ep.1-7 通り名
世界退魔協会の本部は、都心部の地下に存在している。
アクセスしやすいよう各地に支部もあるのだが『契理』を登録するときには、特例として認められない限り、本部に顔を出すのが通例だ。
500年前に起きた『終末審判』の地殻変動により、世界は文字通り一つになった。
様々な大陸がまるで紙を折るように重なって、本当に一つになってしまったのだ。地図上から国という国が消えた上に、数が激減した人類は、国だの国境だの、人種だのを気にしている場合ではなくなった。
残った人々は、互いに手を取り合い、一つになった大地に一つの国を築いた。
それが今の世界連合国であり、世界の中枢を担っている。
そんな中で、世界退魔協会は、連合政府公認の組織という立ち位置にある。
表舞台の中枢は連合政府が担っているが、見えない領域の裏舞台の中枢は世界退魔協会が担っているのである。
協会自体は独立はしているが、政府の要請があれば、何よりも先にその依頼が優先されることになる。政府直属の退魔師として配属される者もいるくらい、連合政府との関係は密接だ。
人間にとって未知数の力を持つ『理』たちを、政府もかなり注視している、ということである。
だからこそ、『契理』の登録は、政府への報告を兼ねて本部で行われるべき事項に分類されるのだった。
表向きは連合政府役場の高層ビルへと足を踏み入れたリュゼに、サラも同じように着いていく。中には人が沢山いるのかと思いきや、自動音声が流れているだけだった。役場の受付に座っているのは、完全にバーチャル映像の人間だった。
「受付に座ってるバーチャル映像には、中身はあるのか?」
そう聞いてきたサラに、あるよ、とリュゼは言った。
「今はバーチャルで姿形も変えられるから、バーチャル映像=本人ではないけど、ちゃんと中身はある。自分の家に備え付けられた機材から自分の職場にアクセス出来るようになってるんだ」
「便利だな。わざわざ出向く必要がないのか」
「うん。仕事上で外を出歩くのは、だいだい俺みたいな退魔師と、政府関係者くらいじゃないかな。あとはまあ芸能関係者とか? 多分例外はいくつかあるけど、ほとんどの人たちは基本的に家で仕事が出来るようになってる」
「ははぁ。便利な反面、厄介事も多そうだな」
「ご明察。仮想空間で起こる問題の六割くらいは『理』が絡んでることが多いよ」
「なるほどなぁ。だからオレを呼んだわけか」
「まあね。仮想空間だとどうしても痕跡が残りにくいから、追跡が大変なんだ。でもアンタたち『理』には互いを認知するセンサーみたいなのがあるって聞いたから。協力してほしくて」
『命令』ではなく『協力』というところがコイツらしいな、とサラは思った。大抵の退魔師だったら、有無を言わせず「やれ」と言うに相場が決まっている。嫌々やらされるのではなく、協力してやろうかな、と思わせるのだから、全く厄介なゴシュジンサマである。
中央にある大きなエレベーターに乗り込んだリュゼに倣って、サラもまたエレベーターの箱へと入る。『50』書かれた四角いボタンを押したリュゼは、あ、と思い出したように声を上げた。
「ところで、サラって人間に見えるように実体化出来る?」
「いわゆる人間化のことか? トーゼン出来るとも」
「なら良かった」
リュゼが安心したように息を吐いたのと同時に、エレベーターが動き出す。
「今は人間化が必要なのか。時代は変わるものだな」
「え、じゃあ前の時は違ったのか?」
「ああ。必須ではなかったな」
「嗚呼そっか。サラが呼び出された時は、見える人が多かったんだな」
首を傾げたサラに、リュゼはその経緯を説明してくれた。
曰く、悪魔や天使、つまり『理』を認知できる人が年々減っている、ということが主な理由だという。
退魔協会の職員の中には『理』を認知できない者も多く在籍していて、当然そういう者たちは退魔師として仕事をするのは難しい。気配は感じ取れても、対話ができなければ契約も出来ないため、単独で動くのではなく退魔師の補佐官として動くことになる。
認知できない者が職員として働くと起こる問題としては、果たして本当に退魔師が『理』を連れてきたかどうかが見分けられないこと、である。
勿論見える者からしてみれば一目瞭然であるが、過去に『理』を連れてきたと偽って退魔師になろうとした輩がいたのだ。手順の最後に元帥達への顔合わせもあるため、そこで食い止められたのではあるが。
当然のことながらその者には厳罰が下ったが、毎度毎度そう面倒な事例があっては堪らない。
それ故に、登録時には『契理』が人間に見えるようにしなければならない、という項目が加わっている。
そういういうことらしい。
「実に面倒なしきたりだな。もしも力の有無で人間化出来ない場合はどうするんだ?」
「そういう能力を持ってる『契理』と組んでる退魔師を連れてくるか、そういう術式を使うか、らしい。術式を使うのにもかなりの力? が必要みたいだけど、詳しくは知らない」
「まあお前はそうだろうな」
サラの目から見ても、リュゼは退魔師として恵まれている能力を持っている。相手の魂の名前が分かるということは、相手の魂の形、すなわち存在を認知できるということと同義だ。
