第9章 交錯する宿命
放課後のチャイムが鳴り響くと同時に、校舎は部活動へ向かう生徒たちの活気で満たされた。
だが、北側にある特別教室棟だけは、まるで別の時間が流れているかのように静まり返っていた。
「……やっぱり、空気が重いな」
響は廊下の角から様子を窺いながら呟いた。
耳元の怨叉が、チリチリと不快なノイズを拾っている。
「はい。さっきよりも、邪気が濃くなってる気がします」
美月が胸元の鈴を押さえながら頷く。
二人は足音を忍ばせ、薄暗い廊下を進んだ。
一階の理科室、二階の家庭科室……。
教室を一つずつ確認していくが、特に変わった様子はない。
だが、三階へ続く階段に足をかけた時、美月が「あっ」と声を上げた。
「どうした?」
「上から……音がします。何かを引きずるような」
「音?」
響は耳を澄ませる。
怨叉のノイズに混じって、確かに微かな物音が聞こえる。
ズズッ……ズズッ……という、重いものを床で引きずるような音だ。
「三階は……美術室と、音楽室か」
「行ってみましょう」
二人は顔を見合わせ、慎重に階段を上った。
三階の廊下は、夕日が長く差し込み、オレンジと黒のコントラストが不気味な影を落としていた。
音の正体は、突き当たりの美術室から聞こえてくるようだ。
響は美月を背後に庇い、ゆっくりと美術室のドアに手をかけた。
鍵は開いている。
「……開けるぞ」
意を決して、一気にドアを開け放つ。
「ッ!?」
そこに広がっていた光景に、二人は息を呑んだ。
美術室の中央。
石膏像やイーゼルが乱雑に倒されたその真ん中に、巨大な魔法陣のようなものが描かれていた。
いや、それはチョークやペンキではない。
どす黒く変色した、粘着質の液体で描かれた幾何学模様だ。
そして、その中心に──一人の女子生徒が倒れていた。
「おいッ! 大丈夫か!?」
響が駆け寄る。
倒れていたのは、見覚えのある顔だった。
同じクラスの、大人しい図書委員の女子だ。
「う……うぅ……」
彼女はうわ言のように呻いているが、意識は混濁しているようだ。
その体から、黒いモヤのようなものが立ち上り、床の魔法陣へと吸い込まれていく。
「これは……精気を吸い取ってるのか?」
「酷い……!」
美月が駆け寄り、彼女の手を握る。
その瞬間、チリリッ! と鈴が鋭く鳴った。
「神崎くん、後ろ!」
美月の叫びとほぼ同時に、響は背後へ跳んだ。
ドォォォン!!
響が立っていた場所に、天井から巨大な石膏像が落下し、粉々に砕け散った。
もし避けていなければ、頭蓋骨が砕かれていただろう。
「おやおや、勘がいいねぇ」
美術室の奥、準備室の暗がりから、影がぬらりと現れた。
昨日の憑依された男子生徒とは違う。
今度は、美術室にあった彫刻刀や絵筆が、勝手に宙に浮き、集合して人の形を成している。
ポルターガイスト現象の集合体──『付喪神つくもがみ』に近い禍鬼だ。
「また実験かよ。懲りねえ連中だな!」
響が怨叉に手をやる。
「実験? 違うよぉ。これは『収穫』さ。
若い人間の精気は、王の復活に欠かせない極上の肥料だからねぇ!」
浮遊する無数の彫刻刀が、一斉に切っ先をこちらに向けた。
「死ねぇッ!」
ヒュンヒュンヒュンッ!
鋭い刃物の雨が襲いかかる。
「美月、防御だ!」
「はいっ!」
美月が鈴を鳴らす。
清浄な音の障壁が展開され、彫刻刀を弾き飛ばす──はずだった。
ガギギギッ!
「えっ……!?」
障壁が、破られた。
数本の彫刻刀が光の壁を貫通し、響たちの足元に突き刺さる。
「昨日のデータは取らせてもらったよぉ!
