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8. 白鳥と黒鳥

 十六世紀に建てられ、増改築の後十八世紀には今と変わらぬ姿であったという、昔の領主の居城にある議会室は、舞踏会などが催されたと言う広間だった。壁の彫刻や意匠を凝らした柱、太陽と七人の乙女の絵が描かれた天井、そこから釣り下がるシャンデリアはほぼ往時と変わらないという。

 今は、そこに楕円形の真ん中の開いた大きなテーブルが置かれ、入り口から遠い、国旗と同じ意匠の絵が描かれた壁を背にした席は、議会の議長席、その他の二十名分の席が十名分づつ左右に並んでいた。

 オデットはカメラを構えてテーブルを議長席の方向へ向けて撮影した。他にも、新聞社などのメディアの記者やカメラマンなどが数人。月に一度、普段は入ることのできない城の内部を報道機関向けに公開していたが、オデットも運よく参加することが出来た。

 この国の議員は二十一名。立憲君主制となってから変化は無いと言う。様々な国の施策は、ここで討議され、多数決で決まる。議長も議決権があり、大抵の議題は十一名が賛同すれば決定となる。特に重要な議題に対しては、三分の二、十四名の賛成をもって可決とされていた。

 施策は君主たる侯爵からも提出される。議会に諮る内容かどうかは三分の一が賛成すれば対象となった。

 議員は当選回数に限りは無く、大抵の議員は三回以上当選していた。投票権は十八歳以上、議員には二十五歳から立候補できた。議員が高齢なのはどこの国でも同じだが、ここでは四十代五十代の議員は三分の一程度、残りは六十代以上と、高齢だった。

 オデットは何名かの議員にもインタビュー出来たが、目下の議題としては、治安の悪化と、その原因でもある国外からの流入者について、入国審査を厳しくするかどうかであるらしい。米英仏の国民にはビザは不要で、入国審査も簡略化されていたし、素性は殆ど問われていないに等しかった。

 とはいえ、友好関係と経済関係に於いてはこの三国は他の国とは別格であったので、審査基準の変更は微妙な政治的判断が必要ということだった。

「大国の顔色を窺いながらの綱渡りの外交など、あなたの国には無縁でしょうな」

 オデットがどこの国の雑誌記者かを知った議員の一人は、皮肉ともぼやきともつかないようなことを言った。

 議員へのインタビューなどは、この国のアピールになるような建設的で前向きな話ならば、オデットの雑誌でも使えただろうが、新聞の紙面ならともかく、旅行雑誌では扱えないようなものばかりだった。

 もっとも、この国の観光局での取材は終わっていたし、議員へのインタビューは議会室などを見たときのついでのようなものでもあった。


 普通の国なら田舎町程度の人口の、小さな島国の政治に興味をもつ読者がいるかどうか、オデットはあまり自信は無かった。議事堂に併設されている、伯爵家の絵画などの美術品のコレクションが基になった美術館などの方が興味を引くかもしれない。侯爵家ゆかりの品である古代ギリシャの彫刻や武具、イコンやタペストリー、数は多くは無いが、イタリア・ルネサンス期や、フランドルの画家たちの絵画。古典主義やロマン主義から印象派までの西洋美術から、陶磁器や浮世絵のような東洋趣味まで幅広かった。

 オデットとしては、この国特有のものがあれば良かったが、独自のものと言えば、銀鉱山が栄えた時期の銀細工くらいで、あまり飾り気のない食器類、ブローチやペンダントといった装飾品があるくらいだった。それも、銀鉱山が廃鉱になってからは作られることもなく、この島には工芸品や民芸品にはさほど見るものはなかった。

 やっぱり、自然か。

 火山が形作った山や湖はコンパクトにまとまっていて、独特の景観も面白い。とはいえ、それくらいしかない。

 エリックから聞いた、アポロウスバシロチョウやエーデルワイスなどの独特な動植物もいるが、それに興味を示すのは、マニアックな層だろう。狼も、こんな孤島になぜいるのか、ということも学者の間では意見が分かれているらしい。この島は、氷河期も大陸と地続きにはなっていない、というのが定説のようなので、あとから持ち込まれたものであるらしい。中世の宣教師の残した記録では、すでに存在していたようなので、古の一族が大陸から運び込みでもしたのか。