まあ、リュゼにとっては良いことばかりではなかったかもしれないが、とサラが思ったのとほぼ同時。
ぽん、と間抜けな音を立ててエレベーターが動きを止めた。
エレベーターが口を開ける。
その向こうに見えたのは、透明感と光沢感のあるライトグレーに囲まれた空間だった。地下だということを忘れそうなくらい、壁沿いに並ぶ下からの間接照明が、辺りを照らしている。
げえ、と嫌そうな顔をしたサラに構わず、リュゼは歩き出す。仕方なく着いていきながら、サラは問いかけた。
「もう人間化した方がいいのか?」
「あそこの受付でオレが合図したらでいいよ」
リュゼの指先を辿れば確かに、壁と同じ色のカウンターの奥に、白いヒゲが目立つ眼鏡を掛けた初老の男が見えた。素直に頷いて、彼に続く。受付までは数十秒ほどで辿り着いた。カウンターがある他には何もなく、行き止まりのように見える。
受付にいた男はリュゼの姿をじっくりと確認すると、朗らかに笑って「リューマ様ですね」と言った。
「今日はどのようなご用事ですか?」
「新しく『理』と契約を結んだので、その登録に来ました」
「かしこまりました。では、姿の確認を」
「はい。……サラ、頼む」
二人の会話を聞いていたら、ふと話を振られて頷く。
地面に足を下ろして、誰にでも認知できるように姿を変える。とりあえずリュゼが着ているフード付きの外套も付け足しておいた。これなら連れに見えるだろう。指を鳴らすよりも動作のないことを終えると、初老の男が興味深そうに、おお、と声を上げた。
「ようこそおいで下さいました。『理』の御方、差し支えなければ、通り名を教えて頂けますでしょうか」
「悪魔としての呼び名ならば、サリエル、と以前は呼ばれていたが。それでいいか?」
息を呑む音が男から聞こえる。目を見開いてサラを凝視する様に、昔の契約者を取り囲んだ人間と同じ顔だな、なんてどうでも感想を抱く。
リュゼは黙ったままだった。
男は数秒の間喉仏を上下に動かした後、小さく息を吐いてから緊張したように言った。
「ようこそ、我が協会へ。サリエル様。まさか私の代でお目にかかれるとは。ご尽力頂き感謝致します」
「まあ彼に喚ばれたからな。どうということはない」
リュゼを指させば、深く深く頭を下げた男。それと同時に男のすぐ横の壁が、ゆっくりと開いていく。壁だと思っていたそれは、両開きの扉になっていたらしい。滑らかに口を開けたその扉の奥には、似たような気配がうじゃうじゃと蠢いている。中には懐かしい気配もあるようだが、会ってからのお楽しみ、というやつだろうか。
先を進んでいくリュゼの後ろに着いていけば、なあ、と不機嫌そうな声が飛んできた。
「どうした? そんな不機嫌そうな声をだして」
「アンタ、名前無いんじゃなかったの?」
思ってもみなかった質問に、首を傾げる。首だけで振り返ったリュゼは、やはり不機嫌そうな視線を送ってきていた。
「何のことだ?」
「肉体に名前は無いって、アンタ言っただろ」
「? ないぞ」
「はあ? じゃあさっきの名前は?」
「悪魔としての名前だな。でもあれは肉体を指す名前ではないし、その名前はお前も知ってると思っていたが」
「なんでだよ。知らないだろ普通に」
「えぇ? 術式が載っていた古文書に書いてなかったか? オレはてっきり『サリエル』という名前は知っていて、あえて聞いてきてるのかと思っていたが」
悪魔の名前は基本的に世襲制だ。
悪魔は特に気まぐれな者が多い。長く生きていても役割に飽きた時は、後継が見つかった場合に限りその役割から離れることが出来る。勿論例外もあって、魂が滅びた時、もしくは悪魔から別の存在への変容の時に、後継が選ばれることもある。
後継として選ばれた者が代々継いでいく名称。
それがさっき名乗った名前であって、個人の肉体を指す名前ではない。
つまり、一種の愛称のようなものなのである。
大抵の場合は、召喚術式が乗っている古文書にその名称も載っているはずなのだが。
と、思ったところで、リュゼが黙り込んでいることに気付く。にんまりと笑って、少し歩調を早めてリュゼの顔を覗き込めば。
予想通りの顔をしていて、声を上げて笑ってしまった。
「ははッ。さてはお前、見落としたな?」
「……みなまで言うな」
「フフ。几帳面そうなお前でもそんなことがあるなんてな!」
「ばかにしてるだろ」
「いーや。かわいいところもあるもんだな、と思っているだけだ」
怒ったら良いのか笑ったら良いのか分からない顔をしていた。揶揄われてるのか、そうでないのかを判断できずにいるらしい。
気分が良くなったサラは、ついでにもう一つ伝えておくか、と口を開く。
「それに、オレはお前がつけてくれた名前、気に入ってるぞ。ぜひこれからもそっちで呼んでくれ」
は、と口をポカンと開けてその場に固まったリュゼをそのままに、ふふん、とスキップをしながら先へと進んでいく。
お気に入りなのも本当だし、名前を気に入っているのも本当だ。でも、混乱しているリュゼを見ているのを楽しんでいるのもある。
嗚呼、やっぱりコイツについて正解だった。
勝手に先に進みすぎて、そっちじゃない、とリュゼに注意されるまで、サラはすっかり上機嫌で踊るように廊下を歩いたのだった。




