表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

月下路

作者: LamcL

心が泣きたい方へ

少々、お時間下さい

月明かりが、石畳の細い道を銀色に染めていた。風が梢を撫でるたび、葉がこすれる音が微かに響き、どこかで一羽、杜鵑とけんが啼いていた。


音のない夜だった。

けれど、彼女には聞こえていた。

あの人の声が。


昔、この道をふたりで歩いた。

月が今夜のように静かで、あの人は空を見上げながら「星より君の方が綺麗だ」と笑っていた。

彼の言葉は風のように軽く、けれど、忘れられないほど深く胸に残った。


しかしその夜を最後に、彼は戻らなかった。


彼が消えた理由も行き先も、誰も教えてはくれなかった。ただ一つ、彼が残した短い手紙だけがある。


「もし月が綺麗な夜があったら、その光の中で、また逢える気がする。」


彼女はそれを信じて、何年もの間、同じ夜道に立ち続けている。

春が過ぎ、夏が終わり、冬の夜には吐息が白く染まりながらも、彼女は帰らない夜に身を置いてきた。


そして今夜も、月は美しく、杜鵑が啼いている。


彼女はそっと目を閉じた。

風がまた、過去の囁きを連れてくる。

その声はもう、幻なのか、本物なのかもわからない。


けれど彼女は微笑んだ。


「…おかえり。」


まるで、遠くの闇の中から歩いてくる足音が聞こえたような気がした。


足音はだんだんと近づいて、月の下に一つの影を落とす――

それは、記憶に刻まれた彼の姿と、寸分違わぬものだった。


彼は、何も言わずに微笑んだ。


彼女の目から、ひとすじの涙がこぼれ落ちる。

温かくて、ずっと心に溜めていたものすべてが流れ出るようだった。


「どうして…こんなに遅かったの……」


彼は、ただ彼女の肩にそっと手を置く。

その手は、もう冷たくなかった。けれど――実体が、どこにもなかった。


その瞬間、風が静まり、鳥の声も止み、月が少しだけ陰った。


気づけば、彼の姿はもうそこにはいなかった。

あの日と同じように、言葉を残すこともなく、ただ、去っていった。


彼女はその場にひざをつき、胸に残るぬくもりを抱きしめる。

今度こそ、本当に、彼が最後の「さよなら」を言いに来たのだとわかったから。


そして彼女は、静かに笑った。


「…ありがとう。やっと、前に進めそう。」


月はふたたび明るくなり、遠くでまた、杜鵑が啼いた。


それは、もう泣き声ではなかった。

まるで、ふたりの別れを祝福するような、やさしい調べだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