第8話 バニーが服を着た日
馨が珍しく、食事の準備を手伝って、と言ってきた。
愛羽は馨と一緒にキッチンに立つ。
今日も通常運転のバニーちゃん。
エプロン姿が裸エプロンのようで、本当に嫌だ。
「ケンカでもした?」
馨はなんでもない日常会話のように爆弾を放り込む。
「…してない」
まだ語彙の少ない中学生に、この複雑な気持ちは説明できなかった。
その時、ジャガイモが床に落ちる。コロコロと転がって、馨の足元に。
愛羽はジャガイモの行方を見た。
そこにはジャガイモを拾おうと屈んでいるバニーちゃんの胸元があった。
「エッチ…///」
え、見たくないんですけど。
むしろ公害ですけど。
返す言葉が見つからず、愛羽は包丁をふるふると握りしめた。
こんな屈辱的なことがあった金曜日の夜。
美味しいはずのスープは、味が全部遠くに行ってしまった。
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「だからっ!ちゃんと私の話聞いてよ!!」
電話口で愛羽は大きな声を出した。相手も負けてない。
『今、それどころじゃないって言ってるでしょ!!』
「娘より大事なことって何!?」
『うるさいっ!』
「お母さんの馬鹿!」
電話口は罵詈雑言の嵐。
愛羽はたぶん正常な状態ではなかった。
ほぼ初対面の叔父と暮らすだけでも精神的負担は計り知れないのに
そこへ同年代の異性(自分に好意を持っている)との共同生活。
言いたいことも言えず、日々溜まっていくフラストレーション。
冬になり、少しは露出が収まるかと期待した所に、衣装チェンジしたふわふわのバニー。
軽口を言い合っていた同志の突然の告白。
頭がおかしくなりそうだ。
そこへ、馨が割って入る。
当然、バニーの恰好で。
「涼子さん、馨です。…愛羽ちゃんは慣れない生活で疲れてるんだよ。少しだけでも話聞いてあげられない?」
愛羽の電話を取り上げ、母と話す。
その姿は姉と弟というより、全くの他人だ。
「うん…うん。分かりました。」
馨は厳しい顔で、母からの電話を切った。
良かった。
これ以上話したら決定的な何かを言っていたかもしれない。
愛羽はホッと息を吐く。
「愛羽ちゃん、出来ることなら君を抱きしめてあげたい」
「遠慮しとく。バニーちゃんの叔父さんに抱きしめられるほど落ちぶれてないから」
ああ、言葉が選べない。
「着替えてきたら、いいってこと?」
「何言ってんの?着替えれる訳ないじゃん!ウーバーも宅急便もそのまま出るくせに!」
「君の為なら、着替えくらい出来るさ」
「嘘だね!大人は皆、嘘つきなんだから!私、知ってるんだから!!」
愛羽の目がぐるぐると回る。
もう自分が何を言っているのか分からない。
馨は踵を返し、部屋に戻って行った。
愛羽はハッとする。
怒らせてしまった。
お世話になっている人なのに。
あの人に出てけと言われたら、行くところがないのに。
身体が震え始めたころ、馨が部屋から出てきた。
普通の恰好だ。高そうなT-シャツにジーンズ。
普通の部屋着っぽい恰好だ。
しかし、少し震えている。そっちが何故、震える。
「む、無理しなくても…」
愛羽が馨に言った。脂汗も出ている。
「無理くらいするよ。僕は大人で、君を守る義務がある」
震える手で愛羽を抱き寄せる。
愛羽はそのまま、馨の胸に収まった。
愛羽は馨に抱かれたまま、眠った。
一言で言えば、安心した。
愛羽は初めてこの家で、心理的安全を馨に見出した。
⁻⁻⁻
陽が帰ると、ソファに人の気配がした。
「ただいまー」
「うおっ!」
驚いて声を上げると、馨が“しー”と、くちびるに人差し指を持っていく。
もう片方の手は愛羽の背中に置かれている。
ソファで、馨の膝枕で眠る愛羽。どうみても泣いた後と分かる。
よりも――バニーの恰好ではない馨に驚いた、ことに陽は二重に驚いた。
よりによって、好きな子が違う男に慰められてる状況で
おっさんの普通の恰好に目が行くなんて…
改めて、おかしな状況に置かれている自分に
同情しないわけにはいかなかった。
外では雪が降り始めていた。
どうやら冬は、本格的に来るらしい。




