二人が笑い合う。


教室に、朝の光が差し込んでいた。

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