その鈴の周波数、もう解析済みさぁ!」
「なんだと!?」
響が驚愕する。
敵は学習している。美月の防御が通用しないとなれば、守る手段がない。
「次は脳天に突き刺してやる!」
再び彫刻刀が舞い上がる。
響は美月と、倒れている女子生徒を庇うように前に立った。
(俺の体で受けるしかねえか……!)
覚悟を決めた、その時。
「──『オン・アビラウンケン・ソワカ』!」
凛とした声が、教室に響き渡った。
刹那。
廊下の方から、目にも止まらぬ速さで何かが飛来した。
それは数珠──水晶でできた数珠が、鞭のようにしなり、空中の彫刻刀を一瞬にして叩き落としたのだ。
バラララッ!
「な、なんだぁ!?」
禍鬼が動揺する。
響と美月も、呆然と入り口を見た。
夕日を背に、一人の少女が立っていた。
長い黒髪。知的な眼鏡。
そしてその手には、光を帯びた数珠が握られている。
「せ、生徒会長……!?」
美月が声を震わせる。
そこにいたのは、西園寺玲華だった。
玲華は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷徹な瞳で禍鬼を見据えた。
「私の学校で、随分と好き勝手をしてくれるじゃない」
「な、何者だ貴様ぁ!」
「生徒会長よ。……そして」
玲華が数珠を構える。
その全身から、響や美月とはまた違う、練り上げられた『気』が立ち上る。
「退魔の名門・西園寺家の次期当主でもあるわ」
「西園寺……!? まさか、あの『封魔の西園寺』か!?」
禍鬼の声に恐怖が混じる。
響もその名には聞き覚えがあった。
祖父・宗十郎が以前、「西の西園寺、東の神崎」と、かつてのライバルについて語っていたことがあったからだ。
「神崎くん、天宮さん」
玲華は二人を見ずに言った。
「あなたたちの正体については、あとでじっくり聞かせてもらうわ。
でも今は──」
彼女は数珠をチャキ、と鳴らす。
「まずは、このゴミを掃除するのが先決よ。
手伝いなさい」
響は一瞬呆気にとられたが、すぐにニヤリと笑った。
「へっ……上等だ。
命令されるのは癪だが、乗りかかった船だ!」
「はいっ! 会長、お願いします!」
美月も立ち上がる。
「行くわよ!」
玲華が駆ける。
数珠が生き物のように伸び、禍鬼の動きを拘束する。
「『縛道ばくどう・蛇縛じゃばく』!」
「グギャァッ! 動けな……!」
「今よ、神崎くん!」
「おうッ!」
響が跳躍する。
美月の防御が封じられた今、玲華の拘束が最高のチャンスを作ってくれた。
「これで……終わりだァッ!」
響の拳が、怨叉の轟音と共に、禍鬼の核である『絵筆の束』を粉砕した。
ドォォォォン!!
美術室の窓ガラスが振動でビリビリと震え、黒いモヤは霧散していった。
静寂が戻る。
響は荒い息を吐きながら着地した。
「……ふぅ。なんとかなったか」
「ええ。とりあえずはね」
玲華が涼しい顔で数珠を収める。
そして、倒れている女子生徒の元へ歩み寄り、手際よく脈を診て、お札のようなものを額に貼った。
「応急処置はしたわ。あとは保健室に運べば、明日には元通りよ」
「す、すごい……」
美月が感嘆の声を漏らす。
玲華は立ち上がり、くるりと二人に向き直った。
夕闇の中、彼女の眼鏡がキラリと光る。
「さて」
玲華の唇が、不敵な笑みの形に歪んだ。
「それじゃあ、生徒会室に来てもらおうかしら。
たっぷりと……事情聴取の時間よ?」
響と美月は顔を見合わせ、同時にゴクリと喉を鳴らした。
鬼との戦いよりも恐ろしい(かもしれない)、生徒会長による尋問が始まろうとしていた。