 こうした、自然科学的な面白さはあるだろうが、それだけで人は集まるものでもないし、むしろ、人の手を入れずにそのまま残しておこうなどど考える向きが多いだろう。

 そんな、人を引き付ける魅力も無い、と言っては失礼だが、そんな島国が、主要となる産業を失って半世紀以上もながらえてきた来たというのは稀有なことに思えた。

 それに、この国に注がれている国際援助という名の金。微妙なバランス感覚の賜物とでも言おうか。

 やや皮肉な考えになって人知れずオデットは苦笑した。あの議員に言い返したら、どんな顔をしただろうか。


 その日の午後は、学校を取材に行った。パブリックスクールといっても、小さな国のこと、どこかのんびりとした雰囲気がただよい、制服があるという以外は格式や伝統にさほどこだわりはなさそうに見えた(少なくとも生徒には)。

 のんびりした田舎と言えど、学校という共同体の中での生活がどうなのかは、実際に通っている生徒にしか分からない世界だ。あまり学校には良い思い出は無いオデットは、ほんの束の間垣間見ただけの世界を美化する気は無かった。とはいえ、そういう気持ちを記事にする気もなかったが。

 当たり障りのない記事になりそうなところだが、一人、インタビュー出来れば面白そうな記事になりそうな人物はいた。その人物とは一度会っていたし、今度は時間をとって話が出来ることになった。

 場所は、ヘリアデス校の応接室。学校の取材も断られるかも、と覚悟していたオデットだったが、教師が付き添って簡単に施設を紹介してもらうくらいは出来た。このインタビューもどうかと思ったのだが、昼に三十分ほどという短い時間ながらOKが出た。

 博物館などでお手を触れないように、と書かれて置かれていそうなソファにぎこちなく座って待っているうちに、テーブルの上にレコーダーなどを置いて準備する。

「やはり、あなたでしたか」

 ドアが開いて入って来たのは、白いブラウスに紺のネクタイ、ブルーグレイの丈の長いワンピースという、この学校の制服を着たクレールだった。オデットは子供の頃にそんな制服のある学校など周りに無かったし、想像したことも無かったが、クレールにはよく似合って見えた。

「先日はどうも。私のことは覚えていて下さったようで何よりです。姫様」

 ソファから立ち上がってオデットは手を伸ばし、握手した。

「姫様は止めて下さい。クレールで結構です」

 笑顔ながらどこか断固とした感じがあった。

「では、クレールさん。あまり時間もないことですし、早速ですが。

 ラ・ファージュ家という、この島では古く伝統のある家系にお生まれで、成人なさったら家督を継ぐことになっているそうですが、そのことについてはどうお考えですか?」

 クレールは背筋を伸ばし、両手を膝に置いて真っ直ぐオデットを見つめている。品のある佇まいに、近くで見るとオデットでも見とれそうなくらい美しく整った顔立ちだった。

「特に自分の家系のことを意識したことはありません。家督についても、物心つく前から言われて育ってきましたし。当たりまえのことだという感覚です」

「同い年の、周りの女の子たちとか、将来に対していろいろと夢や希望があると思うのですが、そういったものは?」

「何か職業を選んで生活していくというようなことですか? それも特には。私の様な、先ほどあなたは姫様と仰いましたが、そういう立場の者に憧れる人もいるようですし、今の立場に十分満足しています」

 オデットは笑顔で聞いていたが、思ったよりも模範的な答えに、どうしたものかと思案した。

「職業とまでは行かなくとも、趣味などでお好きなものは? ご自宅の、砦と言われている邸宅の周りは自然に溢れていますし、ああ、そういえば、お飼になっているペットですが、犬では無くて狼だと聞いたのですが、本当ですか?」

「プロションのことですか?」

「プロション?」

「その狼の名前です。小犬座という星座の一等星の名前をつけました」

「大きな、狼なのに? シリウスの方が相応しいのでは?」

「さすがに、星の名前には詳しいのですね。森で怪我をしているのを拾った時は子犬でしたから」

 冬の寒い夕暮れ、白い雪の上に血を流した子犬がいたのに驚いたクレールが、その子犬を拾って怪我を直してやった。小犬を連れ帰る頃に空に昇っていた星が、子犬座の一等星、プロキオンだった。拾ってから狼の子だと気が付いたが、クレールに懐いて離れず、大きく狼らしい姿になった今でも、番犬の様に居付いていた。

「動物はお好きなんですか?」

 そう尋ねたとき、なぜかオデットはエリックを思い浮かべた。

「好きということとは、少し違うかもしれません。周りに動物が居ることがあそこでは自然なことでしたから」

「そういった好きなことから職業にされても宜しいのでは? 侯爵家の二人のお子様たちは職業をお持ちのようですし」

「そのようですね」

 クレールの口が笑みを含んだ。

「侯爵家とは、親戚関係にあるということで、これもちょっと聞き及んだことですが、クレールさんにも、侯爵家を継ぐ可能性もあるとか?」

「それは侯爵家を継ぐ者が居ない場合のことですね。侯爵家を継ぐというより、侯爵という爵位を継ぐ形になりますが。私がメルクーリ家を継ぐのではなく、ラ・ファージュ家に爵位が与えられるということになります」

