ep.1-4 類友
うん、と頷いて少し待つ。
しかし悪魔はいくら待っても名前を名乗ろうとしないどころか、不思議そうに首を傾げてきた。
ムッと顔を顰める。
「アンタは?」
「? なんの話だ」
「アンタの名前を聞いてない」
こちらは名乗ったのに、名乗らない気なのだろうか。そう思ったのだが悪魔は、嗚呼、と声を上げたと思ったら簡潔に言った。
「肉体の名前の話か? 生憎だが、オレの肉体には名前が付いてない。ので、名前はないし、呼ばれたこともない」
「え? じゃあ今まで契約してた人たちとはどうやってコミニュケーションとってたんだよ。ずっと『アンタ』じゃ不便だろ」
「どうだっけな? 今までは必要以上に会話しなかった。奴等はあまりオレとは話をしたくはないようだったし、オレも奴等にあまり興味がなかったからな。契約でやれと言われたことだけやって、あとは適当にやってたぞ」
思った以上にドライな関係だったらしい。それはそれでどうなんだと思う。でも言われてみれば確かに、退魔師の中には悪魔を必要以上に忌避したり、畏怖を抱いているものも多い。絶対的な力を悪魔が持っているからなのか、他の理由があるのかは定かではないが、悪魔と友好的な退魔師である師匠も白い目で見られていたことを思い出した。
「でも俺はアンタに名前がないと困る」
「えぇ? 変わったヤツだな。じゃあお前が適当に付ければ良い」
「名前なんだから適当につけるのは駄目だろ」
「オレにとってはその程度のものさ。お前との契約が終わったら、誰も呼ばなくなるだろうしな」
悪魔の言うことにも一理ある。あるが、それはなんというかとても悲しいことだなと思う。
彼は、大昔に与えられた『悪魔を殺す』という使命のために在り続ける悪魔だと聞いている。大昔から在り続ける彼にとって、確かにリュゼのような退魔師との時間は、本当に暇つぶしと同義の瞬きのような時間なのだろう。長い間を闇の中で過ごすのは一体どんな心持ちになるのか、想像の域を出ることはない。しかしリュゼ自身がもしも同じ立場だったら、それぞれの時代を目一杯楽しみたいのではないだろうか、と思ってしまう。
それがたとえ、一瞬で過ぎ去ってしまうものだとしても。
「だから、お前が適当につけて良い。お前が呼びやすくてオレっぽい名で好きなように呼んでくれ」
ふふん、と何故か面白そうに口角を釣り上げている。
もしかしなくても彼が納得出来ない名前をつけたら制裁が下るんじゃ。
そう思ったのは一瞬で、ふと思いついた名前を口に出す。
「サラ」
悪魔が目を丸くしたのも構わず、うーんと唸る。
「いや、サラヴァ? でも、うーん……、呼びにくいから、サラ、でいいか?」
呼びやすい名前で好きなように呼べと、彼が言ったからそう言い直すと、悪魔はぽかんと口を開けてリュゼを見ている。もしかして気に入らなかったのだろうか、と声をかけようとしたのと、悪魔が笑い出したのはほぼ同時だった。
「ハハハッ! なるほどな! 面白い!」
完全に置いてきぼりのリュゼに構わず、悪魔は片手で顔を覆って笑い続けている。お、おい、と声を掛けようとしたら、こちらを勢いよく見た悪魔に肩を掴まれた。
「何故お前のような欲が無さそうなやつがオレを喚び出せたのか不思議だったが……、ふふっ、お前は本当に面白いやつだな、リュゼ」
「何の話だよ。というか、面白いってどういう意味?」
「そのままの意味さ。お前といると退屈しなくて済みそうだ。サラ、な。くくっ、気に入った」
至近距離で見えた黄金が、一瞬七色に輝いた気がした。
緩く細くなるその瞳は、怒りの色は灯っていない。それどころか、楽しそうに細められてうっとりとしているようにすら見える。
悪魔嫌いの人間が見たら寒気がするのだろうが、あいにくリュゼは悪魔に嫌悪感は無い。それどころかなんだかイタズラ好きの子どもみたいだな、と呑気に思った。
「よし! そうと決まれば、さっさと協会に顔を出そう!」
「え、アンタ協会のことまで知ってんのか?」
「無論だ。オレを『契理』として登録しに行かないといけないことも知っているぞ」
「…………、アンタのことが怖くなってきた」
「くく、どんどん怖がると良い! ははっ、楽しくなりそうだなぁ!」
意気揚々と出口に向かおうとするサラへ、ちょっとまって、と声を掛ける。くるりと首だけで振り返ったサラは何かに気付いたように、お、と声を上げて近寄ってきた。
そしてリュゼの左肩より少し上の虚空を、左手で握りつぶした。途端に、黒い煤のようなものが、彼の指先の間から溢れていく。驚いたのは同然リュゼだ。
「……いまの、一瞬で?」
肩について回っていたその呪いには、リュゼ自身気付いていた。しかし、解呪法に手こずっていた。誰から飛ばされた呪いなのか分からないと解けないのが、ネックだった。その上、肩が重いくらいで大した影響はなかったから放置していたのだ。対処に困っていたからいずれ知り合いにお願いしようと思っていたものだったが、それを一瞬で消してしまうなんて。
得意げに鼻を鳴らしたサラは、にんまりと笑った。
「まあ残り滓みたいなモンだしな。オレにかかれば大抵は一瞬だ」
肩に手をかけてぐるぐると回してみる。さっきまであった鈍痛と重みは一切ない。やはり彼は凄く力を持った悪魔なんだな、と再認識する。こんなにへらへらとして軽そうなのに、リュゼが手こずっていた物を一瞬で消し去ってくれるのだから。
「ありがとう。これには結構悩まされてたから、助かった」
礼を述べると、またまたサラは目を瞬いた。顎に手をやって、訝しげな顔をしてこちらを覗き込んでくる。
「お前、変わり者ってよく言われないか?」
「なんだよそれ、悪口か?」
「褒め言葉さ。お礼を言ってきたのは、オレの記憶の中ではお前が初めてだからな」
「……今までそんなクソみたいなヤツにしか喚び出されなかったのかよ」
普通はありがたいと思ったらお礼を言うものだ。否、そう師匠に教わってきたから、リュゼはそれを当然だと思っているのだが、思い返してみると確かに、退魔師の中でリュゼの師匠は変わり者扱いされている節がある。
思わず顔を顰めたリュゼだったが、サラはあまり気にしていないようだ。
「協会に行かないのか?」
「行くけど、その前に。他の退魔師の前では、オレのこと本名じゃなくて、通り名の方で呼んで」
「通り名……? ああ! さっきの『リューマ』の方か。それはわかったが、リューマ、って結構安直じゃないか? 本名を縮めただけだろう?」
「…………、うるさい」
「ふっ、あははは! 図星か! ふふ、後悔してるんだな~? 可愛い奴め」
バシバシと背中を叩いてくるサラに、はあ、と深い溜息を落とすリュゼ。
絶対契約が終わるまでこれを永遠に擦られるな、と思いつつ、リュゼは『契理』となったサラと共に、協会へと足を向けたのだった。