 クレールはオデットが聞きだしたかった話をさらりと口にした。

「実際にそのようなことになったらどうしますか?」

「仮定の話をしてもしょうがありません。これまで一度も、ラ・ファージュ家が爵位を継いだこともありませんし」

「あら。そうなんですか? かつてはこの島を支配していた、王家の子孫なのに?」

「王族だからこそでしょうね。与える立場であっても与えられる立場ではありませんから」

 これが、〝銀の女王〝の子孫としての矜持なのかもしれなかった。

「では、侯爵という爵位は継ぐことはないと?」

 意地悪くオデットは訊ねた。

「どうでしょう。先ほど言ったように仮定の話ですし。時代も変わって、この国の人々の考えも変わってきているでしょうし。爵位など必要なくなることもあるでしょう」

 上手くはぐらかされた気がするが、オデットもそれ以上突っ込んで聞くことはしなかった。

 それにしても。まだ十七歳の女の子と話をしているような気がしないな。

 オデットは目の前にいる毅然とした態度の少女に感心していた。

「私にも、あなたにお聞きしたいことがあるんですが、宜しいでしょうか?」

「はい? どのようなことでしょう?」

「『天文航法』という、変わった名前の雑誌が本当に存在するのか、ちょっと調べてみました。失礼を承知で言いますが、本当に、あるんですね。インターネットのサイトを見たときはちょっと驚きました」

 クレールがその時のことを思い出したように言う。

「あら、弊誌のサイトをご覧になったんですか?」

 クレールがパソコンやスマートフォンでインターネットを見ている姿は、あまり想像できなかった。

「名刺にアドレスが載っていましたので。サイトを見ていると連絡先などもありましたので、ちょっと尋ねてみたんです」

 クレールは笑顔でオデットを見つめる。

「何を、どういうことですか?」

「あなたが本当にその雑誌社に所属しているのか。社員ではなく、契約している記者だそうですね。そのほか、尋ねたいことがいろいろありましたので、詳しい方に代わっていただいたりして、聞いてみました」

 オデットはクレールの黒い瞳に魅入られてように何も言えずに見つめていた。

「オデットというお名前は、本名でしょうか?」

「ええ。母が付けた名です」

「そうですか。では、黒鳥オディールの方のあなたにお尋ねします」


 アリスの宿屋に戻るころには、陽もだいぶ傾いてきていた。クレールへのインタビューは、三十分ほどという予定だったが、若干オーバーして小一時間ほど続いた。

 オデットとしては、なかなか良い話が聞けたので、古くから続く王族の末裔の姫様の話は興味を惹くだろうと思った。

 階段を登って部屋の前へ。隣のエリックはまだ帰っていないらしい。なんとなく、今日のことを話したくなっていることにオデットは心の中で苦笑した。

 鍵を開けて入る。後ろ手にドアを閉めて、バッグをベッドへ抛るように置くと、部屋の隅にある赤外線発振器を見た。部屋の掃除などは長期借りているので頼まないとこないはずで、今日出かけている間、誰も入った形跡はない。無論、窓からも。

 机の上に置いてあるノートパソコンを起ち上げて、バッグから取り出したノートパッドを繋ぐ。指紋と虹彩認証でオデットと認識させて、ノートパソコンへデータを送ってから、録音したクレールのインタビューをイヤフォンで聞き始めた。聞きながらノートパソコンへも送り、そこで音声からテキストへも変換した。

 作業を進めるうち、レコーダーの録音が途切れているような、繋がりの悪い箇所があることに気が付いた。インタビュー中に机の上に置いてあったが、止めるような操作をしたか、覚えていなかった。

 オデットは、椅子から立ち上がると、ベッドの上のバッグを開けて、もう一つのレコーダーを取り出した。インタビューなどの対象者には黙っているが、保険と護身のためだった。

 それを再生する。録音状態はあまり良くないが、聞き取れないことはない。早送りしながら、途切れていた場所へ来ると。

 机の上に置いてあったものと同じく、全く同じ個所が途切れたような不自然な繋がりになっている。オデットは全体の録音時間を調べた。時間は三十分ほど。インタビューは四十分は続いたはずだった。

 どういうこと?

 オデットはそんな操作をした覚えはない。机の上のレコーダーならまだしも、バッグはインタビュー中触ってもいない。

 あの部屋にいたのは、自分と、クレールだけ。クレールが? まさか、そんなことはしていなかった。

 オデットは戸惑いながらインタビュー時のことを思い返したが、途切れていた十分間のことを、自分が覚えていないことに気が付いた。

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